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ペロポネソス半島はピレウス海を挟んで向かい側にあります。
でも、アテネのからペロポネソス半島に行くには、いったん北上してコリントス運河を渡らなければ行くことが
出来ません。見えているのに遠いのです。
半島といっても、湾の先にあるのではなく、でっかい島が、おできのようにくっついてると言った方が
いいかもしれません。その付け根のくびれた所がコリントス運河なのです。
アテネから西に80km、ペロポネソス半島を目指してバスは北上します。
外の景色は岩肌がむき出しの白い山と、その山にわずかに生えている丈の短い草・・・。
左手にはピレウス海が見えてきた。昨日アゴラからわずかに見えた海だ。この先はエーゲ海になる。
昨日クルーズに行った人たちにとってはゲーゲ海というわけ。
約1時間の間、ペロポネソス半島ガイドのケイコさんは、ずっとしゃべり通しだった。
ケイコさんは日本人で、生まれも育ちも日本らしいが、ギリシャの虜になり住み着いてしまったという。
それでもって、ギリシャ人と結婚しガイドの仕事をしているという、熱いお人でした。
60歳近いマダームで、なが〜い真っ赤なマフラーがよく似合うモダ〜ンな方です。
テレビ番組の「不思議発見」でギリシャの時のクイズ出題者がケイコさんだったそうです。
「名前が出たのよ!」と言っていたが、実は、ケイコさんのフルネームはギリシャ人の旦那様の名前がついて
やたらめったら長い。
中間をはしょって書かれたのだろう。
とにかく、バスの中はケイコさんの説明が響き渡っていた。
半島の玄関口、運河に到着。運河は細長〜く、と〜っても深い。
えっと、私の当てにならないメモによると、深さ80m、長さ6kmとあります。
底の幅が狭くて、船だったら1隻しか通れない。すれ違うことは出来ないでしょう。
80m上部はすり鉢状なのでやや広くなりますが、ほぼ垂直に切り立った絶壁です。
この絶壁が6kmつづいてるわけです。
はるか下に流れてる水の色が素晴らしいブルー!
絵の具の群青色を大量に流したような青!バスクリンを1本どぼどぼ入れたような藍!
宝石のエメラルドのような吸い込まれそうな蒼!
絶壁の切れ込みもみごと!岩色を見て中国西安の大雁塔の壁色を連想した私でした。
白い鳥(カモメ?)が絶壁に止まってました。
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おまけ ギリシャのお菓子
昨日のスタンドで買ったプリンは具合が悪くなるほど甘かった。
ギリシャのお菓子はどれも甘いのだろうか?
トイレ休憩に寄ったドライブインで私は懲りもせずお菓子を買った。
見た目にはどれも綺麗だし、美味しそうなんだもの・・・
中でも、飴色をした外側がカラメルらしきケーキを買ってみた。
紙の袋に入れてくれて渡された。あとで、おやつに食べようと、紙袋のままカバンの中に入れっぱなしにしていた。
遺跡を巡ってるうち、遺跡に夢中でお菓子のことは忘れてしまっていた。
ホテルに帰って思い出し、取り出したらいっしょに入れてあった文庫本に飴がくっついて本がべチョべチョに・・・。
「あちゃー、やっちまっただよ・・・」本にかけていた皮製のカバーがベトベトになってしまったので、
洗ったら縮んでしまって、使いものにならなくなってしまった。
そして、お菓子の味はというと・・・
「あま〜い・・・うわあ、だる〜い・・・なんじゃこりゃあ・・・パス・・・」と昨日の二の舞だったのでした。
本当に懲りない私・・・。
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現在は内陸に8kmほど入った所にありますが、その昔は海運貿易で栄えた港に位置し、
地中海全域を牛耳っていたことがうかがえる。その証拠にコリントスの壺が世界各地で発見され、
その繁栄ぶりを裏づけている。
(壺に入れて運搬していたから)
遺跡の構内に博物館があり、これらの壺が展示されている。
アポロン神殿 紀元前6世紀
木造神殿から石造に移行し始めの初期のものなので、ひとつの石から柱を作られている。
まだ技術的に未熟である。ちなみにパルテノン神殿に柱は16個だったけかなあ・・・
正確な個数は忘れたけど、何個も重ねて1本の柱にしてるんですよ。
ここのは石というより砂岩の柱みたいだった。ぶっといドリス式の柱が7本残ってました。
ドリス式柱はコリントス人の発明ということになるのでしょうか?
