1986年 ロサンゼルス

第1回 1986年9月13日〜9月18日

 祝!初めての海外旅行
私の初めての海外旅行はロサンゼルスでした。
特別‘行ってみたい’という願望があったわけではありません。
決め手は、‘旅費が格安だったから’です。
でも、私は‘映画好き’なので、ハリウッドや名優の手形がある‘チャイニーズシアター’には行ってみたいと
思っていましたから、まんざら興味がなかったわけでもなかったのかな・・・?

当時、海外旅行はまだ高値の花で、手軽にというわけにはいかない時代でした。
特に私の住んでる地方の田舎町では・・・。
現在では国内旅行より場所によっては海外旅行の方が安かったりしてますが。
「海外旅行はお金持ちだけのシンボル」的な感覚が強く、当時の私にとっては他人事でした。
レートだってまだ1ドル=180円台だった時代。
現在(2002年5月)よりずっとドル高だったことは確か。

ところが、ある日‘激安’のパック旅行を見つけたのだ!この値段なら私にも行けそうである。
早速友人にうちあけ「行ってみよう、行くしかない」という結論に達し、私たちは団体激安パック旅行に参加を決めたのでした。
それが、たまたまロサンゼルスだった・・・。

私と友人(andokoさん)は仲が良い。馬が合うというか、笑いのツボがいっしょなのである。
だから一緒にいて楽しいし、彼女となら自然体でいられる。そうそう得がたい友人なのだ。
彼女とは小学1年生からの付き合いで6年間いっしょ、中学もクラスこそ違ったが、いっしょに通学することもあった。
進学した高校も同じで、気がついたら3年間同じクラスだった。
卒業後もたまに会ったり、電話をしたり、温泉旅行に行ったりしている。
なが〜い付き合いなのである。



 出発の準備
初めての海外である。今思えば私はかなり慎重だった。
お金は全額トラベラーズチェックに。
この時使い切らずに残ったトラベラーズチェックを全額使い切るのに、なんと2002年までかかってしまった。
その間、レートが下がってかなり目減りしてしまっていた。
結局、邪魔なだけの‘お買い物クーポン券’と化していたのでした。
とにかく持ち物は、旅行社から渡された‘旅のしおり’に素直に従った。
当然ながらパスポートも初めての申請である。
受け取ったパスポートは現在のものと違って、ふた周りも大きくて、ごっつい。
犯罪者のような顔をした白黒写真が貼ってある。写真館で撮影してるから驚きだ。
初めてパスポートを手にした時は「命の次に大事なものはパスポートなんだ」と肝に銘じたものでした。
ところが数年後、「命の次に大事なものはお金」という人が現れて私は心底驚いてしまったのです。(2001年台湾参照)






 初めてのジャンボが・・・ 9月13日
この年、「大韓航空機の撃墜事件」が発生した。私たちが日本を発つ直前にである。
「もしや・・・」と思い、旅行社からの最終案内を見たら、航空会社が大韓航空とあった。
「やっぱり安いにはそれなりの理由があるのね・・・」

成田空港へもこの時が初めて。
「どうやって行ったものやら・・・」と写真を見たらスカイライナーに乗っているではないか。
そして、早くも空港内で意味もなく写真をやたらめったら撮っている。
空港の売店前で2枚・・・出発予定掲示の下で3枚も・・・ロビーのイスに座ってまた1枚・・・
入国審査に降りるエスカレーターの手前にある「旅客以外は入れません」の看板の横で1枚・・・
動くエスカレーターで1枚・・・出発ゲートの前で1枚・・・まだある・・・ロビーで待ってるとこを1枚・・・

この日、台風で出発時間が遅れた。外はざんざん降りの雨と横殴りの風だった。
加えて大韓航空機である。不安でしかたない。
それなのに待ってる間暇持て余して撮った写真では不安を感じさせないほどのピース、って。



