イタリア映画 第2位

「ニューシネマパラダイス」
Nuovo cinema paradiso 1989年伊仏合作

 監督 : ジュゼッペ・トルナトーレ
 脚本 : ジュゼッペ・トルナトーレ
 音楽 : エンリオ・モリコーネ
 配役 : フィリップ・ノワレ
       ジャック・ぺラン
       サルヴァトーレ・カシオ
 1989年カンヌ国際映画祭審査員特別大賞

 1989年ダヴィット・ディ・ドナテッロ賞音楽賞
            (エンリオ・モリコーネ)

 米アカデミー外国語映画賞


実は、この映画を1位にしたかったのですが、悩んだ末の2位となりました。

私はこの映画を映画館で観ました。
この時ほど、館内の照明が点くのを早く感じ、恨めしく思ったことはありません。
ラストシーンはいやがうえにも涙、涙・・・音楽も手伝って、もう涙が止まりません。
映画好きが映画をこよなく愛する者が共感できる、映画好きのための映画だと思います。
たまりません・・・何度見ても、ラストシーンで泣いてしまいます。
もう、映画全盛ノスタルジイの時代になったからなのでしょうか?

私の周りにも、指定席制度で、前の人の頭も重ならない座席ゆった〜り映画館が増えています。
同時に、昔ながらの映画館が閉館に追い込まれているし、映画館の数自体減少しています。
場所も車でしかいけない大駐車場完備の郊外に移っていますので、
買い物ついでにフラッと立ち寄る観方ができなくなっています・・・嘆かわしい事態です。
街中を自転車で移動している私にとって、フラッと立ち寄って観る映画は格別なのですが、
こういう‘偶然出会う映画’の楽しみ方ができなくなってしまいました。



「ニューシネマパラダイス」は古き良き時代のシチリア島の映画館‘パラダイス’を舞台に、
映画を愛し映画館に通った人々の人間模様を描いています。
ラヴシーンをチェックし、見せないようにカットする牧師さん、
いいところにくると、いきなりカットされてフィルムが飛ぶので、館内はブーイングの嵐・・・
観客が一体となれる見方ができた時代の映画館。シーンのひとつひとつが微笑ましい。
そんな島で唯一の娯楽、映画館‘パラダイス’が閉館になった。
そんな時、島のひとりのおじさんが宝くじを当てる。
使い道は映画館‘パラダイス’の再建だった!(うるうる・・涙・・・)
‘ニューシネマパラダイス’のオープンの晴れ舞台に誇らしげな笑みのおじさん・・・(涙・・・)

主人公はサルバトーレ少年と映写技師のアルフレードだ。
映画フィルムが1本しかないから、掛け持ちで上映時間まで自転車で運ぶ。まさに自転車操業だ。
サルバトーレ少年は映写技師のアルフレードを慕い、やがて自分も映写技師になる。
が、アルフレードはサルバトーレに島を出るように勧める。
それから30年。サルバトーレは押しも押されぬ大監督になっていた。
アルフレードの死をきいて30年ぶりに島に戻る・・・
‘ニューシネマパラダイス’は廃屋に、オープン時の輝いていた頃の人々はもはやいない。
幼い頃、少年を叱っていた昔馴染みの面々はみんな年老いて、島でくすんでしまった・・・
名監督に成長したサルバトーレを島の誇りとして迎えた、おじさんの敬語が心をしめつけた。(泣・・・)
アルフレードが島を出るように言った意味がのみこめる。
離れて初めて理解できる故郷の真の姿。

アルフレードがサルバトーレに残した遺品のフィルム缶。
ローマで観るサルバトーレ・・・(涙・・・涙・・・涙・・・号泣)


