1986年 ティファナ

第1回 1986年9月15日

ロサンゼルス旅行の3日目にメキシコの国境の町ティファナ観光。

 国境
ロスからコーディネーターの黒江さんがいっしょだった。
黒江さんは40歳くらいの男性で、ロス在住日本人。色が浅黒く、首が太い。少し太り気味・・・。
道々「ロスは車社会」「砂漠の町」を何度も繰り返して言っていた。
日本からの添乗員、福島はすっかり黒江さんにおんぶに抱っこで、私たちのことはほったらかし状態。
ちっとも面倒を見る気がない。

  


午後2時過ぎにアメリカとメキシコの国境に到着。
バスを降りて歩道橋を渡る。歩道橋からはメキシコの車用のゲートが見えた。
国境といっても地続きなので車でも行けるわけだが、私たちはバスを降りて徒歩で国境を越えた。
遠くに西部劇でよく見る山々が見えた。アパッチ族が馬にまたがり‘雄たけび’をあげて駆け下りる山だ。
一棟の簡素な建物でアメリカからの出国とメキシコへの入国が済まされる。
この街はアメリカとの国境の町だ。
メキシコの物価が安いということで、国境近くに住むアメリカ人の多くが買い物にやって来る。
私たちはパスポートにバンッ!とメキシコのスタンプを押してもらい無事入国を果たした。
メキシコのスタンプは鷹か、鷲が右足に数本の矢、左足に何かの葉っぱを握り締めて、
契約書のような書類を胸に掲げている図柄の、大きくて立派なスタンプだった。
「(なくさないようにしなくっちゃ・・・アメリカに帰れなくなっちゃう)」と大事にカバンにしまう。

私たちの目的もお買い物である。私たちは歩きで指定された店に案内された。
指定の店までの道々、「国が違うことの落差」を思い知らされた。ゲートひとつくぐっただけでこの違いたるや・・・。
道端に4,5歳の子供が座り込んで造花や石鹸のようなものを売っている。
靴磨きを商売にしている子もいる。働いているのだ。子供ばかりではない、老人も同じだった。
腰が折れんばかりのおばあさんが、持ちきれないほどの色とりどりの造花を運んでは「買って・・・」とねだる。
商売というより‘物乞い’に近い。
私たちも買い物目的だし、「経済効果を考えてのこと」を考えれば、遠まわりに援助していることになると
考えられなくもないが、それでも私は判然としなかった。
「国が違うということは、こういうことなのだ」



 街中探検
私たちは店内に案内されると黒江と福島に「絶対に店から出ないように!」とふたりがかりで
釘を刺された。
買い物時間はたっぷりある。私たちは店内をくまなく隅から隅まで見て回った。
私もandokoさんもこれといって欲しい物は見当たらなかった。
そこでandokoさんが、メキシコスプーンを見つけた。
目の粗い陶器で分厚いが、ちゃんと‘MEXICO’と柄に書いてあって記念にはなる。
「さすが!これいいね♪」と私も真似て3本ほどGET!
しかし、使っているうちに作りが粗雑なので欠けたりして、ついに1本もなくなってしまった。
こんなことならもっと買って置けばよかったかも・・・。andokoさんの所にはまだ残っているだろうか?

スプーンくらいしか欲しい物はなく、時間はまだまだあまっている。退屈してきた。
andoさんもいっしょだったか・・・いや、私ひとりだったか・・・
あれほど「絶対に店から出ないように!」と釘を刺されたのに、無視して「メキシコを見に♪」店内から外に出た。
一歩踏み出すだけで大冒険である。初めて見る‘ラテン系’人種。
通りすがりの男の人が日本語で「アナタ、ビジン」「アシキレイ」と言ってくる。
私はめげずに交差点まで歩いて大通りを眺めた。
歩道をまばらに人が歩いていたが、車はほとんど走っていない閑散とした街だった。
「荒野の七人」で砂埃がヒューヒュー舞う中、ガンを構えるシーンが浮かんでくるような。
ただ外を眺めるだけのつもりだったのだが、私はいつの間にか歩き出していた・・・。

フラフラ足の向くまま歩いていたら、ローマの‘真実の口’に似たような顔が路地の突き当たりに見えた。
「なんだ・・・?」
吸い込まれるように無防備にも近寄っ行ったら、気がついた時には男共に囲まれていた。
「(ヤバイ!)」だけど、ここで動揺してはいけない。
「(何事もないように引き返すんだ)」とそのまま方向転換した。
人の輪がせまくなかったからセーフだったが、ほんとに冷や汗ものだった。

だけど・・・気のせいだったかもしれないのだ。
彼らはいつものように、ただたむろしていただけなのかもしれない。
でも、用心に越したことはない。ここは外国で、メキシコの路地なのだから。
それにしても、あれは‘真実の口’に見えたのだけど・・・確認できずじまいだった。

メキシコに行って帰ってくるまで私はずっとバックをたすきがけにしていました。
アメリカに再入国してホッとした表情の1枚の写真があります。
バックをたすきがけにして放心状態のtuziの写真です。
黒江と福島は脅しすぎなのよ・・・意味もなく怖がらせて、錯覚を起こさせる。
人間の心理などそんなものではありませんか?

怖い思いをしながらでも、この当時の私だから思い出が出来たのですし、この時にしか持てない感覚で旅をする。
二度とこの時代の私には戻れませんし、悲しいかな時間は進むしかないのです。
だからこそ、自分が‘どう思ったのか’‘あの時こう思った’ということが私にとっての、
財産になっていくのだと考えています。
だって、この感情だって私にとっては‘この時限り’の心境で、私たちは前に進むしかないのですから・・・。



1986年メキシコ・ティファナ完

ロサンゼルスへ帰ります。


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