 ハワイ経由
だいぶ遅れて成田を出発。途中ホノルルに給油のため立ち寄る。ここでも時代を感じます。
私たちはいったん機内を出て空港のロビーに待機させられた。
ハワイの空港なのに‘Trash’といっしょに日本語で‘ごみ箱’と書いてあった。
初めての海外で「日本語だ」と、ここでも1枚・・・何もかもが珍しく感じるところが田舎者のさが。
ほんの短い滞在時間、機内に戻って窓からチラと海を見ただけだったが、爽やかな空気感は忘れられない。
誰もがハワイに魅力を感じてしまうのは、この空気感に惹かれるのだろうか?
私の短いハワイ滞在は終わった。この先一生ハワイに行くことはないだろう。
どんなに勧められても、「行ったこともないのに、どうしてそんなこと言うの?」と罵られても行きたいと思わないんだから
仕方ない。なぜかさっぱり興味が湧かないのである。

そういえば、今回の旅行に私が全く興味のないコースが組み込まれていた。
それは・・・‘ディズニーランド’です。気が重い・・・。
andokoさんにもゴネてたのですが、コースに入ってるから行かないわけにはいかないし。
私のディズニーランド嫌いは単なる‘行かず嫌い’なんですが、幼い頃からこういった遊園地の類はなぜか好きになれなくて。
連れて行かれても楽しいと感じたことがない。
私が育った田舎にはディズニーランドのような洗練された遊園地などなかったので、恐怖ですらあったのです。
だったら‘行きたい’と思ってもよさそうなものを、やはり興味が湧いてきません。
andokoさんは既に‘東京ディズニーランド’経験者で「行ってみれば楽しいかもよ」と言ってくれたのですが
私は相変わらず暗いままでした。

ロサンゼルス空港に到着したのは夜でした。
碁盤の目に並んだ道沿いにヤシの木が植えられていて、それがまたオレンジの街灯に映えて、夜景がキレイでした。



 入国審査
私たちの団体は20人ほどでした。
その中に一人で参加したおじさんがいて、見るからに怪しい人物がいました。
この世界の人ではない風貌なのである。
「西部警察」の渡哲也サングラスに、ポマードで固めた髪。
赤いシャツに白のスラックス、先のとがった白いエナメルの靴はピカピカに光り、極めつけは銀色のアタッシュケース!
どうみても怪しいでしょう?アタッシュケースって何よ?
観光でしかも手荷物なのになんでアタッシュケースなんだ?
しかも銀色(銀色だからアタッシュケースっていうのか?) とにかく、どう見ても怪しいでしょう?
私とandokoさんは暗黙の了解のもと、このヤクザのおじさん(あだ名)をマークすることに。

入国審査で「Are you a student?」「No, I'm turist 」「How long stay?」「5days」
「OK!Have a nice day!」「Thank you!」と何事もなく通過した私たちだったが、
遠くのブースで思いっきり日本語でわめいている人がいる。ヤクザのおじさんが係官ともめていたのです。
そりゃそうだよ、黒のグラサンにアタッシュケース持ってるんだもん。
おじさんは英語ができないらしく、「あーあ・・・やっぱり、ひっかかってるよ・・・」と成り行きを見守っていた。
このままだと別室に連行されそうだ。・・・そこへ、今回の添乗員、福島が登場した。
私とandokoさんの間では、この添乗員福島は評判がすこぶる悪かった。
どうしてだったか忘れたけど、とにかく役に立たない(仕事が出来ない)くせに威張ってて、私たち客より偉そうなのだ。
自分も観光気分で、仕事は現地コーディネーターの黒江さんに任せっきり。
その場は福島が収めたが、ヤクザのおじさんは腹の虫がおさまらないようで、ふてくされていた。
そもそも、そんなナリだから疑われるんだけどね。
このおじさん、ナリは不審感まんまんなんだけど、いたって大人しい、むしろ地味なただのおじさんでした。
到着早々、そんなナイスキャラがひともめおこしてくれたのでした。






