ひとり 1994年 洛陽

第1回 1994年3月

北京〜洛陽

北京駅
北京駅から洛陽まで寝台列車で行く。北京駅前のロータリー(広場なのか?)は、人、人、人で
足の踏み場もない。
赤と青と白のストライプのシートに布団のようなものをぎっしり詰め込んで、おそらく切符の買えるのを
待っているのだろう。
それにしても、この人数ではいつになったら買えるのか、見当もつかない。
今日中には無理だろう、と思う。もう、夕方の5時くらいなのだから。
皆ロータリーに座り込んでいるので、その横を縫って歩いていくしかないのだが、
「後からやってきてお先にどうもスイマセン」の気分。
外国人観光客としての自分を意識した次第である。

駅の中に入ると、外のごった返しとはうって変わって意外と静かである。
通された待合室は、一等用なのでなお更静かになった。
(当時の私はまだそのような等級分けがあるのを知らなかった)

列車に乗る際に‘軟車’‘硬車’の別を知った。
車掌さんは若い女性の人で、日本では考えられなかったので少し驚いた。
男女同権の中国では当たり前なのだろうと思った。でも、なぜか中国の女性は怖い。なぜだろうか?
別に叱られたとか言うのではない、言葉が解らないせいだろうか?それもあるだろう・・・
口調がつっけんどんに聞こえる・・・笑顔がない・・・めんどくさそう・・・に見える・・・のです。
悪気はない・・・のでしょうが。強さの現われかもしれませんし。
私のようなどう見ても実年齢に見えない(当時)ような奴は、軽くあしらわれてしまいそうで、
タジタジ、ウニャウニャになってしまうのでした。


寝台車
軟寝台車は、二段ベットが向かい合わせでふたつで一部屋になっています。
私は、メンバーの中では最年少でしたので、半ば強制的に上にいかされました。
あー日本の女性も強かった・・・

ほどなく夕食の時間になった。食堂車まで移動である、これが遠い。
道々、硬寝台車を通る。軟車が個室とすると、硬車は大部屋で、3段ベットがふたつで脇は
通路ですので、プライバシーはなし。私達が通り抜けするのですから。
ここで私はあるものを発見した。ビン。なんと説明すればいいのだろう・・・
透明のビン。直径10センチ、高さ20センチ、ねじって締めるアルミの蓋が付いている。
中身は、水の中にいっぱいのワカメ・・・(?)「(なんだろう?)」
言葉ができない私の頭の中には「(?)」皆同じようなワカメのビンを持ってるんです。
食堂車までの間ずっと頭の中は「(?)」
ずっと後で解ったことですが‘お茶’だったんですね。中国茶は発酵が進んでいるので、
何回でもお湯を足せばお茶気が出ます。お湯はポットでいくらでも貰えるので、
お湯だけ注ぎ足して飲める。葉っぱがふやけてワカメ状態になっていたというわけです。

夕飯にみんなカップ麺を食べてました。
見たことないラベルのカップ麺食べてみたかったなあ。向こうは、向こうで食堂車に向かう
外国人観光客をカップ麺すすりながらチラリと見、こっちはこっちで「美味しそう、なんだろう・・・」と
チラリと見る。
なんだかなあ。


食堂車
やっと食堂車です。白のレースのカーテン、白の椅子カバー、白のテーブルカバー、
テーブルの上には花瓶に埃をかぶった造花の花が添えられている。
私は旅先ではほとんどアルコールは飲まないのだが、写真を見るとこの時なぜか
ビールを飲んでいる。
ビールは日本では飲むこともないのに(炭酸が苦手)どうしたというのだ?
まあ、向こうのビールとやらを飲んでみようとでも思ったのだろうか。
それとも、つよーいおば様に勧められ断われなかったのか。

そうそう、料理ですね。その前に食器から。
日本人観光客は、出された皿や箸が汚れてなくても、持参したウェットティッシュでふきふきして、
食べ物がテーブルに落ちたら絶対拾わないんだけど、私は少々汚れていようが、
食べ物が落ちても拾って食べてしまうような「死にゃあしない」っていう主義なんです。
が、この時ばかりは、ふきふきしてしまいました。

