太極拳in香港(3)

1997年12月16日(火)

公園の達人たち
今日私は帰国します。朝暗いうちに起きて、待ち合わせの時間1時間前にホテルを出ました。
他にも達人がいるはず・・・とウロウロしてたら、本当に達人と出会ってしまいました。
最初にこの人と出会っていたら私はこの人に弟子入りしてたことでしょう。
スンバらしくきれい!きびきび!パーフェクト!こういう人は弟子をとらないのかもしれません。
この後何度か香港に行く度見かけますが、やはり弟子らしき人はいません。
他所で教えてるのかもしれませんが・・・。
当時‘青葉マーク’の私にはこれが‘伝統拳’なのか‘制定拳’なのか、何をしているのか、全然わかりませんでした。
動作の形はまるで違いますけど、ところどころ‘套路名(型の名前)’がわかるくらいでした。

 このあと完璧な単鞭が完成!膝の曲げが凄い!


私としては理解できるできない関係なく、マスターできるできない関係なく、
様々な形を見ることができるという喜びのほうが勝っていました。
そんな中で「師父」と呼べる存在ができたらいうことありません。

他にもご夫婦なのでしょう、ツーショットで‘雲手(型の名前)’をしてるところもみかけました。
ふたりで太極拳をすると相手の気がダイレクトに伝わるものです。
このご夫婦は毎朝こうしてお互いに気を練っているというわけやね・・・羨ましいわあ。

 雲手するふたり 時間がゆっくり流れる・・・


公園では思い思いに各自運動をしています。
太極拳に限らず、樹に向かって気功をする人もたくさん見かけました。
私が見ても、なにをどうやって感じているものなのかトンと理解できませんが、瞑想に近い印象をうけました。
‘立禅’に近いですかね・・・。


再見師父
‘師父’に会ってすぐに「今日、日本へ帰ります。だから、あまり時間がありません」と伝える。
‘師父’はそれを読んで黙って頷いただけだった。
時間がないことを知ると早速始めてくれるところが、いかにも師父らしい・・・律儀な人間なのだ。

一度ヘトヘトになりながら、なんとか終了した。もう時間がない、戻らないと飛行機に遅れる。
私はまた習いに来るんだと心に決めてはいたが、心残りもある。時間が欲しい。
日本で勉強して次回こそはすんなりついていけるようになって来なければ。
‘師父’は見たところ高齢なので(年齢は聞いてない)早いとこ伝授してもらわんと。
私は香港での宿題を、日本に帰ったら始めよう。という意欲に燃えていたのでした・・・。

通りがかりの人に写真を撮ってもらいました。
‘単鞭’ポーズで‘師父’と私のこの年唯一のツーショットである。この年の写真はこれ一枚きり・・・
あーあ・・・私の‘単鞭’はなんなんじゃ!。‘師父’は完全な‘単鞭’だけど、私のはなんなんじゃ?
恥ずかしい・・・あーあ、もう・・・なんつうか・・・‘単鞭’ひとつとってもこのありさま。

汗を拭いてる‘師父’に「もう、行かなければなりません」と言うと、ウンウンと頷いて「行きなさい」と手でうながされた。
時間をオーバーしていた私は、ダッシュでその場を離れ、別れの言葉らしいものはなにも言わずじまいだった。
こっちは勝手に「また会いに来るんだから、会えるもの」ぐらいに考えていたが、
‘師父’にとっては通りすがりの観光の日本人くらいにしか映っていなかったのだろう。あっさりしたものである。
まさか、このあと何年もしつこくやって来ては一緒に太極拳をすることになろうとは思いもしなかったでしょうから。
この年、私が知ったのは師父の名前けでした・・・。


日本人の私
この出会いで私が一番気になっていたのは、‘師父’が「日本人」の私をどう見ていたかです。
‘師父’は年齢からして戦争体験者のはずです。
50年ほど前となると20代から30代にかけての年齢にあたります。
‘師父’自身が戦地に赴いただけでなく、家族や親戚に日本人から酷い目にあった人がいるかも知れません。
私がこのような心配事を話すと、「あなたは戦争に関わってないから大丈夫」
「戦争を知らないと思われてるから関係ない」
みたいなことをよく言われます。そうでしょうか?
私が直接関わっていなくても「日本人」というだけで年代関係なく戦争体験者の中には嫌う人がいます。
それだけ根深いものがあると思いますし、私自身、戦争とはいえ恨みを残す行為をしたものだと常々思っています。
幸い‘師父’は私にそのような態度で接しませんでしたが、心の中まではわかりません。
聞けることでもありませんし・・・私にできることは、ただただを尽くしていくだけと考えています。


1997年太極拳in香港完


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