ロサンゼルス市内観光2日目 9月14日
 たぶん、ミュージックセンター
名称はわからないが半球形の屋外音楽ホールに連れて行かれた。
ここからホール越しにお馴染みの‘HOLLYWOOD’の白い巨大看板が見えた。
ホールの入り口の掲示板には1986〜1987年の公演予定が写真入りで掲示されており、
この頃クラシック音楽にはまっていた私は看板にショルティを見つけ、写真をねだった。
andokoさんは「なんで?(この掲示板がどうかしたの?)」と不思議そうだったが、すごいラインナップだ。
パールマンも演奏予定者の豪華なラインナップにひとりテンションが上がった。

   


私がクラシックにはまった頃はLPレコード時代だった。
もっぱらLPレコードを買っては聴いていたのだが、同じ楽曲でも、指揮者や楽団によってだいぶ演奏が変わるものである。
だからといって、全てを購入するなど、土台無理な話しだ。
ベートーベンならフルトヴェングラーとか、モーツアルトならベームかワルターというようにベスト盤があるものだし、
協奏曲になれば演奏家によって趣きが変わってくる。
とにかく、膨大な量のレコードの中からベスト盤を選び出さねばならない。せっかく購入するなら名盤を・・・。

何年か前に知り合った、仕事の関係の人で‘クラシック好き’の女性がいた。
60歳代の彼女の場合、それは‘追っかけ’にまでにエスカレートしていた。
というより彼女の場合、ビジュアルから入ったようでしたが。
昨年彼女は追っかけが嵩じてザルツブルグ音楽祭にまで出かけて行ったと言います。
筋金入りのクラシックファンなのだ。でも、彼女の周りにクラッシック好きがいなかったのだろう。
彼女はコンサートの興奮を私に熱く語った。
彼女は、指揮者のアバド(イタリア人で若い頃から活躍し、多くの指揮者の中で珍しくイケ面)のファンだと言う。
そりゃもう、ベタ惚れなんである。
「(ミーハーだなあ・・・)」と心の中で思いつつも「そうだったんですか・・・」と言うに留めた私。
彼女はペンダントにひそませたアバドの写真まで見せてくれた。
しかも、若い頃から2,3枚重ねてあった。
「下は旦那様の写真ですかぁ?」と聞いた私に「全部アバドよ!」と言い放った彼女だった。



 チャイニーズ・シアター
☆星のプレートが埋め込まれている歩道を進んだ先にチャイニーズ・シアターがあります。
ここはあまりにも有名なので説明は要らないくらいでしょうが、狭いです。
はっきり言って‘ありがたみがない’ほど狭くて小さいです。
手形と足形とサインの三点セットのタイルは、ひとつひとつ読むのが面倒で・・・。
ひときわ小さい足の黄色のタイルがマリリンモンローだとわかりましたが、あとは・・・記憶にありません。
探すことさえ放棄してしまいました。
映画好きの私が唯一楽しみにしていた場所のはずなのに・・・。

 一番手前のプレートはゲーリー・クーパーです



 ユニバーサルスタジオ
近頃大阪に登場しましたユニバーサルスタジオですが、私なんか今から16年も前(2002年5月現在)に
行っちゃったもんねー。
当時どんな所かさっぱりわかってなくて、連れて行かれるまま園内に入って、
「ハイハイ、乗って乗って」と促されるまま水色の屋根つき電動トロッコに乗せられ、自動的に運ばれていったのです。
‘ユニバーサルスタジオ’とはテーマパークだったのですね。知りませんでした・・・。
私たちは乗ってるだけなので、ディズニーランドの‘なんとかクルーズ’みたいな感じです。
当時のアトラクションは「ジョーズ」や「キングコング」それと、題名はわからないけど川が洪水になって
私たちの乗ってる電動トロッコが傾いて「キャーこわいー」という、今思えばカワイイもので、どれも時代を感じます。


