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イタリア滞在5日目 アッシジ〜ローマ
日本料理
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お昼にローマに着いた。すぐに昼食。ローマのガイドさんはアグニさん。
日本人女性だけど、イタリア語のRの巻き舌がやたらうまい。
50歳くらいだと思う、傘を旗代わりに振り回してローマの街を闊歩する。こういう生き方がしてみたい・・・と思う。
そんなアグニさんの向かった先は、日本料理店だった。
「(なんでイタリアに来て日本料理なんだ(怒)」と内心思ったが、仕方ない。
まずくてもいいからイタリア料理のほうがいいんだけどな・・・
トレビの泉
映画「ローマの休日」でお馴染み。
コインを後ろ向きに投げると再びローマに戻ってこられるという、ローマ最大の噴水。
コインを後ろ向きに投げただけでいいはずなのに、‘かしわ手’打ちそうになったもの(笑)
手を合わせて願い事しちゃったりして・・・日本人だね。
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実際行くとその狭さにビックリすると思います。観光客がわんさかいるもんだから、スリに要注意。
イタリアはスリ、カッパライ、ジプシーが多いのです。といっても私はノーマーク。
被害にあったことがない。どこぞのおばさまは、バックをナイフで切られたとか・・・
ヴェネツィア広場
多くの通りが集中しているので、道に迷ったら広場の‘エマヌエーレ2世’をめざせ!
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コロッセオにバスで向かう。その途中、バスの前方に一瞬円柱が数本見えた。
「!」体に電気が走った。「な、な、なに?いまの・・今の何?」
Cさんも同じ思いだったらしい・・・。
コロッセオ
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映画「ベンハー」の猛獣シーン、新しいところでは「グラディエーター」を思い出す。コロッセオ横には‘凱旋門’がある。
中には入れなかった(本当に残念)。鉄柵ごしに中の様子を見ようとするけど限界がある。
入ってみたいよー(泣)仕方ない、次回持ち越しです。
それにしても古代ローマの遺跡に感動した私。圧倒的な何かを感じた。この時「ギリシャに行かねば・・・」と
心底思った。
ところで、さっきの円柱は何だったのか・・・帰ってから調べるとフォロ・ロマーノだった。
むきだしの云わばただの柱3本に、これほどまで人の心を揺さぶる力があろうとは驚きだった。遺跡の重みを実感。
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夜のバチカン サン・ピエトロ寺院
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カトリック総本山。
ミケランジェロ作「ピエタ」
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十字架から降ろされた息子キリストを母マリアが膝に抱いている。
わが子を失った悲しみがマリアの左手の無力さに・・・イエスの安堵が両足に感じられて言葉もない。
ところで、このマリア30歳の息子を持つ母にしては若い。少女のような顔立ちである。
ラファエッロ「キリストの変容」
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またも「(ここにあったんだ・・・)」状態。画集で見たのと違って荘厳さが感じられる。天上界のキリストがまぶしい・・・
これが‘カンツォーネディナー’だ
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古代ローマの衣装に身をつつんだレストラン従業員が料理を運んでくれる。
あとは、カンツォーネを唄うおねえさんが各テーブルを回ってリクエストに応えたりする。
楽しいお食事・・・と言いたいところだが‘チップ’の問題が私を苦しめた。
カンツォーネのおねえさんがテーブルに来る度に‘チップ’が必要だ、というのだ。
おねえさんは食事中何度もテーブルにやってくる。食事どころでない。
要は細かいお金をたくさん持ってないと困るのである。
だれだってそうそう小銭ばっかり持ってるものではない。テーブルメンバー8人はやや動揺。
こういう‘お会計’関係はからきし駄目なんです。幹事はできても、会計係りはさせるな、の人。
こんな四苦八苦の私をよそに、Cさん本領発揮!見事に私たちのテーブルチップをまとめあげた!
