1997年 香港
第2回 1997年12月13日〜12月16日

1日目

目的
1997年7月1日香港はイギリスから中国に返還された。
1995年返還前に見ておきたくて行った。そして今回、返還後の香港を見に行くのだ。
果たして変化はあるのか・・・?

新しいカメラ
いま私が使っているカメラは94年中国旅行の為に自分で買ったカメラ第1号です。
通信販売で買った安物で、もともと写りが悪かった。
それに加えて最近では肝心なところで電池切れを頻繁に起こすようになってしまった。
始まりは96年ローマ、そして今年97年洛陽・・・考えようによっては「また来いよ」という解釈が出来なくもないが、
よりによって・・・なのである。
そこで、今回新しいカメラを購入したのだ。香港に合わせて夜景モード付きである。

私のゲラン
今回で2度目の香港行きになる私は、お買い物に燃えていた。
というのも、前回香港に行ってみて「世界の貿易港」一流品までもが香港プライスで安く手に入る事を実感したのだ。
特に香水、化粧品類はメチャメチャ安い。
私は再三言ってるようにブランドとやらには疎いし、美容関係には興味がないときてる。
こんな私には用がないように聞こえるかもしれないが、それが訳ありなのです。
実は、私は皮膚が弱い。夏場でも長袖で外に出ないと、太陽光線で皮膚がまっかっかになってしまう。
だから、長袖で日影を歩く・・・なんとも情けない。
洗顔用の石鹸もそうである。市販のほとんどが合わない。赤くなって痒くてたまらんのです。
これもダメ、あれもダメ、と様々買ってきては合わなくて、一度使っただけで母や友人へお下がり、ということになる。
やっと、皮膚に合うのが見つかったと思ったとたん売れ行きが悪いのか発売中止なんてことがしょっちゅう・・・
また探し始めねばならない。
こんなことを繰り返しているのです。

いきさつは忘れたが、たまたまクリスチャン・ディオールを使ってみた。
これが合ったんですよ。香港は街中の商店でも、免税店より安い。これは買うしかない!
口紅やマニュキアでも、いろいろ使ってみてもディオールの発色がいいことにも気がついた。
・・・なのに日本を発つ前の空港で早くも安さにひかれジバンシィを買ってしまったのでした。
ああ、もう気が急いているのね・・・こんな私は、少し勉強も兼ねて今回はアダルトにゲランなんかにも
挑戦しちゃおっかなあ・・・
「な〜んてことも考えちゃってたのでした。

張 学友
中国語の勉強をたらたら続けて早3年半。中国語だけでなく、中国ポップにも興味が湧いてきました。
なぜって、このごろ日本ポップはおもしろくない。
なんだかどの人も同じような名前で覚えられないし、曲だって同じに聴こえてつまんない。
そんな時、NHKのアジアンポップの番組を偶然見たのです。
聴くとはなしにかけてただけだったのですが、いきなり歌のうまい人が出てきて、つい聞き入ってしまった。
それが張学友でした。
調べてみると、彼は香港四天王のひとりで、歌のうまさでは一番と言われるお人でした。
残念ながら、テレビで聴いた曲名は分りませんが当時日本で彼のCDが極端に少なかったので、
ぜひ香港でGET!したいと考えていました。彼は、香港出身なので広東語の曲がほとんどです。
年に一枚のペースで北京語(広東語圏では北京語のことを国語と書いて表現してます)の
アルバムを出しているようです。この当時は香港ポップの曲はオリジナルよりも、日本のカバー曲が多く、
ジャッキー・チュン(張学友の香港名)も、KANが歌った「愛は勝つ」をカバーしていたのです。
私の狙い目は「愛は勝つ」が入ったジャッキーのアルバムをGET!することでした。
もしGETできれば広東語で歌う「愛は勝つ」が聴けるはずです。

このころ私が知ってた中国ポップの人といえばフェイ・ウォンくらいのもので、
現在でも中国ポップの情報は極端に少ないのでは・・・と感じています。
いまや(2002年4月現在)田震もいいわあ、と思えるほど成長した私ですが、そのきっかけはジャッキーだったし、
そもそもは中国語が引き寄せたことである。
芋ずる式、というか蛇の道は蛇、というか・・・
私の生活は音楽方面でも中国化の加速を早めているようです。

