太極拳in香港(5)

2000年6月2日

楊澄甫と董英傑
昨日手に入れた本にザット目を通してみた。
董英傑は楊澄甫の晩年(上海での)の弟子である。このことは既に師父から聞いていた。

楊澄甫の遺著には14名の高弟が写真入で載っています。
筆頭は‘田兆麟’。田兆麟は上海にとどまり故人となったが、現在も‘田系’と称する楊式を
伝承している団体があります。
 上海の「田系」の方々。‘白鶴亮翅’


董英傑も3番目に出てきている。まだ30代後半といった面持ちの写真です。(2000年上海参照)


                                    楊澄甫(1883−1936)
           晩年の楊澄甫

「太拳拳の源流」
中国国内の武術は三拳から派生した。心意拳(形意拳とも)、八卦掌、太極拳である。
拳法としての最古の記録は河北省文安県北斗李村「陰陽八盤掌」に見られる。
楊式としての起源は‘楊露禅’(楊澄甫の祖父)が北京で興したものと伝わる。
その技は河南省温県陳家溝の‘陳長興’から会得したものである。
陳長興の拳法は‘王宗岳’‘張三豊’を源としている。
ただ、これらの人物については確認ができないし、伝説上の人物といえなくもないので云々・・・
太極拳の起源は‘陳長興’、楊式の起源は‘楊露禅’が確認の取れる最後の人物ということに
なる・・・。  
「原序」
祖父の楊露禅のことから、現在に至るまでの楊式の歴史がまとめられている。
楊露禅という人は‘向かうところ敵なし’の強さだったという。
楊澄甫(次男)は父の楊健候が亡くなってからというもの、楊式の伝承者として
覚悟を決め大変な努力をしたといいます。一にも二にも努力の人なのでした。
「系譜」
楊澄甫と同列に田兆麟と董英傑の三人が並んでいます。大したものです。
楊式の国内外に渡る発展に多大なる貢献をしたのでしょう。ちなみに系譜の筆頭は張三豊です。
「太極拳原序」
張三豊。生まれは宋代末。身長七尺。
‘鶴骨松姿’、面持ち‘古月’湖北省武当山で‘雀と蛇’の争いを見て‘柔をもって剛を制す’の
理に達する。北京の白雲観に聖像がある。
 武当山で‘雀と蛇’の争いを見ている張三豊
「董英傑序」
朝夕時時要習練。功夫無息得玄真。
「田兆麟序」
楊澄甫先生はいつも言っておられた。
「頸則霊、霊則動、動則変、変則化・・・」
私は20数年研究を重ね学んできたが、先生の百分の一にも及ばない。
現在も毎日が研究である・・・。                    
(以上は私のつたない中国語の訳ですので意味を取り違えているかもしれません)


以下、楊澄甫と楊露禅の原文が載っていて、太っちょの楊澄甫の表演連続写真へと続く。
太極拳の学び方、年数、行う際の意識の持ち方、身法、練法など、読んでいると心がジーンとする言葉の連続である。
大先輩といっては失礼かもしれないが、レベルの差こそあれ同じ太極を目指す者のひとりとして
本当にありがたい一冊です。
こういった先人がいたからこそ現在の我々が太極拳の恩恵に与ることができるのです。感謝。
中国の伝統あればこそ。

一方、董英傑の立派な本の内容ですが、こちらは50代らしき先生の連続写真です。
楊澄甫の弟子であっても独自の動きをされています。
私の師父の先生ですから、少なからず親近感もありました。
ここの「自序」を読んで私はすっかり董英傑ファンになってしまったのです。
(もちろん陳微明も大好きです)

「董英傑自序」にはこうありました。(私のつたない中国語の訳ですので意味を間違えているかもしれません)
古者六芸。禮、楽、射、御、書、敷。拳術は射にあたる。ただし、
芸術推手の進歩研究にあり防身のための開発である。
勇を競うものではない。拳を習うもの同志は‘礼譲’をもって付き合い、
‘道徳’‘忍耐’‘修養’を養うことが先決である。
張良も論中で言っている。古来から豪傑の士には忍耐が必要である。
忍耐がなければ匹夫であり、辱められる。これは真の勇ではない。
それ故天下の大勇者たる者は決して怒らない、忍耐と修養を積んでいるからである。
このことを心がけていれば事業を成すのはそう遠くはない。
孟子も言っているではないか、天下の大事業を成そうとするものに天はまずその者の志を試そうとなさる。
その苦労は筋骨に沁みて、耐えた後に天はその者に成功を与える。
太極拳とて同じである。練功は並大抵ではない、辛く長い年月を以ってしなければならない。
そうして終身の健康が与えられるのだ。その健康以上のものがこの世にあろうか・・・
礼譲。道徳。忍耐。修養。練功。