Cマジック!私はその計算を横で聞いてても解らなかった・・・
お会計はCさんに任せてこれで安心。この日も私はほろ酔いョ・・・
同じテーブルに‘茶髪のあねさんふたり組’がいた。Cさんはこの時「きみ、頭いいね」と、茶髪に言われたそうだ。
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イタリア滞在6日目 バチカン&ローマ
システィーナ礼拝堂
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サン・ピエトロ教会は教会部分と美術館に分れている。
今日は美術館に行く。目玉はなんといっても「システィーナ礼拝堂の天井画」
ところがなんである、「総本山、恐るべし」である。
またしても「あー!ここにあったんだ」状態。やはり本物は違う。アテネが感じられる。
地中海性気候(体験したことないけど)の乾燥温暖が感じられる・・・
そうだ!温度があるのだ!
署名の間天上画も全てラファエッロである。「哲学」「詩学」「神学」「法学」などなど・・・・
ヘリオドスの間の壁画、天井画も全てラファエッロである。
「ここって、ラファエッロが落札したの?」「バチカン専属?」
これでもか!というほどラファエッロを見せられた私。でも、ミケランジェロ一筋なんです・・
彼は、苦労人である。彼はフィレンツェ近郊に生まれました。
13歳修業開始(石工の家に里子にだされた)
24歳「ピエタ」
26歳「ダヴィデ」
30歳には教皇ユリウス2世に見込まれ、教皇から墓碑を依頼される。
33歳からシスティーナ礼拝堂の天井画、壁画開始。
37歳天井画完成。
39歳この頃、ラファエッロ8歳年下がサン・ピエトロの建築主任になる。
43歳フィレンツェ、メディチ家の仕事をこなす。
45歳ラファエッロ死亡(37歳)、前年ダ・ヴィンチも死亡
49歳「黄昏」「暁」
51歳「昼」「夜」
54歳フィレンツェの築城総監督
60歳パウルス3世により、ヴァチカンの御用最高建築家、彫刻家、画家に任命
66歳「最後の審判」
70歳「サウルの回心」
71歳教皇によりローマ、サン・ピエトロのための建築主任。「ペテロ磔刑」
75歳フィレンツェ大聖堂「ピエタ」
89歳「ロンダーニのピエタ」(未完成)、2月18日死亡
一見輝かしい経歴のように見えるかもしれない。が、彼の苦悩は計り知れない・・・
彼が30代後半、絵画を描き始めた頃の、当時イタリア絵画の風潮は、
「絵画芸術は教会への奉仕であり、キリストの受難やその他のよき手本を描くものである。
また、絵画は人間の面影をその死後も残すものだ。」といわれていた。
これに72歳になっても「絵画は彫刻に近づけば近づくほど優れたものとなるが、
逆に彫刻は絵画に近づけば近づくほど劣るように思える。
彫刻は絵画にとっての光源であり、この2つの芸術は太陽と月ほども違うものだ」と生涯を通じてあくまで彫刻家として
一貫していた。
こういう人であるから、職人として不承不承ながら絵画を描いていたことは明白である。
33歳から4年間孤独と時間との闘い。フレスコ画はまず漆くいを塗って、
これが乾く前に絵の具を染み込ませて描いていかねばならない。もちろん窓は閉めきったまま。
油彩画やテンペラと違ってほとんど修正が効かない。
いったん手をつけた部分はその日のうちに仕上げなければならない。
天井である。架台を組んで(自分で作り直した)、腰を折ったままの姿勢で何時間も毎日である。
絵の具が顔に落ちてくる、身体的にも辛い仕事である。
明かりはランプだけ、暗い。そして煤ける。たったひとりである。
(用意してくれた優秀な助手は帰して、気心の知れたわずかな助手のみ)お父さんに宛てて手紙を書いている。
「これは私の専門ではないのだ」
「何の成果もないままに時間を浪費している・・・」と泣きがはいってます。
何の成果もないって・・・絵画を嫌っていながらも、これほどの作品に仕上げといて言わんといて!
