Chiesa di Ssn Pietro in Vincoli
in Roma


「ユリウス2世の墓碑」
Michelangelo

「ユリウス2世墓碑」(全体)ミケランジェロ


’96年イタリアでみた彫刻の中でこのモーゼ像はラオコーン群像に並んで私を感動させた。
魂を感じる・・・「時間を超える」と思った。
ミケランジェロはこの墓碑のために自ら大理石の切り出しに赴いている。
材料には吟味に吟味を重ね、巨大な一枚大理石を切り出した。
(ミケランジェロの手によるのは下の3体のみ。モーゼ、ラケル、レアである。)

システィーナ礼拝堂での4年間の肉体的苦痛からようやく解放されたミケランジェロは、
フレスコ画の成功にもかかわらず、改めて彫刻にとりかかった。
とりわけ心にかけていた「ユリウス2世の墓碑」だった。彼とユリウスの関係は特別だった。
依頼主であると同時に、彫刻家に絵画を強いた相手でもある。
苦手とする絵画の分野で、しかも長年にわたる苦痛を強いて、完成を催促して急がせる
気の短い老人(最高司祭)だった。
そのたび、ミケランジェロと衝突していたし、決して妥協することなく完璧を求めた。
ある日ユリウスが「いつ礼拝堂は完成するのですか?」と尋ねたところ
ミケランジェロは例の調子で「私の都合次第です」と答えた。
教皇はかんかんに怒って、手の杖で殴り返しながらこう言い返した。
「私の都合次第だ!」
ミケランジェロはその度にローマを出て行く支度をしたという。
ユリウスは使いをよこしてなだめる。
それでも、なかなか完成しないと、「足場から突き落としてやる!」と脅しにかかった。

ミケランジェロにとっても職人としてシスティーナ礼拝堂の失敗は許されなかった。
天井画は成功したものの、ミケランジェロ自身は満足していなかった。
「あの作品が私の思い通りに完成しなかったのは、教皇に急き立てられたからだ」と。
ユリウス2世が死去したのは礼拝堂の公開からわずか4ヵ月後のことだった・・・。


「モーゼ」 ユリウス2世の墓碑の部分
Michelangelo

「ユリウス2世墓碑」(部分)ミケランジェロ


ミケランジェロのモーゼは腕の筋肉や両手の骨や神経にいたるまで完璧に造り上げられている。
下肢、膝、さらに見事なサンダルをつけた足元。
たっぷりとした髯、それをかき分ける指、頭のツノ。
怒りをグッと抑えながらも微かに残る眉間のしわと一点を見つめる眼光、閉じられた唇。

私はこのモーゼ像が見たくて、この教会にやってきた。
ユリウス2世の墓碑とは知らなかった。
訪れる人も少ない地味な教会ですが、この彫刻は観るに値すると私は思う。








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