夜のアイス
軽トラをアイスクリーム店に改造した車がありました。
とてもかわいらしく、ついアイスが欲しくなるような車です。

 フレッシュジュースの誘惑   軽トラアイスの誘惑




2日目

 太極拳in香港(1)(左のアンダーバーをクリックしてご覧ください)
私はなにもゲランだの、ジャッキーだのということしか頭になかったわけではない。


レパレスベイ再び
お約束の観光コース。命名‘はりぼて公園’(1995年香港参照)
この年、悪性のインフルエンザが日本で大流行していた。
そのインフルエンザの発生源が香港だった。
だから私などは父から「死にに行くようなものだ」と言われ、母からは「自殺する気なのね」
言われたほどだった。だって、毎日のように死亡者が出るほどの勢いだったのだ。
地元、香港でも死亡率50%を誇る悪性インフルエンザは評判だった。媒介はニワトリ。

レパレスベイにかわいい犬を連れて散歩に来ている地元の人がいた。
かわいいから、と触ろうとした人がいた。それを見てガイドのスタンレーが言った。
「鳥だけじゃなくて、ネコ、犬にも絶対に触らないで下さい」と注意された。
日本に帰ってからニュースで見たが、香港で13万羽のニワトリが生き埋めにされた、という。
人間の犠牲になった、としか聞こえない・・・。

 これは豚の解体現場(香港島)


スタンレーのこと 
今回のガイドはスタンレーさんである。とにかくまじめ、かたい人間。ギャグがとにかく寒い。
例えば、「今日の香港は霧ですねー、イギリス領だったから仕方ないですねー」とか、
手打ち麺の実演を見ながら食事していた時は「うどんを生(なま)で食べちゃいけないねー、お腹がバビブベボに
なっちゃうよー」など。
まだまだあったけど、あんまりありすぎて忘れてしまった。12月の香港と同じくらいさぶかった・・・
香港人の楽しみである競馬にも興味を示さないマジメ人間らしい。
いっしょに写真におさまっているが、手を前で揃えて穏やかな笑顔で写っている。
その隣で私はバカみたいにおもいっきりピースしている・・・恥ずかしい。

オーブンホーガーデン 
ついに来てしまった。はりぼて公園第2弾!ここは、タイガーバームで、財を成した方のお宅である。
高層マンションに囲まれた中にぽつんとそこだけ中国式庭園がある。
緑の木々に囲まれているが背景は高層ビル。アンバランスさがなんとも居心地わるい。
現在も娘さん(60歳くらい)が住んでいるという。
タイガーバーム発明者の名前はトラの文字がつく人で、(たぶん、胡文虎?)
その弟さんの名前にはヒョウの文字がつくらしい。お父さんが動物好きだったのだそうだ。

ここを出て、バスの中の移動中にスタンレーが薦めたものはタイガーバームではなくて、
‘黒真珠入りクリーム’だった。
1995年の時は‘ミラクル’だった。スタンレーは胸を張って言った。
「ミラクルは薦めないよ。でも、これは絶対、絶対、シミなくなるよ、必ずなくなるよ。
僕のがなくなったよ・・・」いい人のスタンレーが言うのだから本当だろう。
私は買わなかったがなかなか好評のようだった、日本でも知る人ぞ知る品だったらしい。

 黒真珠クリームの説明をするスタンレー


new絶景ポイント
前回はピークトラムでビクトリアピークに行って香港島から九龍を一望した。
今回は、その下でバスを横付けし、競馬場ハッピーバレーを真下に見てのポイントに案内された。
実は上は混んでいて面倒だからなのだろうと思う。
・・・が、ここもビルが近くてなかなかよいポイントだった。
何といってもハッピーバレー競馬場の芝生の緑がきれいだった。