彫刻となると石の切り出しから活き活きとしてたみたいで、大きな仕事(教皇の墓碑)を依頼された時などは
8ヶ月以上も山にこもって吟味したという。彫刻で彼の右にでる者はいない。
競争相手たちは彼をおとしめるために裏で策を講じ教皇に働きかけたという。
ミケランジェロがラファエッロ以上の技量を発揮しなければ破滅。
「絵画は習熟してないから失敗するかもしれない」と言い訳して、逃れようともした。
代わりにラファエッロを推薦までした。
でもどんな言い逃れも聞き入れられず、結局折れるしかなかったのです。
考えてもみてよ。専門外で嫌いなんだよ。「折れるしかない」っていったって4年も辛い仕事。
「なんの成果もない」って思いながら描いてるんだよ・・・気の毒だ。
気の短い教皇が完成の催促をしにやってくる。
「私の都合しだいだ」と現場のミケランジェロが盾突くと、教皇は「足場から突き落としてやる」と脅しにかかる・・・
1512年10月31日公開。その4ヶ月後に教皇死去。ミケランジェロはいった。
「あの作品が私の思い通りに仕上がらなかったのは、教皇にせきたてられたからなのだ」と。
私が履歴を書いたら何の創造もしないままの空白の紙である。
彼は24歳にして傑作を完成させており、不満足ながらも数々の傑作を創造し続けた89年だった。
彼が89年を短く感じていたか、長かったかはわからない。
死ぬまで彫り続け未完に終わっているところでは短く感じていたかもしれないし、彼の生涯続いた苦悩を考えると、
満足できない不幸な一生は長く感じていたかもしれない。
残した作品は見る側からすれば「天才のなせる業」でも、彼本人はひとりの人間である。
天才であれ、凡人であれ、満足出来ない一生はやはり不幸なのではなかろうか、
だからこの世の人はみーんな不幸、それは欲があるから・・・と私は思っている。
ラオコーン・・・電気再び
ローマで「ラオコーン群像」
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彼もこれを目にしたはず。感動しただろう、と思う。
彼はフィレンツエでロレンツォのアカデミアでギリシャ彫刻を学んだ。
当時はお手本がギリシャ彫刻だったわけだから、ルネサンスの芸術の源流はギリシャ美術ということになる。
ますますギリシャが見たくなる私だった。
このラオコーン像もBC150年のギリシャ彫刻である。
私がノーマークでこの前に立った時は、「ハッ」としましたです。ハイ。
なんでかなあ・・・2150年前(BC150)のものが500年前に発見されて、いま私の目の前にある・・・
BC150年&AD1996年のツーショットはなんでしょう。約2000年変わらない姿で。
今回イタリアに来てなぜか「安心感」を感じてたのは、「変わらぬものの存在」が普通にある土地だったからかも
しれません。
私は古いものが好きです。
というか、新しいものが善しとされる考え方についていけないでおるんです。
ラオコーンの前に立つと、2000年前と現在の時間の隔たりなど感じないのでした。
私と同じように500年前はミケランジェロだってこれをみた。ラファエッロもみた。
そして彼らはこれを目指した。
私がこの世からいなくなっても、こうしてラオコーンはここにあり続けるし、
見た人は「ハッ」として同じ考えを持つだろう・・・。
こうしてラオコーンは永遠に感銘を与え続けるのですね。ミケランジェロだってそうです。
彼自身満足できなかった仕事であれ、彼の作品は永遠に残り続けていくでしょう。
バチカーノコイン
バチカン市国はれっきとした国である。コインもある。
なんか買ってお釣りに「バチカンコイン」がきた。サイフの別腹に入れる。
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FREE TIME IN ROMA
スペイン広場
映画「ローマの休日」でオードリーが階段でジェラートを食べたところ。
Cさんがオードリーポーズで写真に収まる。
広場には噴水がつき物だが、ここは改修中だった。さあ、ここからフリータイム。
パンテオン
パンテオン(125)ドームは直径とドーム頂上までの高さがともに43.1m。
鉄筋を用いない石造建築として世界最大。天井の真ん中に直径9mの円形窓が開いている。
ミケランジェロはここを「天使の設計」と絶賛した。だから来たのではない。
古そうだから行きたいと思ったのです。行ってみるまで外観も知らなかった・・・
地図を見るとヴェネツィア広場からちょっと脇道に入ってまっすぐ・・・のはず。
ところがこの脇道がみつからな〜い。「ここが銀行でしょう?・・・このへんなのにぃ・・・ない」
戻って、「おかしいなあ・・・へんだなあ・・・」また戻って、行きつ戻りつ。
(パンテオンも私が行きたいと言い出した。Cさんも地図を覗き込む。)
・・・と、「アッ!」建物の壁に‘パンテオンはこっち’(私にはそう読めた)と書いてあるのを発見!