料理は美味しいとはいえないけど、まあ列車なんだし、こんなもんだと思ったのですが、
いただけなかったのが、ご飯なんです。籾殻が・・・ついてるんだもん。
食べてみる、じゃりじゃりします。うーん、困った。
籾殻付きご飯は後にも先にもこのときだけです、もうお目にかかることはないでしょう。
ともあれ、満腹の後は寝るだけです。明日は、洛陽だ。


鳩の丸焼き
早朝、どこかの駅に着いた。
中国の列車はいったん駅に止まると駅によって違いはあるものの停車時間が長い。
この時も30分くらい止まるという知らせが来た。みんなホームに降りて体をのばす。
私はなぜか降りずにジッと出発時間になるのを待っていた。今思えばもったいない話だ。
ホームでは、簡単な食料品や、飲み物やお菓子などが売られていたように思う。

ひとりのオジサンが誇らしげに帰ってきた。
手には、紙に包まれ、油のしみてる物体・・・「いかがですか?」と正体も告げずに薦める。
顔がにやけてる、確かに怪しい・・・「何ですか?」と覗き込んだら鳥である。鳥まんまである。
でも、鶏にしては小さい。雀にしては大きい。またも「(?)」である。
ここでオジサンが自慢げに言いはなった「鳩だよ」これを聞いたまわりの人たちから一斉に
ブーイングと野次が飛んだ。
「えー!何でそんなの買ったの!」
「平和のシンボル鳩を食べるなんて!
信じられない!!」
中には、興味を示して「ほほお、それは珍しい」(夫)
それを聞いた奥さんは「あなた!やめてください!」と。
結局オジサンは誰もおすそ分けに乗ってくれず、さみしく非難されたのでした。
私は、肉食を絶ったのですが、興味が湧いたので分けてもらった。
その時オジサンは、少し涙目だったと思う。えらいもの買ってしまった、と思っていたに
違いありません。
肉は普通の鶏肉のささみの味。醤油につけてから焼いた味です。
私は「普通に鶏肉ですね」と訳のわからん感想でおじさんを慰めた。ごちそうさまでした。




洛陽 1日目

龍門石窟
黄河の支流、伊水(イスイ)の畔、背後に香山(東)、伊水を挟んで向かいは興龍門山(西)。
洛陽は隋朝の都であり、ここ龍門石窟は、洛陽城の南13kmのところにある。
規模は、川に沿って1kmにわたって崖壁(興龍門山)に仏教彫刻がほどこされている。
この窟は、甘粛敦煌の莫高窟、山西大同の雲巌石窟と中国三大石窟に数えられ、
1961年国務院公布の全国重要文物保護に指定された。
石窟が開かれたのは、北魏孝文帝が平城(現在の山西省大同市)から洛陽に遷都(493年)する
前後から始まり、東魏、西魏、北斉、隋、唐、宋諸朝にわたって彫り続けられました。とさ。
龍門石窟研究所の調べでは、東西両山に窟が2345個、碑刻2800余、仏塔40座、
造像10万尊あるとのこと。碑や歴史書の記載によると、造彫者は皇室関係者、貴族、民間商人、
平民百姓にいたり、外国仏教徒の手によるものも少なくないという。

北魏中期の代表窟に、古陽洞、賓陽中洞、蓮花洞、魏字洞、皇甫公窟。
唐代の代表窟に、奉先寺、万佛洞、潜渓寺、看経寺、大萬伍佛洞。
中でも、奉先寺大蘆舎那佛(Vairocana Buddha)は、規模最大。
中国仏教芸術最高峰と称えられている。
高さ17.14m、頭高4m、耳長1.9m。荘厳、雄偉、叡智、慈祥。
左(北)に菩薩(Bodhisattva)、右(南)に阿難、文殊をしたがえ、
菩薩の左(北)に甲冑の天王(Heavenly King)、金剛力士(Vajra Pani)とつづく。
天王と力士は、両足で(Yaksa)を封じている。