キングコングの首に負けじと太い現地ガイド黒江さんの首(写真左)
それにしても、お客より前列に陣取るとはふとどき千万!黒江さんの隣は添乗員の福島


 洪水の波が押しよせる・・・



 UCLA (Univercity of California at Los Angeles)
‘生協’に行った。お買い物タイムである。思わず「えっ?ここで?」と思った。
私はここの大学のファンでもなければ、学生でもないのにUCLAロゴ入りのトレーナーピンバッジ
買うことになってしまった。
このピンバッジは方々に配ってしまったので私の手元にはひとつ残っただけだった。
なんだかんだいっても、この旅行の記念の品なので、ジャケットにつけて大事にしていたのですが、
2年ほど前のある晩、酒に酔って終電に乗りそこね、公衆電話で今晩の宿を探した時、
そのままその電話ボックスにジャケットごと置き忘れてしまったようなのだ。
「なんだか寒いな」と酔っ払った私が気がついた時はすでに遅かった。
飲んだ店に忘れたと思い、戻ってみたが「着てでましたよ」と言われてしまい、公衆電話だ!と気づいて戻ったけど
遅かった・・・とほほ、ジャケットはいいからピンバッジだけ返して〜おねがい〜。
それにしても、酔っ払って持ち物を忘れるようになったらおしまいだ。



 サンタモニカビーチ
映画「スティング」の舞台でもあるが、私の年代は桜田淳子でしょ・・・えっ?知らない?






滞在3日目 9月15日
 メキシコ
今日は、アメリカとメキシコの国境の町、ティファナを目指します。
あちこちに寄って買い物したり、休憩タイムをとり、昼食も済ませてからメキシコ入りしました。
この日、今回の参加者20人は強烈なキャラクターで「よくこういうメンバーが揃ったものだ」と思うほど
私とandokoさんを飽きさせないものでした。観光よりも「人間ウォッチング」のほうが楽しい私たちなのでした。

バレンシアシスターズ
‘やくざのおじさん’もそうでしたが、彼女たちのそのいでたちも私たちの目をひいた。
年齢の近い姉と妹らしいが、双子のように洋服のセンスが姉妹そろっていっしょ。
今から16年も前の話だが、その頃の私たちから見ても‘5年は時代遅れ’のいでたちなのである。
(バレンシアシスターズは当時25歳くらいと思ったが・・・)

特に私の目をひいたのはその足元だった。もう今や流行遅れのヒールのやたら高いサンダル。
写真を撮るときは、片足を前に直角に出すモデル立ち・・・構える時は絶対にモデル立ち。
これ、お決まりのポーズ。そして、ドライブインに入れば必ずバレンシアオレンジを購入。
私とandokoさんは何度か繰り返されたこのことに気がついたのだ。
‘バレンシアシスターズ’は今度もバレンシアオレンジを買って来るのか?
「・・・やっぱり」その手にはしっかりバレンシアオレンジが握られているのだった。


FARMERS MARKETに寄る度‘バレンシアオレンジ’を購入するバレンシアシスターズだった


歌舞伎のおばさん
妙にケバイ(=派手)おばさん(50歳くらい)と男性(同じく50歳くらい)のカップル。
この日、カップルは御揃いの歌舞伎Tシャツを着ていた。
マダムが歌麿、おじさんは北斎・・・ロスの抜けるような青空にピッタリだった。
マダムはTシャツのうえにアクセサリーを何重にも身につけ、おっきなイヤリングもつけて・・・。
私たちふたりは「スゴイ目立つね」「オソロイだよ」とこの大胆カップルを見守った。

休憩中にタバコをふかして退屈そうにしているおじさんに「Tシャツステキですね」
「ご夫婦ですか」と声をかけた。(この時奥さんは買い物中だった)
私は、御揃いのTシャツを着ているんだから当然夫婦だろう、と思って聞いたのだ。
「そうだよ」とあっさり言っていたので私も疑いもしなかった。
この成果をandokoさんに「やっぱり夫婦だった!」と報告したのだが、「イヤ、あれは愛人だ」と言ってきかない。
「まさかぁ・・」
「これはお忍び旅行よ」
「まさかぁ・・だっておそろいTシャツで、今朝なんか奥さん寝起き顔腫れててすごかったよ」
「こういうお忍びじゃないとお揃いなんて着て歩けないじゃない」
「寝起き顔は、ホラ見慣れているのよ」と一歩も譲らない。
「そうかなあ・・・でもだんなさん夫婦だって言ってたもん・・・」
「あれは、お水系ね。バーのママよ!」
andokoさんは、私の言うことなど耳に入らないといった風で独自の世界に浸っていたのでした。
「そうかなあ・・・?」と単純バカの私はだんだんandokoさんワールドに引き込まれていくのでした・・・。
ちなみに、帰国の日おばさんのいでたちは、トラ柄の上下スーツでした。