何度もここを通っていたが全然気がつかないほどわかりづらい通りだ。道じゃなくて路地だ。
確信もって進む私にCさんが「tuzi さん、また裏道ですよ〜、大丈夫ですか〜?」と不安を隠しきれない。
それでも私には自信があった。
なんだかひとん家の庭先を歩いてる感じだったが、間違いない!匂いがする!
突然広場に出た。「ここ?」「ここなの?」「ここでしょう」と勝手に決めて入ってみる。
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「きれい・・・なにこれ〜・・・」「どうやって造ったの〜・・・」あっけにとられた。
これほど凄いとは・・・言い出した私がビックリ。苦労したけどきてよかった。
内部にはぐるりと祭壇や、墓石がある。みてまわっていたら、ラファエッロの墓発見。
さすがサン・ピエトロの建築主任だけある。墓がパンテオンにあるとは、幸せ者!
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探すのに手間取って、出たときは薄暗くなっていた・・・pm3:00ぐらい。(Cさんごめんね)
サン・ピエトロ・インヴィゴリ教会
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思えば私の行きたい所は知らず知らずミケランジェロ関係ばかりでした・・・
この教会にある「モーゼ像」が見たかったのですが、これがミケランジェロ作でした。
しかも、ここがあの教皇のお墓だったんです。なんという偶然。知らないというのは恐ろしい・・・
そんなこんなで向かったはいいが、歩きである。
ひとまず、ヴェネツィア広場に戻って、再度出発。カンピドリオの丘への階段付近でアイスクリーム(ジェラート)を買う。
ソフトクリームひとつが10,000リラ、1,000円!
ボッタクリだ
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写真を撮ろうとするがシャッターが下りない。電池がなくなった。
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ローマは‘掘れば遺跡の町’である。「地上は市民のもの、地下は国家のもの」行く道々あちこちが掘られていた。
さて、教会ですが、地図ではテルミニ駅に向かう通りを途中から右に折れれば着く・・・はず。
この「折れれば」の道が見当たらない。あたりは既に真っ暗、駅方面に向かえば向かうほど治安が悪くなってきた。
ヤバイ。また、ここで行きつ戻りつして・・・
(ここまで来て引き下がれない私、匂いは近いんだけど・・・)
「ん?」階段がある。「道じゃない・・・路地でもない・・・でも匂う・・・」
階段を昇りきったら日本人男子学生がいた。「ここってインヴィゴリ教会ですか?」と尋ねると、そうです、という。
地図上道に見えても、実は道じゃなくて階段だった。
さっそく中へ。あったー!モーゼだあ!
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モーゼは出エジプト記でユダヤの民を導いた人である。
ミケランジェロ作、モーゼ像の頭には2本の角が生えていた。
ものすごーくおっかない顔で何かを睨んでいる。なにを睨んでいるうだろう?
