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ひとり 1994年 北京最終回

西安〜北京

明の十三陵
北京市郊外に明代の皇帝陵があります。
山々に囲まれた、ちょっとした盆地の土地に陵が点在しています。
中でも最大級の陵が定陵であり、ここに皇后と共に埋葬されている。
中国の陵(お墓)は、地下宮殿であり、その概念は死後もそこで生活を続ける、といったもののように
思われます。
というのは、皇帝の死後埋葬時には、多くの生きた人々もお供となってこの陵に入ったはず。
西安の始皇帝陵の兵馬俑しかり、土偶ならず生きたまま死後の皇帝のお世話を続けると
いったことは、当時の権力からすれば普通に考えられていたことでしょうから・・・
規模は、天井まで約10m長さ30m幅約10mほど、これは、皇帝と皇后の棺及び副葬品が
置かれてある部分だけである。造りは全て巨大石が積み重ねて出来ている。一見あれ。

ここで、私が一番驚いたことは、棺前のである。壺がどうした?と思われるかもしれない、
大きいのか?と言われるかもしれない。ええ、大きいことは、大きいです。
でも、その大きさに驚いたのではなくて、中身なのです。さあて、中身はなんでしょうか?
なのです。でっかい壺に鯨の油が満杯で収められていたそうです。
なぜって、暗い所で眠れなかったのさ。
うそうそ、煌々と照らし続けることで生前と同様の生活を、ここ地下宮殿で行うためなのでしょう。
何年ぐらいもったものやら・・・
ここまでの徹底ぶりにスケールの違いを感じたのでした。

定陵の宝物は、3千個ほど発見されたそうですが、その一部が展示されています。
私は、ここで初めて本物の装飾品を目にしましたが、芸術品としても美しいものでした。
ここに行かれた方は是非、寄って下さい。
皇帝の冠、皇后の簪、イヤリング等の装飾品、衣・・・大変すばらしい。
衣を見て思うのは、故宮でも見て感じたことですが、意外と小さいということです。
この時代より遥か以前の中国人、例えば、三国戦国時代の記述を読むと、
2m位の身長があったようにかいてあるし、秦の兵馬俑も実寸で作られてるとすれば
やはり2m位が標準だったのか・・・
いや、ものの本は誇張されているのかも知れません。
実際展示されている衣服の大きさからは、小柄な人物が浮かんできました。

 中国の御輿は上下にぶるんぶるん揺れる・・・


明の十三陵おまけ
やっぱりここにも‘日本語片言の物売り’がおりました。
どこからともなく現れて、バスにしがみつきます。
ここでのターゲットはおば様のようです、ハンカチですから。
バスの窓を開けろ!と主張して、「10枚シェン円」「高いわねえ・・・」「ヤスイ、ヤスイ10枚シェン円」
「いらないわー」「15枚シェン円」
ここはとにかく窓を閉められたらアウトなので、お姉さん方はとにかくハンカチを振り続けます。
「15枚シェン円」「いらなーい」「20枚シェン円」「いらない」
「30枚シェン円」「えっ・・・そうなの?でもねえ・・・」
「40枚シェン円」「あら、おみやげにしようかしら・・・でも・・・もう出発だし・・・」
「50枚シェン円!」「だったら、いいわ」と、めでたくお買い上げー、
そしてこのおば様、周りの人に分けて(共同購入)見学の私にまで2,3枚くれて、
上手な買い物だったと悦に入ってたのでした。確かに。


万里の長城
北京市内から当時バスで片道3時間、ほぼ一日がかりの行程でした。
道々、未舗装の道路を延々バスが走るうち、私の心は秦代の大工事を偲びテンションは
イヤでも高まっていたのです。途中、線路を渡るとき列車がきて、これがやたらめったら長い。
運転手は「アイャー」と言ったなり即行でエンジンを切った。
正解です、列車が通過するのに15分位かかったのですから。
長城が近くなってきたら、「あれっ?」やけに新しくて綺麗な長城が・・・
近くには作業員が働いている・・・「造ってる・・・」「延ばしてる・・・」(いや、修復かも)修復では
ありませんでした。
建設してました。でも憎めないのだよ。長城を延ばすとは・・・