出発便と帰国便でしか会わなかった人
旅先で体調を壊すことほど悲惨なことはない。この旅行にもいたのである。
着いてすぐホテルから帰りの朝まで一歩も外に出なかった人が・・・何しに行ったの?悲惨だ。
でも、その彼女帰りの空港で私が歌舞伎のおばさんを隠し撮りしようとしたら偶然写ってて、やたら明るい。
具合悪かったはずなのに帰りはピンピンしている。どういうこっちゃ?
もしかしたら、しっかりロスを満喫していたとか?こっちがほんとの‘お忍び’だったりして・・・。


左から歌舞伎のおばさん、だんな様、具合悪くてホテルから一歩も出なかった人



 The Atlantis Restaurant で昼食
レストラン前に止まっていた、アメリカのやたら幅の広い車の前で写真を1枚・・・。
誰のか知らないけどやたら大きいバイクの前でも1枚・・・。
夏の抜けるようなカルフォルニアの青空の下、andokoさんはこの日‘たけし軍団Tシャツ’できめていた。

 アメリカは何でもデカイ!てか、こんなんも珍しく思えた


サンディエゴ
港街。なんかでっかい船の前で写真を撮っている。

 サンディエゴって映画「トップガン」の舞台でしたっけ?


このあとメキシコへ入国します。
1986年ティファナへつづく


1986年 ティファナへ
(ここでクリックしてください、続きが読めます)


ティファナから戻って。

マーケットに行く 9月15日
私たちの泊まっているホテルの周りには商店らしき建物がほとんどなく、どちらかと言えば閑静な住宅街の中にあった。
観光が終わってホテルに帰ってくる途中に大きなスーパーマーケットらしきがあるのを私とandokoさんはチェックしていた。
朝、ベッドメイクにきたメイドさんに「Over there at Super Market What time close?」と聞いてみた。
答えは「Yes!It is second cross!」
「は?」クローズと言いたかったのにクロスに発音したみたい。失敗。

結構晩くまで開いているようだった。私とandokoさんは夕飯がてらこのスーパーに向かった。
吹き抜けのホールにエスカレーターがドーン!
「アメリカじゃ・・・」何から何までBIG SIZE!
日用品(なべ釜)から文具、食料品となんでも揃えている。
一通り見て回ってから、地下の食料品売り場に向かった。
夕飯にしては寂しいかも知れないが、TAKE OUT できる、ホットドックコーナーがあったのでそれで済ますことにした。
ファーストフードとでも言うのか、マクドナルド、ロッテリアの類だ。
ここは、どちらでもないマイナーな店名でしたが。
後ろのメニューを読もうと挑んでいたら、‘チリドック’と読めた。
「どんなんだろう?」私は普通のチリドックに挑戦することにした。
飲み物は、カルフォルニアだからバレンシアオレンジといきたいところだが、
ホテルの朝食で既に経験済みなので、ここは‘グレープフルーツ’にしておこう。Mサイズで。

この時の食事のことをあげて、andokoさんは「貧乏旅行」と言ってるけれど、私はそうは思っていない。
確かに安上がりだったけど、「貧乏旅行」とはまた別で、こういう食事のことは当てはまらないのではないかと思っている。
豪華料理じゃなくて、現地の人が日常食べているの普通の食事を経験するのは、
観光旅行では特に貴重な時間なのではないか、と思っている。
ある意味観光旅行としては贅沢なのではなかろうか?
それに、豪華なアメリカ料理などには興味もないし、そもそもそんなの存在しないんじゃないの?