気になったので後で調べたら、食料を奪い合って諍いを起こしてるのを見て、ギロッと睨んでる、らしいです。
モーゼ像は墓碑の一部でして、1枚大理石ですからとんでもない材料を使ったわけですからやりがいのある
大仕事だったことでしょう。
彼は自身自ら大理石の採掘場に行って切り出しに携わったといいます。
フィレンツエの北部カッラーラに大理石の採掘場がありますがここで切り出した石を見た彼は
「この中に人が埋まってる」と言ったそうな。
なるほど、見えていたんですね。スケッチも、彫りながら考えるも彼にとっては必要のないことだったのですね。
良質の大理石を前にしたらあとは迷わず彫るだけ・・・見えてたんだから。
「(余計なところ削ったりしないものだろうか・・)」「(一度削ったら終わりジャン)」などどいう凡人の心配は余計な
心配、杞憂というもので・・・あまり人の来ない地味な教会ですが、一見の価値あり。
ここを出るころpm5:00。真っ暗。
終着 真実の口
フリータイム最後の予定は「真実の口」でした。ここも映画「ローマの休日」に登場して有名。
せっかくローマに来たんだから行かなきゃ、ということで向かった。
フォロ・ロマーノ脇を通って、迷いながらもしまいには執念だけで到着。
映画では、外壁に石の顔がくっついてるように記憶してたので、24時間見れるものと思いこんでました。
ところが、「ガーン!!」
柵が下りてる・・・Cさんごめんなさーい・・・だから予習しろっちゅうの!ですよね。
仕方なく、柵から写真を撮った私たちでした。
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この後は根性のお買い物タイム!だいぶ時間オーバー(私のせいです)してるけど、見たいものはクリアしたし、
ローマの商店は遅くまで開いているので買い物しながら夕飯の場所(決めてある)に向かう。
結局、香港同様(1995年香港参照)振り回してしまいましたね・・・
お買い物
たしかローマだったと思うが‘靴下と手袋’の専門店に入った。
ショーウインドウには微妙な中間色の手袋が、手品でトランプを広げたときのように飾ってあった。
20〜30色はあったでしょうか?とにかく色が豊富。
Cさんがお土産にするという、「手を出して」といわれ皮手袋をピタッとフィットするように大きさを計るのです。
「おお〜。さすがイタリア!」と私はこの様子を見学。
Cさんは、あばあさまと、お母さまにふたつGET!
私は「色がいいよね・・・日本にはなかなか無い色よね」とCさんの買い物ぶりに感心。
お土産を渡した彼女曰く、ピタッと感が不評だったのです、と。
それでも私は今でもあの買い物はナイスだったと思っています。
一方私の方は、この時何を買ったか覚えてないんですよね・・・父へ皮製の煙草入れ・・・?
LA CAPRICCIOSA
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「エル・グレコ」近くにあるレストラン。庶民的だった。
気にくわないのは日本語のメニュー出されたこと!
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便利は便利だけど、日本でお馴染みのイタリア料理しか載ってないから、イタリア語メニューに比べて
種類が少ないし、冒険もできない。
私、本場カルボナーラGET!Cさん、本場ぺペロンチーノGET!私、人生初ティラミスGET!
アンチョビは魚なのね・・・間違っちゃった。エスプレッソは震えるほど苦かった・・・Cさんにパスする。
総合評価、味いまいち。ガイドブックに載ってるせいか日本人が多い。
だから日本語メニューもあるのでようが。でも、しっかり食べて満足、満腹。
ROMA TAXI 事件
この事件の首謀者は‘マキノ’である。
マキノは単純バカの私に言った。「タクシーに乗るときは黄色に乗ってください。白色はもぐりです」
「メーターは下にあるから確認するように」と。
この言葉を肝に銘じ、私たちはタクシーの溜まり場へやってきた・・・
黄色も白色もどっちもある。順番に客待ちしてるのは解ったが、それがたまたま白色だった。
順番無視して黄色タクシーに乗ろうとしたら「オイオイ、こっちに乗れ」と呼ばれた。
私「黄色に乗りたいんだ」
おじさん「順番だからこっちに乗れ」
私「いやだ」
しばらく訳も解らず押し問答していたるうち「なんだ、なんだ」と運ちゃんたちが集まってきた。
その中のハンチングハットの重鎮らしきおじさんが、「英語は出来るか?」と言ってきた。
「いいか!OLDTAXI YELLOW、 NEWTAXI WHITE、YHEY!30,000リラもあれば行ってやるよ」
「OK!」でも実際は15,000リラほどだった。メーターは下じゃなくて上だよ!マキノ!
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これで今回のイタリア旅行はタイムアップです。
コロッセオの内部、フォロ・ロマーノ、フィレンツェのミケランジェロ・・・・・・・・・・・・などなど見逃した数々。
持ち越しが山ほどあります。いつかきっと戻ってきます。
短い期間でしたがイタリアは私に「変わらぬものの存在」と「車の怖さ」を教えてくれました。
ここイタリアで落ち着いた気分も束の間、また日本に帰ってあのスピードの中で生活してゆかねばなりません。
フォルツァ!tuzi!
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vol.59
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