   董英傑先生


私の師父も先生の董英傑と似たようなことを言っています。
「健康のため」と・・・。ならば私はいったい何のために太極拳をしているのか?
健康のため?いや違う。護身のため?それでもない。
そもそも始めたきっかけは、中国の思想だった。それでこの先何を目指すのか?わからない・・・
はっきり「私は健康のために太極拳をしている」と言える師父が羨ましい。
いや、目的がはっきりしている人みんなが羨ましい。

太極拳をしている人の中に‘この世では考えられないような体験’を動きながら経験する人がいると
聞いたことがあります。
気功やヨガで経験するような超人的な経験なのかもしれません。
私はそのような‘えもいわれぬ気分’になったことがありません。
いつも‘見えない敵’と戦い、百戦百敗してる口で、「いま隙があった・・・タイミングがずれた・・・
これが実践だったらケガでは済まされなかったかも・・・)」の繰り返しなのです。
自分が納得できる動きができた験しがない・・・。それでどうして‘いい気分’になれようか。
どうにか集中力だけで持ってるようなモンデス。
動きに集中してると日常のことが忘れられるから続いているのだろうか?
一生かかっても乗り越えられなさそうな「己」という壁に風穴を開けることができたらどんなに爽快だろう。
そしてその鍵が太極拳にあるような気がしているこの頃です。
田兆麟の序にもあったように、師父の足元にも及ばない私です。一生かかっても及ばないでしょう。
いつまでも晴れない気分で太極拳愛好者の底辺を支える・・・。
こんな私でも、いつか師父と同じように不意にどこぞの人に「教えてほしい」と言われたなら
「自分の太極拳はひとに比べて劣っている、とてもあなたに教えられるものではない。
だが、あなたにが望むなら私は喜んであなたに私の楊式を教えたい。」
と師父と同じ言葉を返したい。もし、その日があれば伝統は繋がっていくのでしょう・・・。

練習場
今日で師父との練習は最後です。
いつもと変わらず一度目は流して、二度目は一人で動いて細かいところを師父が点検する。
私は、通りがかりに「おはよう!」と声をかけていく師父の友人にも慣れて、気にせず動けるような余裕も出てきた。
相変わらず套路を間違えるが、指摘されれば修正できる。
「(今日でここの場所ともお別れか・・・)」と私はひとり寂しくなっていた。
「(この練習場は私が引き継ぎたいな・・・)」と勝手なことを思い描いていたりもした。

帰りがけ‘裸のおじさん’が「また香港に来るんだよ!」と北京語(すごい広東なまり)で言ってくれた。
私は師父とおじさんの顔を交互に見ながら、危うく泣きそうになった。
うん、うんと頷くことしかできないことに、この時は逆に助けられた・・・。

誕生日
奥さんと3人で朝食に行く。
今回も本当にお世話になりましたとお礼を言って、今日ぐらいは私がおごりたいのだが・・・と言ってみたが、
あっさり却下された。
日本に帰って「夕飯に呼ばれて、日帰り旅行にまで連れて行ってもらった」と母に話したら、
「太極拳教えてもらって、その上毎朝ご飯ご馳走になってるだけでも立場が逆なのに、今度は夕飯だなんて・・・
旅行にまで・・・」と言われた。まったくだ。
師父は私にお金を出させない。奥さんまで「いいから、いいからご馳走になりましょう」となる。
1998年はこれで本当に泣かされた。今回はもう、逆らうのは無駄、お任せすることにした。
顔を立てる、というか面子を潰さないように、ということもある。
でも、どうしたら面子を潰さないで、お返しができるだろう・・・?

明日朝早く発つことは師父夫妻に知らせてあった。
明日の朝食べるようにと‘ちまき’を持ってきてくれていた。嬉しい、ありがたかった。
竹の葉にくるまれて、寿司おりのように紐がぶら下がっている。「嬉しいです♪」といただいた。
他にも箱入り‘人参’まで。「咳が早く治るように」とのことだった。
それに‘人参飴’も。人参エキスが入っている健康飴だ。
それから‘チョコレート’。私が思うに、甘いものが好きな師父が食べようととっておいたものかもしれない。
「これは師父が食べてくださいよ」と言うが「いいから持って帰りなさい」と。
そして極めつけの‘ゴールドプレート’!図柄は‘祝生日’のバースデイケーキだった。
「6月25日はあなたの誕生日だから、もうすぐでしょ」と・・・。
ニューヨークのお孫さんの誕生日と勘違いしてません?
「私は10月生まれです」と笑いながらも、はっきり伝える。このような高価なものはいただけない。
師父はバツが悪そうでしたが「いいから、持って行って」と。

散々ご馳走になって、お世話になって、おまけにお土産までいただいて・・・。
本当にもう、お返しのしようがないほど借りが積もってしまいました。
次は、いつ香港に来れるか分かりません。どうか再会できますよう、それまで元気でいて下さい。
私のホテルの前で別れた師父は「goodbye、goodbye again!」と繰り返していた。
「はい!againです!」againが現実になることを心から願って。どうか、お元気で!
健康は何物にも代え難い最高の宝


2000年太極拳in香港完


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