大蘆舎那佛菩薩の微笑を含んだ眸は万人を供養するに充分であり、唐代芸術の頂点にある。
・・・とパンフレットに書いてあります。(中国語、英語版)ふー終わった。


えー、前記のとおりでございます。仏教信仰の修業、祈願、奉納としてここに彫刻をしたのでしょう。
一言で、屋外(崖壁)ですが複数のお寺です。
北から南に1kmでして、まず私の目を引いたのは、ピース(Vサイン)仏像です。
ふざけるつもりはないのです、普通仏像は、二本指立てたら指はくっついて閉じてますよね。
それが、確か・・・開いてたんですよ。ちょっと気に入ったもので・・・

例の奉先寺ですが、ここは他よりいちだんと高い場所にありまして、階段をかなり登らなければ
なりません。
階段の下からは見えなかったように記憶してます。
あがりきると、中央ダ―ン!大蘆舎那佛ダ―ン!菩薩

ダ―ン!阿難 ダ―ン!文殊
ダ―ン!天王 ダ―ン!金剛力士

というわけです。サイズ的にはかなりみんな頭でっかち(4頭身)です。
作成当時は階段はなく、下から見上げるわけですから、頭でっかちで丁度好いというわけです。
な―るほどねえ。




龍門おまけ ピータン
階段を、ご夫婦で参加された奥さんといっしょに登る、ご夫婦で東京中野でラーメン店を
されてるそうだ。
なぜか、ピータンの話になり、作り方を教えてくれた。「簡単なのよ」という。
「卵を塩水にひたしてカメにいれて2、3週間置いとけばよい」と。
聞き違えたのかもしれないし、なんか納得いかないままだった。生卵?ゆで卵?
帰ってさっそくやってみた、生卵で・・・一週間もしないうち腐ってきて・・・
それでもできると信じ待つこと2週間・・・限界です・・・くさ−い・・・
やっぱり一度腐ったらピータンにはならないのだ。
ゆで卵だったのかしら?あれ以来、ピータン作りに挑戦していません。

 赤い飾りのラクダちゃんと伊水


龍門おまけ ハンコ
階段の下にパラソルとテーブルだけのハンコ屋さんがあった。‘‘5分で彫ります’’が売り。
1本1000円(約1cm角)父のお土産にしよう!父のフルネームは名字1文字、
名前1文字の計2文字である。
私は、横書きで漢字を書いた。
なにかつぶやいて(中国語読みしたのだろう)ためらいもせず、さっそく彫り始めた。
さすが龍門!下書きもせず、器用に文字を逆に彫っている。
傍らにはハンコ店の奥さんと、中国人のお客さん、観光に来た軍人さん、私の4人が囲む。
奥さんは見慣れたものだが、3人は黙って手元をみつめたまま・・・
本当に5分ぐらいでできちゃった。日本に帰って父に渡したら判を押して父いわく「逆だ!」と。
そうか!!私が、横書きしたからハンコ店主はそのまま横に文字を並べた。
横並びとなると普通、名字は右に、名前は左に写らねばならない。
ところが、そこは中国の人、どっちが名前でどっちが名字か分らなかったのだ。
これは完璧、私の落度です。縦書きすればこんなことにはならずに済んだはず。
父がこのハンコを使ったのを見たのは、この時一度だけである・・・グッスン。

 5分でいっちょ上がり!


関林廟
ここは、三国志の英雄関羽さまの廟(首塚)です。今だから偉そうに言ってるけど、
この当時まだ三国志を読んでない私は、「えっ?誰それ。カンユ(肝油)?」などと
罰当たりなことを口走ってたのでした。
だから、この時は首塚も見てないし、なんと青龍刀も見てない。あーあ。なんておバカな私。
アホちゃいまんねんパーでんねん。
ここで記憶にあるのが、今思えば首塚のまん前にあるお堂(八角堂)に、コインを入れて
中で‘チャリン’と鳴るのが聞こえればラッキーだとかいって、みんなして鳴った、
鳴らないで盛り上がった・・・
ということだけ・・・うっ、ばかばか。
それと、廟までの道に狛犬がズラーリ、聞けば馬止め用だとか。
それだけ詣でる人が多い、ということにもこの時は思い至らなかった。