黄大仙
香港の観光コースで唯一私が楽しみにしているのが‘黄大仙’である。
神社仏閣大好きの私はここで前回「大凶」のおみくじを引いてしまっていた。
今日も引くぞー!と意気込んでたのに時間がない、とのことで滞在時間10分。そんなあ・・・
それにしても今日は大変な混雑だった。なにか記念の日なのかもしれない。
スタンレーは「お線香買っても(あげられないから)しょうがない」というが、既に買ってしまった私。

 お参りする人々。みかんにお線香がザックリ・・・


誕生石
香港の観光コースは決まっていて前回とほとんどいっしょである。
買い物で寄るお店まで同じであった。
前回(1995年香港参照)の宝石店にも立ち寄っていて、ここはわりと気に入っていた。
石が良さそうだし、デザインがここオリジナルでセンスも良いと感じていたのです。
以前は自分の誕生石リングをGET!したので、今回は母に何か買っていこうと思っていました。
母は私と違って宝石の類が好きなので、既に持っていると思うから奮発してデカイのをGET!
しようともくろんでいた。香港といえど、こういうところではしっかり値切ります。
中で一番大きい石を指さし、「母にプレセント」を強調して、
不憫な娘が祖国で待つ母へプレゼントする孝行娘の設定で交渉開始。
まるで浪花節調である。泣き落としとも言う・・・
お姉さん店員は自分の限界を超えて手に負えなくなると、マネージャーを呼びます。
私とマネージャー対決のリングが鳴ります。
母に飴色のリングが渡されたのは言うまでもありません。
買い物は格闘技だっ!by tuzi

DFSからの脱走
私もなんだかんだと旅行回数が増えて、団体の中でも自由に動ける余裕、貫禄がでてきた。
脱走に関しては常習犯である。でも、団体に戻れば模範囚でもあります。

国内海外問わず、旅行に行く時は大抵地図を持参して行きます。
今日の最後の観光(?)はDFSだった。
私には用のない場所である、グルッと回ってスタンレーがいない隙に脱走!
向かうは、中国系デパート‘裕華国貨’。計画犯であるから、もちろん場所は調査済みである。
私にとっては宝の山・・・とまではいかないが、「水を得た魚」状態の私。

1998年カレンダー。
中国のカレンダーなので祝日が日本と違うものの、陰暦が詳しく載っているので欲しかった。
中国の暦には日本と同じように「大安」とか「仏滅」に当たる日が存在する。
ただもっと具体的に細かく事柄が書いてあるのだ。
日本では「大安」といえば何をしてもうまくいく日とされているが中国にはそのような日は存在しない。
反対に「仏滅」に当たる、何事もうまくいかない日は「諸事不宜」として存在している・・・
浮かれてはいけない、常に兜の緒を引き締めていなければならない、というのが中国人の考え方のようだ。

茶器、皿と蓋が付いているもので以前から欲しかったもの。
大きさも、柄も豊富で迷っていたら、店員さんが勧めてくれた。
小ぶりで、薄手の造り、柄は手書きだという。素直にそれに決めた。

中国茶。今回大袋で購入。私はあまり日本茶を飲まない、たまに玄米茶を飲むくらいだ。
それも、抹茶入りの某メーカー製に限定している。うるさいのだ。
どちらかといえば中国茶の方が好きでよく飲んでいる。
今までの買い置きもまだあるけど腐るものじゃない、家に買い置きがないのを揃えようと思っていた。
北方は一般的にジャスミン茶(花茶)が飲まれるが、南方ではプーアール茶(黒茶)がよく飲まれている。
かび臭いのと、癖があるというので好まない人もいるが、私は結構好きである。
茶葉のグレードによって味も大分違うだろう。
今回思い切って徳用大袋で購入したプーアール茶だが、これが驚くほど美味しい!
かび臭さがなく、葉を洗い流さなくても十分飲める。
これほど美味しいプーアール茶は今までになかった。
大袋で失敗だったら目も当てられないところだったが本当によかった。

1時間の脱走時間が終わり集合してハッとした。
私以外はみんなDFSのりっぱな袋をさげ、私はカサカサのビニール袋を両手に・・・
表には赤文字で‘裕華国貨’と堂々と書いてあった・・・
カサカサのビニール袋を体の後ろへ、そ〜っと持っていってもおそい!
袋の柄までは頭が及ばなかった。バレバレじゃん・・・。