とにかく、チリドックグレープフルーツジュースMサイズを手にした私はそのジュースの色に「?」と
首をかしげることになったのです。
「ピンクって・・・?」
私は自分の発音がいけなかったのだろう、では果たして何を渡されたのだろうと、逆に飲んでみるのが楽しみになってきた。
ピンクの液体をゴックン・・・。
「あれっ?グレープフルーツだ!」(着色ではありません、100%果汁です)
今では、日本でもグレープフルーツはレモン色とピンク色が普通に出回っていますが、
当時の私はピンクのグレープフルーツなんて見たこともなかった。
「へー、アメリカのグレープフルーツはピンク色なんだ・・・」
このことを日本に帰ってお土産話に話していたら、何年か後、日本でもピンク色のグレープフルーツが普通に
出回るようになった。

チリドックの方は、赤のケチャップ容れと黄色のマスタード容れが置いてあって、セルフでした。
こんな体験も初めての私は、店のお姉さんがしきりに勧めるんだけど、
「何が入ってんの?」状態。「勝手に使っていいの?」「これ、どうやって開けるの?」
何年後かに見た映画「BIG」、トム・ハンクスが駆け出しの頃の出演映画で、
この容器(赤と、黄色の)がよくでてきたけど、当時の私は見たこともなかった。
今じゃ、アメリカと化した日本では当たり前になった容器ですが・・・。
トム・ハンクスも今や押しも押されぬアカデミー常連の中堅俳優になってしまいました。
私としては、彼が駆け出しの頃の映画も大好きだ。
「BIG」もそうだし、「スプラッシュ」もよかった。
中堅俳優になってからは、「プライベート・ライアン」がよかった。
スティーブンキングの「グリーンマイル」は、原作を先に読んでいたので、
「(映画化されたら主役はサム・シェパードがいいなあ)」と思っていたところへ
トム・ハンクスだったので、イメージが壊れてまだ見てない。
ところで、チリドックの味は、辛いのかと思いきやそうでもなかった。とっても美味しかった!
だけど、ホテルに帰ったとたん、明日行くディズニーランドのことを考えて気が重くなる私。
夜中、ひっきりなしにパトカーだか、救急車だか、消防車だかのサイレンが鳴りっぱなしだった。
「(アメリカだ・・・ここはロサンジェルスなんだ・・・)」と感じた夜だった。





滞在4日目 9月16日
 初めてのディズニーランド
私は気が重かったが、行くとなったら徹底して楽しみたいとも思っていた。
だから密かに‘3大ジェットコースター’を制覇しようと目論んでいた。今日も晴天で暑くなりそう・・・。

園内の真っすぐに伸びたショップやレストラン街をぬけると、中央の広場にでる。
広場はサークルになっており、そこから放射線状に6つのゾーンに分かれている。とてもわかり易い。
それほど広くなくて、思ったよりこじんまりまとまっているので、万一はぐれたら中央の広場にでればなんとかなる。
では、6つのゾーンを手前から紹介しよう。(  )内は代表的アトラクション。
ADVENTURE LAND (Jungle Cruise 他2)
NEW ORIEANS SQUARE (Haunted Mansion 他2)
BEAR COUNTRY (Teddi Barra's Swingin'Arcade 他2)
FRONTIER LAND (Big Thunder Mountain Railroad 他6)
FANTASY LAND (Matterhorn Bobsleds 他16)
TOMORROW LAND (Space Mountain 他12)

私たちふたりは真っ先にジェットコースター制覇に向かった。私のジェットコースター初体験である。
Space Mountain。待ち時間なし!チケットチェックのお兄さんは暇そうにしていた。
高速スピードのジェットコースターが真っ暗の宇宙を飛ぶ。
目を開けているか閉じているか感覚がない、でも、星が見えたから開けていたのだろう。
とにかく、真っ暗の中、逆さまにされるはグルグルまわされるはで、
そのスピードについてゆけず、ギャー、ギャーわめくは、よだれは垂れるはでスゴかった。
出てきて大きく深呼吸し、よだれを拭いた。あんまり騒ぎすぎて声もかれ気味だった。
「すごかったね」「・・・うん」「次、行こうか!」「・・・うん」放心状態の私。
あんなにイヤだったはずのディズニーランドの楽しさに早くもハマりそう・・・。