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ストア 紀元前4世紀
神殿から一段低くなった所が広場になっている。旧コリントスのアゴラだ。
広場を囲むように商店街(ストア)があったという。
ひとつだけ円形の屋根を持つそれらしき建物が残っていた。
広場の中央には演壇があったといいます。
ケイコさんのガイドでは「聖パウロがここで説教をしました」と。
そういえば・・・バスの中でも、「ここの岬にパウロが着いて、キリスト教をギリシャに広めました」
とか言ってたっけ。ふ〜ん、パウロねえ。
それ以前、ここではギリシャ神話の神々を信仰していたのでしょうか・・・?
また、広場の南端には広場が競技場として使われてた時のスタートラインが残っていました。
石膏の白線じゃなくて、石で。
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ピレーネの泉 ローマ期
古代の貯水場。この建物は今でも充分使用可能なほどしっかりしている。
現在でも水の流れる音は聞こえるし、自然の水が流れています。
排水溝がありましたが、ここに流れてくるほどの水量は今はありません。
恐らく雨が降れば満水になって流れてくるのかもしれません。
この遺跡の見どころとしては、神殿とこの泉です。
水洗トイレ ローマ期
大浴場に付設されていたローマ式トイレ。建物は跡形もない。
大理石の板に穴があいてるだけだが、穴の下には水が流れていて自動水洗トイレだった。
さすが、ローマ帝国は衛生面が充実してます。
水がふんだんに使われているのはローマ時代の特徴ですよね。
水道橋の建設が水源を確保していた。建築技術が繁栄を支えていた。
ケイコさんはトイレに腰掛けて「ほらほら、この下を水が流れっぱなしだったのよ」と説明してくれた。
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博物館
ここの目玉はなんといってもコリントスの壺!なんだけど・・・覚えてな〜い、どういうのだっけ?
他に新石器時代からローマ期までのここで発掘されたものと、この地方一帯で出土したものが展示されています。
私がこの博物館で覚えているのは、アルカイック・スマイルが何かに似てると、ずっとひっかかっていたですが、
ここで思いだしたのである!
きのうも、おとといも、アルカイック・スマイルをたくさん見てきた。
その度に「何かに似てるよなあ、なんだろう?」「どっかで見たぞ、どこでだ?」の連続で気持ち悪かったのだが、
ここの博物館で見た顔は人間、体は翼が生えたライオン(スフィンクス)のアルカイック・スマイルの像をみて・・・
「わかった!」「もののけ姫のシシ神だ!」ああ、すっきりしたあ・・・。
宮崎駿さんがアルカイック・スマイルをモデルにしたかどうか定かでないが、シシ神だ!
ふー、やっと思い出した・・・あの微笑だ・・・。
劇場跡(紀元前5世紀)と音楽堂跡(ローマ期)
博物館を出てすぐの所にコリント様式(コリントはコリントスのことなんだ!これも発見の一つ)の3本の柱が
ありました。
目立たないのでみんな素通りしてしまいますが、短いながらも柱頭の細工は紛れもなくコリント様式の美しさを
残していました。
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ゲラウケの泉
これまた目立たない所に、地味にありました。
一見、物置小屋のような遺跡はグラウケの泉といいまして、悲劇の泉なのでありまする。
以下にそのお話を書きます。
「魔女メディアの復讐」
黒海の東沿岸コルキスの王女メディアは、魔術が使えた。
彼女は金羊毛を求めてやってきた英雄イアソンと恋に落ち魔術を駆使して彼を助け妻になった。
しかし、わけあって2人は彼の故郷イアルコス(ギリシャ北西部)を追われることになり、コリントスまでおちのびた。
コリントスの王が娘グラウケと結婚を条件に王位継承を申し出ると、イアソンはメディアを捨てた!
