覇王別姫
(はおうべっき)

<演目紹介>
楚の覇王・項羽が漢の大軍に包囲された時、夜更けて四方を取り囲んだ漢軍中に楚の歌が
起こるのを聴き、楚の民が漢軍に降参したと嘆いた「四面楚歌」の故事はよく知られている。
(参考)映画「項羽と劉邦−その愛と興亡−」総監修チャン・イーモウ、コン・リー、レイ・ロイ主演。
1994年。

漢の劉邦に敗れた楚の項羽(覇王)と妃・虞美人との別れの悲劇。
司馬遷の「史記」の中にある「項羽本紀」や明代の「西漢演義」に題材をとり、
楊小楼が京劇に仕立てたもので、後に梅蘭芳や許姫伝が改作して現在の形になった。

<見どころ>
項羽の唱「力は山を抜き、気は世を蓋う。時に利あらず、騅逝かず。
騅逝かざるを奈何せん。虞や虞や汝を奈何せん」
虞姫、剣を取って舞いながら唱う。
「君よ、酒を含みて我が歌を聞きたまえ、我が舞う姿は、君の愁いを解くほどに・・・」
この、項羽の唱と虞妃の剣の舞が最大のクライマックスで見どころとなる。

京劇に使われる衣装はほとんどの演目に使い回しできるものであるが、
この虞姫の衣装は特別で、この演目の時だけ使用されるものです。
項羽の隈取も泣いているような悲しい表情の特別なメイク(哭瞼・クーリィエン)となってますので、
こちらも合わせて楽しんでください。



<あらすじ>
紀元前202年、現在の安徽省霊壁県において劉邦の率いる漢軍に包囲された
楚の覇王・項羽は大勢すでに去ったと覚悟をきめる。
四面に楚歌を聞き、戦闘で傷ついた愛馬・騅(すい)のいななくのを聞き杯を投げ打って項羽は唱う。
「力は山を抜き、気は世を蓋う。時に利あらず、騅逝かず。
騅逝かざるを奈何せん。虞や虞や汝を奈何せん」

 万策尽きた。もはや守り抜くのはかなうまい・・・


勝つも負けるも戦の習い、一時の負け戦などお気にかけるに及びますまい・・・


そう言って慰めるものの、もはやこれまでと覚悟をきめている虞姫。

その項羽の心情を慰めようと、虞姫が剣の舞を演ずる。舞いながら唱う。
「君よ、酒を含みて我が歌を聞きたまえ、我が舞う姿は、君の愁いを解くほどに・・・」

 項羽には笑顔を見せ、観客には悲しみの表情を見せる。


項羽に対する虞姫の愛情の深さが、悲しませないようという剣舞で表現される。



漢軍が陣中に攻め入り、舞い納めた虞姫は項羽に脱出をすすめるが
自分が足手まといになるのを恐れ、隙を見て項羽の剣を抜き、自刃する。



項羽、「妃よ!」と叫び劇はここで幕となるが、
項羽は逃れ鳥江のほとりで敵軍に囲まれ、虞姫を追って自刃する。
映画では、愛馬・騅だけがいかだで流され、主人を慕っていななくシーンが印象的だった。

(写真は1980年の虞姫・李維庚)



<tuziの感想>
なにはなくとも「力は山を抜き、気は世を蓋う。時に利あらず、騅逝かず。騅逝かざるを奈何せん。
虞や虞や汝を奈何せん」の歌を聞かねば覇王別姫ではない!
名優、梅蘭芳(めいらんふぁん)1894〜1961は虞姫役の剣の舞を振付けた人物である。
私が持っているVCDも梅蘭芳の虞姫で、自作の剣舞をしている。

 梅蘭芳

現在は女優が女役を演じるが、当時は男性が女性役に扮し(梅蘭芳も男性)甲高い声で唱った。
京劇を語るに彼抜きでは語れないほど現在の京劇界を確立した功労者であり、名優なのです。
二胡を京劇で初めて用いたのも彼でしたし、メイク、衣装の大胆な改革を行ったのも彼でした。
私は2002年北京に行った際、「梅蘭芳記念館」を訪れた。(徒歩1時間)
が!改装休館中で中には入れなかった・・・(泣)
文化大革命により、京劇での女形の継承がストップし、現在一人もいないが、
女形の復活は‘梅’‘芳’の名を受け継ぐ‘梅派’の悲願となっている。
いつの日か女形を復活させるべく後身の指導を中国京劇院は繋いでいる。
その伝統を守るパワーには目を見張るものを感じている・・・京劇万歳!








vol.14