Matterhorn Bobsleds。待ち時間なし!白い雪山の中を高速で列車が走る。
最初のSpace Mountainがすごかったせいか、ゆっくりに思えてしまった。
ハイスピードが快感に変わってきた。トンネルありの、アップダウンありの、急カーブありーの。
楽しい!悲鳴もギャーギャーからキャー、キャーに変わってきた。
面白かったア!
「さあ、次ぎ次ぎ!」と気分が乗ってきた。
「ディズニーランドって・・楽しいじゃん!」

3大ジェットコースター制覇の仕上げはBig Thunder Mountain Railroad。待ち時間なし!
鉱山トロッコが山の中を駆け巡る。
チャイニーズボーイがでてくる「インディージョーンズ・魔宮の伝説」のトロッコ列車シーンのよう。
ヒュンヒュン飛ぶようにトロッコが走る。楽しい!
ウワー、アーレー・・・おおっと・・ウワー!
日本のジェットコースターとの決定的な違いはスピード感。
日本だと乗るとカタコト、カタコト登り始めて、これでもか!とためてためて・・一気に落とす。
ハイ、おしまい。
だからつまんない、だって、先がわかってんだもん。登って、落としておわり・・・。
でも、ディズニーランドのアトラクションは違う!
次、どうなるか、どう展開するか予測できない楽しさだ。
しかも、高速!曲がった!いや、まだ曲がる!まだまだ・・・フッと登った・・・
落ちるかと思えば、そこはフェイントである。フッ、と登って、おっと、トンネルだあ!・・・
とまあ、驚きの連続なのだ。これが想像力豊かなディズニーならでは。

andokoさんは待ち時間がないことに喜び、「東京ディズニーランドだったらこうはいかない」としきりに言っていた。
私たちは順調に3大ジェットコースターを制覇したのでした。時間はまだたっぷりある。

 白雪姫


園内を普通に‘白雪姫’が歩いている。
呼びもしないのに満面の笑顔であちらから寄ってきてくれる。
ピノキオとキツネにも捕まった。ピノキオは私の手をとり、キツネは私の頭をなでなで・・・。
写真におさまった私は満面の笑み・・・楽しかったのだ。

その後も私たちは、立て続けにたくさんのアトラクションに乗り続けた。
Jungle Cruise にも乗ったし、Rafts to Tom Sawyer Island にも行った。
トム・ソーヤとハックル・ベリーの小屋と吊り橋があるだけだったが、
木の上の小屋に登って大喜びの私。この夢の世界にはまり込んで抜け出せなくなっている。
かねがね夢中になっている大人達を不思議に思っていた私でしたが、なんとなく分かる気がしてきた・・・。

このあと、私たちは美味しいと評判のアイスクリームを食べながら小休止した。
食べ終わると、すぐさま乗り物に乗り続けた。もうこうなったら、手当たりしだいである。
有名どころは全部制覇したので、「もう、なんでもいいや」状態。
何も考えないでRocket Jets なるものに乗った。
二人乗りのロケットが1本のバーに10機ほど付いていて、だんだん上昇して、上でくるくる回る。
日本でもよく見かける単純な乗り物である。ところがである!これが一番怖かった!
Space Mountainの比ではない!andokoさんと余裕で乗り込み、徐々に上昇した。上昇が終わると回り始めた!
水平に回るだけじゃなかった・・・アップダウンを繰り返しスピードをあげた!

うっわー!こわいー!・・・いやー!もういやだー!
・・・おりるゥー
ここでおろしてー!!

空中に投げ出されるかと思うほどだった。遠心力で足元が浮いてきた!もう、怖くて怖くて・・・

はやく終わってー!!
とめてくれー!!