私が三国志を読んだのは、この後何年か後です。吉川英冶文庫(講談社)全8巻を一気に読んで
(これで私も三国志ファンの仲間入り)
三国志紀行ビデオ全3巻、講談社(総額13、000円也)まで買った。

読んでるうちに「ん?待てよ、これって洛陽の・・・関林・・・?!・・・行った・・・

あー!!!なにー!!!
青龍刀?見てなーい!!
く・・く・・くびづかあ???あったっけ?だめだこりゃ・・・
もうあせったのなんのって、遅い!っちゅうねん、関羽さま出直します。
また来いてことなんですね。ハイ。(というわけで詳しくは次回、1997年雪辱の洛陽で。)


白馬寺
中国最古の仏教寺院
ここは、私の大好きな寺院で、何度行っても、何時間いても飽きることのない場所です。
洛陽が好きな理由のひとつに、ここ白馬寺があげられるほどです。

パンフレット(中国語版)によると、建立は西暦68年。
その前64年に明帝の夢に身長2mの高貴なお方が現れた。翌朝側近の者にこの夢を話し、
夢に現れた人物に博士等18人の遣いをだした。
大月氏国には、インドから仏教布教しに高僧がおりまして、60万に及ぶ佛経、佛像が存在していた。
これらを白馬に乗せて洛陽の都まで運んだ。
この時、同行して来てくれたインドの高僧のために、都から12kmの場所に白馬寺を建設し、
ここから中国で初めて仏教を布教し始めた。
だからここは、中国仏教発祥の地なのである。

大佛殿、天王殿
ここの釈迦佛さまはいい顔してるんです。巨大であるばかりでなく、見下ろされたその眸が
なんともありがたーい、のです。体は、金色だったように記憶しています。
指のポーズも他では見たこともない、斬新でちょっと真似できません。
時間を忘れるほど見とれてしまいます。しまいました。
両側に控えてる、文殊菩薩、普賢菩薩もありがたーいんです。ここで横になりたいくらいです。
弥勒佛もすごいのよ、その裏手にある韋駄天、四天王像(東方持国天、南方増長天王、
西方広目天王、北方多聞天王)・・・これほど、素晴らしい仏像は私は見たことがない。
もうね−ここは、行くしかないですね。(私が)
大雄殿
ここもねえ、三尊(釈迦佛−娑婆世界の救世主、その左に薬師佛−東方琉璃世界の救世主、
右に阿弥陀仏−西方世界の救世主)が、なんていうの・・・こう・・・本当に瞑想してる・・・んですよ。
接引殿
これはねえ、素晴らしい(またそれか)遣いに出た18賢者の像。本当に素晴らしいのよ。
名前は、かつあいさせていただきますが、この18人がみんな個性豊かで、
名前とそれがマッチしてるとこなんざニクイでないの。こんなに絶賛してるというのに、
埃まみれなんだものなあ。
掃除しろよ、掃除!
白馬
寺名の由来となった白馬ですが、しっかり像があります。コピーと本物がありますので要注意。
本物の設置場所は・・・おしえなーい。
健気な像なんですよ、これが。こんなロバみたいな小柄な白馬が運んだとは・・・うっ。(涙)

素晴らしいとしか言ってないのですが、一見に如かず、ということで。このへんで次へ。


初めての黄河
予定にはなかったのですが、参加者の希望で黄河を見に行くことになりました。
ガイドのお姉さん(私より年下)が言うには「チカイデス」だって。なのに1時間は走ったはず。
到着した黄河は、見た目には「(なーんだ、もっと海みたいなのかと思った・・・)」
きっと、みんな同じこと思ったはずです。顔に「(?)」がついてましたから。
バスを橋のたもとに止めて、みんなはそこから川原へ下りていったんですが、
私は下りずに橋の上から黄河を眺めていたのです。
そこへガイドのお姉さんが「この橋何kmあると思いますか?」と聞くのです。
「えっ?kmですか?」あなどってました。謝ります。kmだもの。
数字は忘れてしまいましたが、見た目からは想像がつかないほどの距離だったことは確かです。


