太極拳in香港(2)

1997年12月15日(月)

師父と話す
昨日の‘師父’に会うため、今朝も暗いうちに起きて‘師父’が到着する前に待っていようと出かけた。
教えを請うのに遅れてはならない、何時に来るかわからないからできるだけ早く出た。
昨日のポイントに着いた時に、まだ、‘師父’は到着していなかった。ひとまず安心。
準備体操はここまでのランニングで完了ということにして、ウォーミングアップして待つことにする。

と、そこへ‘師父’がやってきた! まだ暗い。私は緊張してきた。
‘師父’にすれば、「俺の場所に先客がいる」、なんてことはゆゆしき問題であろう。
とっさにそう考えた私は、自分から寄っていき、すかさず声をかけた。
ザオシャンハオ!(北京語で‘おはようございます’)
あいさつは大きな声ではっきりと!初対面なのだから、この第一声が肝心だ!

‘師父’は「(昨日のメモ魔だな)」と思ったのか、何も言わず頷いただけだった。
警戒されてるのだろうか・・・?
「私は日本人です。ぜひあなたといっしょに太極拳がしたいのですがよろしいですか?」と北京語で聞いてみた。
ところが・・・である。
‘師父’は私が話し終わるのをジッと待っていたが、話し終わると穏やかに微笑みながらこう言った。
ティンプトン「えっ!」
私の発音がいけないのか?「ティンプトン」は、直訳すると「聞いてわからない」である。
中国語は、自分が勉強してなくてわからない場合と、相手の発音が悪くてわからない場合と、
相手の声が小さすぎて聞き取れなくてわからない、とでは言いかたが違います。
「ティンプトン」はここでは、「聞いても私の言ってる北京語が理解できない」という意味にあたります。

街中はさまざまな言語(広東語がほとんどですが)が飛び交ってます。
「ティンプトン」は北京語ですが、香港では簡単な北京語の単語も覚えるでしょうし、
自然簡単な英語も覚えてしまう環境にあるのです。

香港の若い人は英語教育を受けていますので街中は英語で問題ありません。
年配の人たちはほとんどの人が広東語です。もちろん若い人も、家庭では広東語育ちです。
一に広東語、二に一部英語、三、まれに中国からの移住者が北京語・・・といったところでしょうか・・・
中近東からのアラブ系商人もかなりおります。
だから、言語は相手の年齢、民族にあわせて、ケースバイケースで使い分けていきます。

日本では外国語に差し迫った必要がないので、日本語だけで事足ります。
これも、日本人の語学力低下の原因になっているのではないか?と私は考えています。
日本人は幸せにも単一民族の国に住んで、外国語ができないと食べていけない、というような緊迫した
環境ではありません。
外国から日本に来て生活している人も日本語が堪能・・・私も、中国語を日本で話したことはありません。
必要がないからです。
「言語は耳から」24時間中国語の中にいると私の3年分の中国語の勉強だって、現地に行って実践で
揉まれれば、ものの30分で3年分の勉強になっちゃう・・・

そうか、香港人なので北京語が通じないのか・・・これはしたり。
「Sorry. I'm Japanese. I want to・・・」今度は言い終わらないうちに待ったがかかった。
ティンプトン「えっ!どーしよー」
‘師父’は北京語ダメ、英語ダメ、広東語only なのでした。私、広東語はできません。
北京語と広東語は外国語の関係にあって、聞き取ることも、話すこともできません。

だからといって武士たるものここで引き下がってはいられない。得意のメモ攻撃に出た。
北京語文章を書くのだ。これならどうだ?