麺打ち職人
夕食も前回と同じところだった。
何故そう解ったかというと、麺打ち職人さんに見覚えがあるからなのです。
毎日打ってるのですね、鮮やかな手さばきです。微塵の迷いもありません。
太極拳も毎日打つことが当たり前です。この当たり前ができそうで、できないんですねー。
何事もこのようなことが言えるのではないでしょうか?毎日の積み重ね、ホンの数分でよいのです。
なぜそれができない?継続は力也
太極拳に限らず、私の場合どれもこれも力になってないけど、
一度始めたものは「ヤメルつもりはない」心意気だけは持ってます。
今、時間と経済的余裕がなくて、遠ざかっているものも少なくありませんが、あくまで「休んでいる」のであって、
「やめた」わけではない・・・イメトレだけは欠かさない。
「あたためている」時間も「継続」の内、と思う私です。

 「生で食べたらお腹がバビブベボ」byスタンレー


HMV
夕食を終えて、旅行の観光は終了である。私にはこの後も予定したことがあった。
その1、CDを見に行く。その2、HONG KONG SIDEに夜景を見に行く、である。

まずは近くにあるHMVへ。真っ先に中国ポップ、エスカレーターで2階へ。
獲物を追う狩人のようにジャッキーへまっしぐら!
さすがジャッキーものすごい量である。広東語アルバム、国語アルバム、VCD・・・縦4段、
横は・・・ずらーっと全部ジャッキー。
「この中から‘愛は勝つ’のカバーを探すのかよ・・・」
向こうでのタイトルを知らない私は一枚一枚しらみつぶしに探すしかない。
「終わらんぞ!」せめて広東語アルバムか、国語(北京語)アルバムかにでも絞れれば・・・
とにかく、始めねば終わらない。
私は気の遠くなる作業に取り掛かったのです。

勘だけを頼りに一枚とって、曲名を読んでみる。
‘愛は勝つ’のニュアンスを持った曲名は見当たらない。皆目見当もつかない・・・
国語(北京語)アルバムから一枚とってみる。
やはり、それらしきはない。
とにかく何枚かとっては、ひっくり返して曲名を読む、という作業を繰り返した。
「これってそれっぽい・・・こっちもそれっぽい・・・あ〜ん、わからな〜い!」
これでは、いつまでたっても埒が明かない。
そこで、ついに私は頭を切りかえた!「よっしゃ!聞くぞ!」と。

近くにHMVのお兄さんがいた。
「excuse me. I'm looking for jacky's album. I don't know song name ah!
It's Japanese song・・・ name is ・・・Love is win !(どうだ?)」
「Love is win?」「Yes, Love is win」お兄さんは探し始めた。が!
「Love is win?Love is win?Love is win?」とぶつぶつ言いながら探しあぐねている。
「Yes, Love is win、Love is win!Japanese song!」
とお兄さんを見守る私・・・さっき「これかな?」と目星をつけたアルバムを見せて、
「Is this Japanese song?」と聞けば「no」というし・・・任せるしかないのか。
きっと、向こうの曲名は‘愛は勝つ’という意味を持っていないのだろう・・・お兄さんはもう、お手上げの表情である。
逃げられたら終わりだ。
そこで私は強行手段にうってでた!
「し〜んぱ〜♪いないからね〜♪・・・」歌っっちゃいました!
このワンフレーズでお兄さんは、「OK!I know!I'ts OK!」
お兄さんも嬉しそうだった。(単に笑われたのかも・・・)私もなんで最初っから歌わなかったかなァ・・・
お兄さんはすばやく見つけてアルバムを私に渡してくれた。
「Which of the song?」「This one」。
読むと「壮志嬌陽」とある。これじゃあわかるわけない。
‘Love is win’(愛は勝つ)じゃないものね。帰って聴いたら広東語だった。
歌ってよかった、お兄さんもまさかここで歌った人に会うのは初めてだっただろう・・・
執念パワーは思いもよらないことを考えつくものだ。歌は世界の共通語