洛陽のホテルで
ホテルに着くと寝台車に預けたカバンが着いていた。
私は、スーツケースを持っていないのでいつも普通のカバンで旅行をします。
鍵はかけますけど南京錠です。
しょぼいカバンは狙われないはずなのに、外のポケットに入れておいた肩掛けバンド、
ティッシュが無くなっていた。
青くなったのが、フィルムである。
確か、撮り終えたのだけ外ポッケに入れた気がするのだ。
カバンの中は、なにも無くなっていないので新しいフィルムは大丈夫。
探したけど、撮り終えたのだけが見つからない「どうしよう・・・(半泣き)」
一応、添乗員のお姉さん(ちょっと恐い)に電話する。
「あーもう諦めるしかないわね」と他人事なので冷たい。
私も腹を決めて諦めた!・・・ところへ出てきたのである。ホッ。お騒がわせな夜だった。
そして安心してアカデミー賞(米)をみたのだった。
この年の受賞は、監督賞、作品賞共にクリントイーストウッドの「許されざる者」だった。



洛陽 2日目

洛陽博物館
入ってすぐ目を引いたのがホールにあった置物である。別に文物ではない、と思う。
博物館の目玉はなんといっても‘唐三彩’である。
唐代に入ってコバルトの青が出せるようになったんですよね。

ここを出てから洛陽の土産物を買わされに、唐三彩工場に連れて行かれた。
流れ作業で唐三彩馬を作っている、全て手作業である。土産物とはいえ、高価で手が出ない。
観光は忙しく、土産物店では時間をたっぷりとる。パック旅行だから仕方ない。
この時、台湾からの観光客といっしょになり、彼らも時間をもてあまし唐三彩をバックに写真を
撮りあっていた。
見てるとポーズが派手派手でおもしろい、まるでアイドルスターのポーズなのだ。
ピータンのおばさんとその様子を見てて、いなくなってから同じ派手派手ポーズで写真を撮りあった。
恥ずかしいやら、おかしいやら。

 唐三彩工場で色付けをしているところ


それでも時間をもてあました私は外に出てみた。
洛陽は街路樹が見事で、いかにも古い都を感じさせる街である。
こじんまりした田舎街といったところ。飛行場もない、ここに来るには列車しかない。
不便だが、そこがいい。勝手な言い分だが、このままであってほしい。
洛陽は落ち着いた古都というのが私の印象です。
関林あり、白馬寺あり何度でも来たいと思う私の大好きな街です。



洛陽〜西安

鄭州発西安行
午後列車で西安に向かいます、夕方には西安に着きます。
鄭州始発の列車に洛陽駅から乗ります。

車窓からはどの民家の軒先にも、とうもろこしがたくさん下げてあった。
そのとうもろこしが、私が幼い頃ばあちゃんの家で食べた紫色やピンク色の色とりどりの
とうもろこしで、すごく懐かしかった。
プチプチした感じではなくて、モチモチした食感の‘とうみぎ’(方言)であった。
馬の餌にしていたともいうらしいが、私は夏休みばあちゃんの家でよく食べたものだった。
(色の付いたところだけ拾って食べて、虫食い状態にしたりして楽しかった)
今ではどこでも植えていないので目にすることもなくなっていたので、とても懐かしかった。

春なので山には自然の桃の花が満開だった。濃いピンク色で、どんなに遠くにあっても
目立っていた。
「春だわア」と感じた。

ある駅で停車した際、三峡と勘違いして写真を撮った。
(黄河流域に三峡があるはずない、三峡は長江流域なのだから。なんて恥ずかしい・・・)
その駅名は、三門峡(ここに何年か後に行くことになるとは思ってもいない、
写真を撮ったことさえ忘れてしまう)この時既に縁はあったのだ、妙なものだ。

 三峡と勘違いした駅。よくよく見れば三門峡


最後の最後まで洛陽ではアンポンタンぶりを発揮した私でした。
やり残したこともたくさんあります、必ず戻ってくることをかたく心に決めた洛陽なのでした。



1994年洛陽完



1994年西安


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vol.19