ジュゼッペ・トルナトーレ監督は製作当時29歳だった。
彼の幼い頃の映画館もこんなだったのだろう。

私が初めて観た映画は、ディズニーの「バンビ」と「ダンボ」の2本立てだった。
この時のことは、はっきり覚えている。
父に連れて行かれた初めての映画館体験は幼稚園入園前の3才か4才頃だったと思う。
映画館の入り口には、赤と黒の暗幕があって、暖簾のように分けて入っていくと、
館内は、子供の目が慣れるまでしばらく時間がかかるほど暗い。
「(父ちゃん、置いてかないで・・・)」
父は上映中でも入っていってしまうし、子供などおっぽりだして、どんどん行っていってしまう。
「(父ちゃん、待って・・・)」
父が座った隣りに腰掛けた。だが、足が床に着かない。
「(なんだか、妙に高いのね・・・大人の椅子だから・・・?)」
椅子を倒さないで座っていたのだ。気がついた父がようやく倒してくれた。
そんな映画デビューだった。
耳をバタバタさせて空を飛ぶ象を、スクリーンで観て私はすっかり映画好きになった・・・。

この時から、私の「映画バカ」が始まった。
学生の頃は試写会でほとんどの新作を観た。
新作ばかりではない。テレビでも当時は一日おきに映画番組があったし、
自主上映会などにも出かけ、何でも手当たりしだい片っぱしから観まくった。
今は、映画館に行く機会はめっきり減ったが、レンタルビデオがあるし、父親譲りの「映画バカ」は治りそうにない。
そんな「映画バカ」は‘ニューシネマパラダイス’の再来を願う。

(2002年9月記)


前回記した2002年から7年。つい最近テレビ放送で完全版を改めて観た。
島で唯一の娯楽、映画館が焼失して、宝くじを当てたおじさんが再建。
この話だけでも十分泣けるエエ話や。
そして30年。大監督となって島に戻るかつてのトト少年を敬語で迎える年長者たち。
やっぱり泣けるぜ・・・。
とここまでは毎回のパターン。
そして改めて思ったことも。
トト少年はその前途をこの小さな島から出て羽ばたいて欲しい、というアルフレッドの願い通り
知らぬものはいないほどの大監督となり成功を収め島に帰ってきた。
が、それとは引き換えに想い慕う人との別れの空白を埋めることもできないでいた。
すべての面において満たされた人生とは可能なのだろうか・・・?
アルフレッドなりの予見では、恋愛の炎はいつか消える、だった。
もし、彼女と一緒にいたら名声を誇る監督になれただろうか・・・?
否!というのがアルフレッドの考えだった。
また、彼女との愛情も保ちえただろうか・・・?
トト少年は30年経っても彼女のことを諦め切れなかった。
それは30年経っても現実として心の中に美しい思い出のまま存在していたからだ。
まだしがみついていた。

アルフレッドが形見に残したフィルムを観て、その思いにようやく気づかされるトト少年。
ようやく、アルフレッドの言ったことの意味が理解された瞬間だ!
試写室でひとりで観ていた時の表情。
これまでどう理解すればいいのか曖昧だった私もようやく理解できた。
切り取られたキスシーンの断片。
叶わなかったトトの恋愛。
叶わなかったから美しい。
観ることができなかったキスシーン。
時が経って観ることができた、時が過ぎたからこそ、その思い出は美しさを失わない。
思い出は美しく変貌を遂げることさえある。
しかし、現実は常に過酷でむごい。
映画はの世界でありいつまでもあせることがない。美しい思い出として心に残る。
そのことに思い当たった表情だったのだ。
トトはエレナと再会し「いつか将来」と語りかける。
が、エレナにはもうアルフレッドの思いが理解できていた。
「夢だったのよ」と。
アルフレッドが正解だったかどうかなんて分からない。
でも、確かに美しいままトト少年に残してくれたことには間違いなかった。

いやあ、なんど観ても新たな発見、ってあるもんですね。
ラストシーンの表情が分かりかけたなんざぁ、おれっちも少しは大人になったってことかぁ??
いやいや、まだまだ・・・。

(2009年4月記)


    1位




vol.35