 歌って手に入れたCD「一顆不変心」’91年香港


Harbor lights
プロムナードにやってきました。
今回は前回の教訓をもとにクリスマスを避けてやってきました。
なので、百万ドルの夜景はプロムナードから見ようと思っていたのです。
桟橋のような道にはアベック(古い)カップル(古い)が肩を寄り添って・・・
肩に手をまわしたりなんかして・・・おててをつないで行きかってます。カップルのてんこ盛りを見て、
「来るんじゃなかった・・・」「夜来たのがまずかった、明日昼間出直そう・・・」と早々に退散したのでした。
でも、めげずに新しいカメラの夜景モードをフル活用するのは忘れなかった・・・

インドネシア航空
アベックにあてられてホテルに戻ったら、折りよくスッチーの集団(15人ほど)に出くわした。
丁度カウンターでチェックインしているところだった。
傍らには100%ヴィトンのバック。これだけ揃うと見事な光景だ。
スチュワーデスさんは御揃いの民族衣装で決めている。山積みのヴィトン。
ロビーはホテルのマネージャーでいっぱいになっているし、ポーターも呼ばれ始めている・・・
私のようなちっこい日本人がうろちょろする雰囲気ではない。
でも、めげない私は新しいカメラの望遠2倍ズームをめいっぱい伸ばして活用するのだけは
忘れなかったのでした・・・。

 インドネシア航空スッチー軍団




第3日目

 太極拳in香港(2)(左のアンダーバーをクリックしてご覧ください)
昨日からマークしている‘師父’に接近を試みる。


フリータイムin香港島 

骨董街
私の泊まっているホテルは九龍半島側にある。今日は一日フリー。
まずは・・・フェリーで香港島側に渡って、地下鉄を乗り継いで‘sheung wan上環’に行く。
降りたら徒歩で目指すは‘骨董街(キャットストリート)’である。
地下鉄を降りると骨董街までは道というより階段だった。(1996年ローマを思い出した)
香港はどこに行っても高層ビルばっかりである。階段の先には超高層ビルがそびえている。
その谷間のようなところに目指す通りはあった。
見ると聞くでは大違い。お店のほとんどが閉まっているし、活気がまるでない。
開いてる店も閑古鳥が鳴いてる始末。「な〜んだ、こんなもんなのお?」

文武廟
一通り眺めて‘文武廟’へ向かった。
神社仏閣大好き人間の私の予定からここが外されることはありえない。
骨董街からもすぐ近くなのだ。‘文武廟’は、文の劉備と、武の関羽が祀られているところである。
内部は巨大グルグル蚊取り線香が天井一面にぶら下がっている。
参拝に来た人が奉納したものです。お線香ですから色は緑じゃなくて黄色です。
こういう場所にくるとグルグル蚊取り線香じゃなくても、お線香をあげたくなるのが、
神社仏閣好きのさが、というもの。

太極拳の向上と、アンポンタンな頭をどうにかしてもらおうと、線香をたむけた。
関羽さまがまた私に何か言いたいようです・・・(1997年洛陽参照)
「あちっ!」・・・またも手に灰が落ちた。なんで?なんだって言うの?これで2度目である。
他のお寺でもお線香はあげますが、こういう嫌がらせは関羽の(こうなったら呼び捨てご免!)
ところだけです。なんだかなあ・・・

 巨大ぐるぐる線香


 すぐ隣は小学校、とっても賑やか・・・


エスカレーター
‘セントラル(中環)’の近くに、‘羊山’へのなが〜いエスカレーターがあります。
香港映画「天使の涙」の舞台になったエスカレーターです。上りは楽チンだけど、
下りエスカレーターはないので降りることを考えると、ほどほどにしないとね・・・
最後はどうなってるか興味深々だけど、とにかく終わりが見えないほど長い。

 この先はいったいどうなってるんだろう・・・


‘陸羽茶室’
飲茶の老舗。前から一度行ってみたかった。もう、門構えからして重厚感溢れてました。
柱、ドア・・・入り口で少々中を覗いたくなるようなオーラが漂っています。
宮本武蔵のような心境で「エイヤ!」と踏み込んだのです。