長城は観光地なのでみやげ物売り場やら、記念撮影屋さんやらと賑わっているのです。
これを見るのも買うのも旅の楽しみで、買うときは値切りの交渉を忘れてはならない。
売ってあるのは万里を超えてモンゴル方面の品々、毛皮の帽子、キツネ、テンの襟巻き、
レース手編みのショールなどなど・・・
やはり、動物ものはリアルで、ちょっと怖かった。ここで母にショールを買った。
売っているお姉さんが編んだんだと。値切るのが心苦しかった(しっかり値切った)

自分の中国服も着るあてもないのに買ってしまった。
(これが、のちのちドラマを生むのだ、この頃私はまだ太極拳を始めていない・・・)

記念撮影のおじさんは、ラクダに乗せたり、むかーしの衣装を小道具に撮影をしてくれる。
値段は交渉しだいだけど(きっと貴い)ポラロイドカメラで撮っているので、一枚限りなのです。
ちょっともったいない。
次に来た時は「ラクダちゃんといっしょに撮りたーい!」と思った私でした。


中国最終日の夜
今回の旅行に一人で参加したおば様(マダムと勝手に名づけた)がおりました。
マダムと私は洛陽に発つ前に北京で印鑑を注文していました。(西安参照)

注文の際はまずを買って、彫ってもらう文字を決めて、その文字の字体を決めます。
中国には赤い血の色が入り込んだ鶏血石(けいけつせき)だか血鶏石と呼ばれる石があります。
(この時初めて知った)赤い色が濃くて多いほど好い物とされ、それだけグーンと高価になります。
私は、小さくてもいいからこの石が欲しくなり、交渉をはじめました。日本円での交渉です。
相場も、当時中国語ができない私は、交渉も日本語で(相手は日本語が堪能、それでも中国語での
交渉のほうが心情的に有利、とは後々分った)なかなかまけてはくれない。
それでも、私がもう千円値引きして欲しいとがんばっていると、向こうの店員さんが言った。
「日本人は、千円ぐらい安いでしょ」と。さすがの私もこれにはキレタ。
ぐらい、とは何事よ!」 「私にとっては大金よ!」
それまで遠慮がちに交渉してたのに、いきなりキレタ、と感じたのか交渉成立。
確かに、金銭格差はあります。認めます。だからといって、ぐらい、と思われていたなんて。
人それぞれ金銭感覚が違うのは万国共通とちゃうんかい!

再び北京に戻ってきた今日、その印鑑がめでたく出来上がっておりました。
残念ながら、私のは文字が違っていたので、明日午前中までに直してもらっているのですが。
この時も、私はがんばった。
「直して下さい」「いや、これで合ってる」「違います、この字は間違ってる」(微妙に)
「時間がない」「明日、発つまでに直して下さい」「無理だ」「字が違うから私の印鑑じゃない」
「できない」「じゃあ、お金返して」「・・・わかった。直します」
ハー疲れるう・・・これじゃ中国の女性が強いのも訳ないか・・・

一方、マダムは、私の部屋に出来上がった印鑑を持って現われたのです。
「見て見て」
立派な箱に収められたマダムの石は私の5倍、いや8倍はある見事な大きさで、
血の赤もドクドクしいくらいすごくて、「どう?」ときくのです。
どうもこうも、いったいこれで何に判を押すんだ?
マダムはそれだけではなかった。
象牙とあともう一本「安かったから」と全部で3本もオーダーメイドしてたのでした。
他に確か洛陽でも作ってたような・・・(洛陽参照)
私はただただ感心するしかなかったのでした。しかも、全部巨大石。

私のみやげ物といえば、安物買いの銭失いで、帰ってから「なんでこれ買ったんだろう・・・」と
思うものばっかりで、「あっちにすればよかった」と後悔するものばかり。
まあ、だから次につながるんですけどね。


北京動物園  
 動物園の入り口  当時の入場券


北京滞在最終日、午前中時間があったので動物園に行ってみた。
私は生まれて此の方生パンダを見たことがないのです。
北京動物園には、他に孫悟空のモデルになった金糸猿(キンシコウ)、トキなども居ります。

