太極拳in香港(1)

1997年12月14日(日)

師父との出会い
太極拳を始めて8ヶ月。中国に行って現地の人といっしょに太極拳がしたい。
修業者として本場の太極拳を体感したいと思うのは自然なことではないだろうか・・・。
9月の中国旅行は母といっしょだったので外に出るのははばかれたが、今回は運動靴も、
しっかり持参して来てるし、運動用の服も持って来ている。
朝暗いうちに起きて準備万端でホテルを出た。近くには‘九龍公園’があった。
太極拳をしている人を探すには絶好の場所だと考えていた。迷わず公園に入る。
「行けば誰かいるだろう」と安易に考えていた・・・。公園まで徒歩5分。
とにかく暗い、夜のようである。まだ街灯が明るい。
音楽だけは聞こえるが、それは太極拳の人ではなく、ストレッチ体操もしくは踊りの練習の人たち。
「太極拳してる人、っていないの?」「そんなはずはないだろ・・・」と、うろうろしているうちに明るくなってきた。
「時間が早かったのかな?」太極拳の人はが見つけられない、現れない。
会えない・・・。「なんでや?」公園といって広いのでポイントが違うのかも・・・(焦)

観光のある今日は、集合時間に間に合うように戻らねばならない。
「しかたないなあ・・・こうなったら自主トレでもして戻るか・・・」と、ひとりで覚えたての簡化24式を始めた。
周りには誰もいない。とても人前でできる代物ではないから隠れるようにして始める。

ひととおり動いて「さあ、もう時間だ」とホテルに向かおうとしたが、なんだか気がおさまらない。
太極拳してる人がいないはずないじゃん・・・。足の赴くまま歩いていたら、中国式庭園に出た。
呼ばれたのです。
そこはくねくねと迷路のような回廊になっていた。池を囲むように竹がうっそうと生えていて、
それを囲むように回廊になっている、といった具合だ。
・・・と竹越に、ひとりのおっちゃんを発見。ひとりで太極拳をしている。
吸い寄せられるように、そばに寄っていってしまった・・・その距離、10m。
私に気がついてはいない・・・と思う。・・・8m・・・6m・・・徐々に距離を縮めた。

私は黙って見ていた。今まで見たこともない動きだ。
太極拳と一口に言ってもその種類は膨大である。この当時私が知っているのはひとつだけだった。
太極拳を始める時は、私自身一種類しかないものと思ってましたから・・・
それまで、ものの本でしか見たことがなくて、実際動いてる風景は8ヶ月前まで見たこともなかったのです・・・
本当に‘青葉マーク’なのである。
とにかく知ってる動きは24個のみ・・・。

太極拳も日本の空手や柔道といっしょで、型や技があります。
それが連続して24個繋がってワンサイクルで構成されているので24式と呼ばれています。
太極拳の基本動作が24個で構成されているので、初心者が最初に学ぶのに最適で、
3分くらいで終わる短いものです。
ワンサイクルのことを専門用語で套路(とうろ)’といいます。
24式は中国が文革以降に制定したため、伝統的な動きではなく、新しい動きで表現しており
‘伝統拳’に対して‘制定拳’と呼ばれ区別されています。
私がこの当時知っていた24式というのは、‘制定拳’であり、しかも基本中の基本動作24を
集めたものなので‘簡化24式’というものなのです。
なので、私が知ってるのは、24の型のみというわけ・・・。

こんな私が‘師父’の動きを見て理解するなんてことは、今思えば到底考えられないことなのですが、
己を知らないということは恐ろしい。
見学しながら、「ヤバブンソウでしょう?シュキビワでしょう?ロウシツヨウホだし・・・
な〜んだ一緒じゃん!」と思ってしまったから怖いもの知らずほど怖いものはない・・・。
当時の私のメモが残っています。
24しか動作名を知らない私が、‘師父’の動きを追いながら書いたメモです。
24のうちにあれば、その名称が書かれていますが、‘師父’は80くらいの動作を繰り返しています。
私が見たこともない動作が含まれています。そういう分らない箇所の書き込みには
「一回転大きく蹴る」とか「頭をなでてから押す」などと書いているのですよ〜。
それはそれでいじらしいでしょう?自分のことなのに他人のようです。偉いと思いませんか・・・?
しかも、そのメモ用紙がホテルの便箋なのですよ、必要になるととっさに思ったものなのか、
筆記用具もって出かけるなんて、なんてしっかりしてるんでしょ・・・。

‘師父’も「なんだか必死こいて、どこぞのおねえちゃんがなんか書いてるな・・・」と、気づいたはず。
こっちはこっちで運動中に声をかけては失礼と思って、ジッと見つめておりました。
それに今日は時間がありません。この日は声をかけずにホテルに戻りました。
明日また距離を縮めようと思います。今日のところは6m止まり、ということで・・・

これが私の‘師父’との出会いです。
私は呼ばれるように、‘師父’と会うべくして会ったのだと信じています。
なぜなら、あれほど見つけられなかった太極拳の人と、時間と場所がピタリおさまるのは
容易なことではありません・・・。
そして、ひと目で「これだ!」と思いました。
‘青葉マーク’の私ですが、‘師父’の太極拳には‘強さ’を感じました。
私の‘師父’に対する第一印象は「なにがどうなんだかわからないけど、とにかく強い」という印象だったのです。

 師父、御年77歳


日本の某太極拳の先生に話したら、「あなたは太極拳を始めたばかりだから、よく見えたんじゃないの?」
「見る目がなかったのよ」「老人でしょ・・・」と散々なことを言われてしまいました。
話すんじゃなかった。話してしまった私が迂闊でした。
あくまで、私の見る目がけなされたのであり、‘師父’がけなされた訳ではないと思いたいです。
‘師父’に会えた嬉しさのあまり軽率に話した私がバカでした。

5年経った今見ても、‘師父’の太極拳は私が見て‘強い’です。
私など50年経っても‘師父’のようにはなれないだろうと思っていますし、
何年たっても‘師父’を超えることは出来そうにありません。
私の見る目と、日本の某先生の見る目は価値観において決定的に違うのです。
このことに、そのころの私はまだ気づかずにいたのでした・・・
・・・とはいえ、そんな日本の先生のもと、私は太極拳を始めたのでした。
私の太極拳が今あるのは、お世話になった先生方あってのことです。あとは好みの問題。
こればかりは如何ともし難い。そして、現在もジレンマとの戦いの日々なのである。
私は、初めに(自己紹介等)書いてあるように太極拳に対しての考え方や、
始めたきっかけが中国の古典によるものだけに、心ははじめから中国に向かっていたのです。

一方、‘師父’は、まさかここで50年ひとりで太極拳を日課としてきて、まさか日本人が慕って
やって来るなんて想像もしなかったに違いありません。
人生、何が起こるかわからない。
青天の霹靂、災難は忘れた頃にやって来る、油断大敵・・・


太極拳(2)につづく・・・


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