店内は常連客の予約でいっぱいである。
丸いテーブルが中央に並んで、その両側はブースに分かれてテーブルが縦に並んでいる。
ブースに通された。
飲茶の中で私の一番の好物は‘腸粉’である。
何はなくとも‘腸粉’を真っ先に注文をします。
ところが、この老舗には‘腸粉’がないのだ!まず品数があまりないのです。

 昔からの常連さん優先です


味も特別美味しいというわけでもない、フツウ。味より雰囲気を楽しむって感じでした。
私向きじゃないな・・・あんなに緊張して損しちゃった。

中環
はっきりいってセントラル(中環)は嫌いです。いつきてもゴミゴミしていて、とってもウルサイし、
ものすごく空気悪いし・・・深呼吸なんか間違ってもできない! 早く、九龍に帰りた〜い。

返還後の香港 
香港島と九龍半島の行き来の方法としては、フェリーか地下鉄なのですが、私は断然フェリーが好きです。
時間はかかるけど、気持ちがいいし、香港らしくてよいではありませんか。

今年7月中国に返還された香港で、変わったものといえば・・・
返還式典が行われた‘コンベンションホール’がお目見えしたことです。
香港島のほぼ中央にビクトリア湾にせりだすように建っています。
返還前にはなかった風景です。


初お目見えコンベンションホール。ここで返還式典が行われた。


それと、お金ですね。単位は以前のまま‘香港ドル’ですが、紙幣もコインも一新しました。
返還前のビクトリア女王のデザインはもう見ることはできません。
あっ、そうそう、切手もそうです。私は海外に行くとメールを出す習慣があります。
返還前の切手は、ビクトリア女王の肖像だったのに、今回は‘中国香港’と書いてありました。
HONG KONG CHINAが前面に躍り出たというか・・・
他は・・・相変わらず逞しい香港のまま。ここは中国であって中国にあらず、就是香港


フリータイムin九龍半島

昼のプロムナード
昨晩は熱々カップルでごった返しだったここも、昼間はすがすがしい風が吹いて、
真向かいにはコンベンションホールが見える・・・
中環の喧騒とは比べ物にならないほど気持ちがいい。天気もよくて空には雲ひとつない。
5分おきに飛行機が飛び立っている。
香港だ。ここは世界の香港だ。と執拗に自分に言い聞かせないと外国だということを忘れてしまいそう。
ここは香港、世界の貿易都市!新宿じゃないんだゾー!

白楽酒家
私は、朝から運動して疲れていたし、ハイヒールを履いて歩いていたので、いいかげん足がクタクタだった。
いったんホテルに戻って休憩し、再度夕飯を食べに歩くのはしんどかった。
武士たる者泣きごとは言ってられない。最後の力を振り絞って予定していたレストランに向かった。
そこはパークホテルに中にあるレストランでした。途中、買い物しながら到着。ゲランもGET!
今回は海老、蝦、エビである。香港の夕飯時間は遅くて大体7時から8時頃から始まる。
私は6時頃に到着したので、店内は空いていた。
注文を聞いたウェーターに「そんなに食べるのか!?」とからかわれたが、いいんである。
これが、この旅の最後の食事なのだから・・・

エビのオムレツ風にエビ入り固焼きそば、エビと野菜のあんかけ風・・・あーもうお腹いっぱい。
食うた、食うた・・・

今年の九龍公園のサンタクロースは‘ロボコップサンタ’にかわりに‘イルカに乗ったかわいいサンタ’でした。
やっぱロボコップサンタは怖かったもの・・・(1995年香港参照)




第4日目

 太極拳in香港(3)(左のアンダーバーをクリックしてご覧ください)
香港は観光目的で来るには一度で十分だと私は思う。
私は今回二度目だが、それは返還後の香港が見たくてやって来たのだ。
だが、今回師父と出逢ってしまった私は再度香港に来ることになるでしょう・・・
目的はそう!師父に習うためだけに・・・再来香港。



1997年香港完


目次





vol.2