広東語圏で使われている漢字と、中国(北京、上海など大陸で)使われている漢字は違います。
広東語圏で使われている漢字は‘繁体字’といって略さない字画の多い文字で、
どちらかといえば日本で使っているのに近い。
一方、北京などの北京語圏で使っている漢字は‘簡体字’といって極端に略しているので、
日本人にはどの漢字なのか見当がつかなくなることもある、といったものです。

私はできるだけ‘繁体字’を使って北京語を書いて見せた。
「いっしょに太極拳してもいいですか?」‘師父’はニッコリ微笑んで黙って手招きした。
「ほっ、よかった〜」
そうだ。‘青葉マーク’だということを伝えねばならない。私は、すかさず書いた。
「私は今年4月から太極拳の勉強を始めました」「私ができるのは‘簡化24式’だけです」
「現在、‘88式’の勉強をしています」と。
すると、これを読んだ‘師父’は、「見せてごらん(‘簡化24式’を)」と言う。
「恥ずかしい・・・」と思ったけど、私を知ってもらうには、動いて見せるしかないな・・・と、腹を決めた。
周りには誰もいない、‘師父’と私だけである。

‘師父’は穏やかな表情のままジッと私の動きを見ていた・・・
終わるとそばにやってきて、穏やかに微笑んでこう言った。
チャープトゥオー!!「チャープトゥオー!チャープトゥオー!」と何度も。
そっかあ。北京語でチャープトゥオーは「大差ない、似たようなものだ」という意味です。

それから息つく間もなく、‘師父’は「さあ、さあ!」と手招きし、突然‘起勢’が始まったのでした。


過酷な修業
昨日、メモを取りながら「な〜んだ、おんなじジャン・・・」と思ったのは撤回します。
とにかくついていくしかないのですが、ついていけないんです。
ついていこうと考えたこと自体無謀なのです。
何度も言いますが、私は‘簡化24式’しかできないんですよ!怖いもの知らずにも程がある!

‘套路’を知らないということは、次の動作がわからないということなので、動きがとぎれるのです。
相手を見ながら動作を続ける。これは大変疲れるのです。
それから、型の動きを知っていたとしても、制定拳の動きと伝統拳の動きでは、同じ型でも全然違う。
要するに、一から覚えなおし!今までのはリセットしなければならないのです。
太極拳はゆっくりした動きです。‘師父’は特にゆっくりです。それでも私はついていけない。
もう、全神経を集中して、尚且つ体を維持する・・・ふー・・・これが20分ほど続く。
ひとりでやってみろ、といわれたら絶対無理!ついてもいけないのに出来るわけがない。
もう、既に最初の動作すら覚えてない・・・

終わって息を整えて、我に返った‘師父’は、放心状態の私に穏やかに微笑みかけた。
「(・・・そんな微笑みに答えられる余裕なんかないよ!)」「(座らせてくれー)」の心境だった。
息はハカハカしてるは、足はガクガクしてるはで倒れそうだ・・・
集中力の切れた頭の中は、ボーッとしてなにも考えられましぇーん・・・休ませて。
こんな私を穏やかな微笑で見守りながら、‘師父’はタオルで汗を拭いていた。

30秒も経たないうちに2回目が始まる。
「えっ!うそでしょ・・・」
‘師父’は「さあ、さあ」と手招きします。自然に私の首が左右に小刻みに動いていたと思います。
それでも‘師父’は「さあ、さあ」と手招きします。穏やかな微笑のまま・・・
これ以上続けたら私の頭は酸欠でパーになってしまうでしょう。
私はパー覚悟で2回目にトライすることにしたのでした。断われないですもん・・・

もう、今までの予習も何もあったもんじゃありませんて。ついていくので精一杯です。
皆目わからない動作もいくつかあります。どこが「チャープトゥオー」なんだ・・・?
回廊はふたりが並ぶには狭いのですが、並ばないと見えないので‘師父’は私のすぐ隣にいます。
息づかいまで感じられるほどです。太極拳の重要な要素に呼吸があります。
‘師父’の呼吸を会得することは、‘師父’の動きのリズムを会得することに繋がります。
型の動作をマスターするのはこの時点では無理ですが、全体のリズムを感じることだけはできます。
呼吸は動きに繋がります。その人の隣で感じられる空気は何物にもかえられません。

‘師父’は余裕で2回繰り返し、穏やかな微笑を私に向けたのでした。
私はヘトヘトになりながらも気力だけで書きました。
「お名前を教えてください」「明日何時にここに来ますか?」
こうして明日の待ち合わせの約束を交わし、わかれました。

私に残された体力は‘ウルトラマンのレッドランプ点滅’ほどに危ういものになってました・・・


太極拳(3)につづく・・・


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