本気で叫ぶ私。半泣き状態。
andokoさんはジッと押し黙ったままだった。
どれだけの時間乗っていたのか見当もつかないが、とてつもなく長く感じた。

長いんだよっ!
ディズニーランドにも、怖い乗り物があるのですね(泣)

 これは閉じた状態、あー怖かった


ミッキーとミニー
さんざん乗り物に乗った私たちは「買い物しておわりだね」とショップに向かった。
ミッキーが出て来る扉もこちらにあるらしい。
私たちの到着と同時にミッキーが出てきたのである。
さすがミッキーはすぐに取り囲まれて人だかりになっている。
白雪姫、ピノキオとは別格扱い・・・私もツーショットで写真をとりたかったが、ミッキーもミニーもひっぱりだこで
ツーショットは難しそう。私の写真は知らない日本人が写っていた。
そのうしろでは足の長ーいアメリカ人のギャルがアイスを舐めながらこの喧騒を眺めている・・・。

そんなこんなで、私のディズニーランド感は一掃された。
嫌いだ嫌いだと行きもしないで言ってるハワイだってオーストラリアだって、実際行ってみれば楽しいのかもしれない。
でも、それ以前に行く機会がないだろうけど。






滞在5日目 9月17日最終日
 初めての免税店
初めての海外旅行は楽しいうちに終わった。ディズニーランドの楽しさも充分満喫したし。
数年後、東京ディズニーランドに行ったときは(社員旅行だった)東京の方が広い、ということに気づいた。
アトラクションも、当時ロスにはなかったスプラッシュマウンテンがあったりで、内容もかなり違っていた。
残念ながら、思い出のRocket Jetsは東京ディズニーランドにはありませんでした。

海外旅行といえば、免税店。
帰りの飛行場で免税品の買い物をしました。もちろん免税店も初めてです。
私は定番中の定番、酒、タバコを免税範囲ギリギリまで買っていこうと考えていました。
しかし、銘柄に疎い私は「酒はな、ナポレオンだぞ」と父に教え込まれてきていたのですが、
ここには‘ナポレオン’がたくさんあって、どれを買ったらいいんだかわからない。
「どのナポレオンだ?」と困っていた所へ歌舞伎のおじさんが通りかかった。
「どのナポレオンが美味しいんでしょうね?」と聞く私に「VSOPだな」と言います。
「V・S・O・P・・・へー」となると、‘CUMS NAPOREON’か?私は素直にそれに決定。

お次はタバコ。やはりタバコを吸わない私には、さっぱり見当が付かない。
悩んでいる私の横で「男は黙ってダンヒル」とささやく歌舞伎のおじさん。
「ありがとうございます!」と迷わず、赤いパッケージを手にする私。

酒とタバコを買い終わった私は任務完了とばかりにただぶらぶら眺めていただけだった。
そこへ・・・今度は上下トラ柄スーツの歌舞伎のおばさんがやってきて
「あなた!ミツコ買いなさい!安いわよ!買っときなさい!」と言う。
私はこの当時、ほとんど化粧をしたことがなかった。
だから、美容関係は、ほんとになーんにも知らないのである。
「・・・ミツコって何?」とみると、それは‘香水’だった。
それにしても変な名前・・・と思いながらも、いわれるまま買っといた

今では‘ダンヒル’も‘ゲラン’も知っている私だが、当時の私はとにかく歌舞伎夫妻に薦められるまま買ってきた。
そんなわけで私が生まれて初めて手にしたブランドはダンヒルとミツコだった。これって渋すぎない?

日本に帰ったある日、とある大手百貨店で歌舞伎のおばさんに遭遇した。
彼女は、バーのママではなくて、化粧品販売や宝石販売が本業だったのです。
「なるほど詳しいわけだ・・・」
「バーのママじゃなかったよ」とandokoさんに報告し、「本物の夫婦だったんだね」と言う私に、
「いや、愛人よ!」とandokoさんは一歩も引かないのでした。



1986年ロサンゼルス完



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vol.75