 孫悟空のモデルになった金糸猿


トラ系の種類も豊富で、ねこ好きの私は「かわいい」の連発でした。孔雀が羽を広げてる所に遭遇。
天然物は色が違ーう、胸の青が蒼で藍で「こんなに綺麗とは思わんかった」と、
ここまで来て感心することじゃないだろう状態になったりで・・・
ところで、パンダですが、パンダ館に入るには別料金が必要です。
セコイこと言うようですが、動物園の入場料が1元(当時)、パンダ館の入場料が2元(当時)、
まあともあれ生パンダを見ることになったのですが、ここで大阪からの団体客に遭遇。
「ねえちゃん、どっからきたんや」ときた。賑やかなパンダ館でした。
屋外に出ると子パンダが日向ぼっこしながらウトウトしててかわいかった。

 パンダ館の入場券


交通事情
当時は、まだ市内にも信号機が少なく、でも車が増え始めていた頃だと思います。
交差点の真ん中には交通整理の人が立っていたものです。
でも、いうことを聞かないで走り去る車があとを絶ちません。
交通整理の人がいくらぴぴぴぴー!!と笛を鳴らそうが、
そんなの無視です。
真ん前を猛スピードで走り去ります。
そうこうしてるうちに、待ちきれなくなった人がとびだしてきたりして・・・
車も自転車も同じ道を走り、やたらスピードをだして、クラクションや、ベルをひっきりなしに
鳴らしているので、それはもう大変な喧騒です。
少し郊外に行けば、もう車線などあってないもの。
真正面から車がやってきてるのにクラクションをお互いに
パーパラパーパラ鳴らすだけで、いっこうに避けない。
すんでのところでかわしてしまうから不思議。
ヒョいとかわしたそこには馬車が!おおっと、羊の群れが!
「あっぶない・・・」とこっちはハラハラもんですが、馬車のほうは悠々たるもの。
そうこうしてるうち私たちのバスの横を、トラックが猛スピードで追い越していく。
見るとトラック(ほとんどが青色していた)の荷台には、スカーフを頭からスッポリかぶって、
あごでキッチリ結んだ女性たちや、顔を排気ガスで真っ黒になった男性がてんこ盛りになって
乗っているではないか。
彼らは猛スピードの風にも負けず、後ろからモウモウと吹き出る真っ黒な排気ガスにも負けず、
私たちのバスに「ニッ!」と白い歯を見せて笑いかけるのでした。
私は初めて見るこの光景をただ呆然と見ているばかりでしたが、
今となってはもう見ることのできない光景となってしまった。
パパパパーパッパー!っとクラクションがすごいから、
今度は何事かと思いきや、バスの前を人が横切っているではないか!
日本だったら「死にたいのか!」と怒鳴られても仕方のないところだが、こっちは違う。
人は悠々と少しも焦るそぶりを見せず、余裕で横切るではないか。
運転手は運転手で、ブレーキも踏まずクラクションを鳴らして突っ込んでいくのだ。
「おいおい・・・前に人がいるってば・・・」と思った瞬間、何事もなくかわしてるんですよ・・・
「いったい、どうなっとんのじゃ?」の連続なのだ。
道には、馬、ラクダ、ひつじ、人、子供、老人、自転車、車、トラック、が皆中央を占拠している。
真っ向から車が向かってくるのもあたりまえ。別に驚くことではないのだ。
おのおの避ける気などさらさらない。私は「いったい、どうなっとんのじゃ?」の中国の道が、
悠々と「なんでもありだ」と言ってるようで大好きでした。


最後に
初めての、中国(北京)でのひとコマでした。最後まで読んでくださってありがとうございました。
随分以前のことなので、記憶もだいぶ風化しております。
でも、なぜか鮮明に覚えているものがいくつかあります。
それは、赤い土の色、夕陽の美しかったこと、セロリ(セロリを見るたびこの旅行を思い出してます)
道の様子(正面衝突しないのが不思議)などです。
こんな何でもないことが人の記憶に生き続けるものなのですね。
不思議です、だから印象に深いものほど写真に収めてないものです・・・



1994年北京完



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vol.21