怒ったメディアは、毒を塗った花嫁衣裳をグラウケに贈る。
これを着たグラウケは火だるまになり、助けようとした王も焼け死んだ。
この時熱さのあまり飛び込んだのが、この泉です。
なんで復讐の対象がイアソンじゃないのか?女はわからないねえー。
伝説だけではなく、旧コリントスは古代売春婦たちの宿として当時良く知られている所でした。
そりゃ、海の男たちが交易で賑わっていたわけだから、ロマンスの話しは事欠かなかったろうし、
泉に命を落とした悲劇も事実あったかもしれない・・・。
ピレーネの泉にまつわる話も。
「悲劇ピレーネの泉」
河神アソーポスの娘ピレーネは、海神ポセイドンとの間に2人の子供があった。
しかし2人とも悲惨な死を遂げたため、ピレーネは悲しみのあまり泣き止むことが出来なかった。
やがて、涙で彼女の体は溶けて、そこに泉ができた。それがピレーネの泉。
アクロコリントス山
遺跡の南西に標高575mの山が見える。山頂には要塞の城壁がぐるり張り巡らされている。
印象的だった。日本では、いや中国では山頂に城を構えるのは滅亡に繋がるとして嫌われている。
なので山の中腹に構えるのが最良とされている。日本人ではただひとり、反逆児の織田信長だけが安土城を
山の頂上に建てた。迷信とはとはいえ、事実滅亡してしまった・・・
で、アクロコリントスですが、ローマ期にはアフロディーテ神殿に1000人もの女司祭がつかえていたといいます。
山はあくまでもゴツゴツした白い岩肌剥きだし・・・頂上の城砦は茶色・・・
この光景は私にとって忘れられないギリシャの風景のひとつになったのでした。
人の記憶なんておかしなもので、その時はさして気にも留めてなかったことがいつまでも追いかけてきたりして。
だから、印象に残ってて伝えたいものほど写真がありません。
映像は、たとえ見る対象が同じでも、それはひとりひとりの記憶には別々に焼きこまれるもの・・・
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ついにやってまいりました!私の中では本日のメインです!
なのに無情にも雨が降りはじめました。傘が必要なくらい強い雨です。
山々に囲まれたアルゴリス平野の北に位置しているこの遺跡は、1876年ドイツの商人で
考古学者で愛妻家のシュリーマンによって発見された。
彼はギリシア神話の世界が事実だったのでは、と研究を重ね核心を掴み私財をなげうって発掘に踏み切った。
男のロマンだ。
昨日考古学博物館で見たアガメムノンは神話の中の人物と思われていたのを、彼は史実に変えた。
彼のおかげで、こうして古代が明るみになって我々は目にすることが出来る。
それ以上に彼が実際発見した時の感動は、確信はあったとはいえ我々には計り知れないほどだったろう。
幼い頃からの夢が現実になったのだから。
この遺跡はシュリーマンの私物にしてもいいくらいだ、と私は思っている。
だって、誰も彼に耳をかさなかったんだよ。「そんなことあるはずない!」とか言って。
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シュリーマンが発掘した遺跡は城塞であるが、付近には墓地も数多く点在している。
丘の上の城塞のすぐ外にも墓地が見つかっているし、内部(門入ってすぐ)にもあるし、
遺跡の手前500mほどの所にも完全な形で大きな墓地が発見されている。(アトレウスの宝庫)私たちは、
はじめに城塞の遺跡に向かった。
城塞跡 「獅子の門」BC1250年頃
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本降りの雨です。
城塞跡は丘の上にあります。当時の文明の中心ミケーネは後のアクロポリスの原型である。
ミケーネより以前のミノア時代は城塞などなかったが、ミケーネ時代に入って争いが頻繁に起こるようになり、
堅固な城塞が必要になったのだろう。
なだらかな坂道を城塞に沿って登っていくとミケーネの象徴「獅子の門」が見えてきた。
「あれだ!」入り口の門の上に大きな三角石、その三角石に2頭の獅子が浮き彫りにされている。
獅子は前足を台に乗せて後ろ足でつっぱねるようにして向かい合っている。
残念なことに首から上はない・・・どこにいっちゃったんだろう?ミケーネを象徴する門である。
遺跡全体は右回りに螺旋を描いており、門越しに外から内部を見ると左壁しか見えない。
この螺旋のおかげで、中では門を突破してきた敵を、右壁に隠れて向かい打つことが出来る。
敵から右壁は見えないようになってる。こうして、工夫してですね守備に備えたんですね。
日本の城も、枡形の城門をこしらえて攻撃に備える。古今東西、人間の考えることに大差はない。
円形墓地
門を入ってすぐ右側に円形墓地Aがある。庭先に埋葬したようなものではないか。
私がここで一番見たかったのは実はここでした。
いくら神社仏閣好きの私でも「お寺が好きだから」「お墓が好きだから」という理由ではありません。
シュリーマンがイッと最初に発掘し、アガメムノンのマスクを発見した場所がここだったのです。
城塞の内部にあることから、一族の墓地と考えられているようです。
大人だけでなく子供の遺体も発見されており、どの遺体にも黄金のマスクが被せられていたといいますから
高貴な人の墓地に違いないでしょう。
その他にも、多くの武具や陶器、文字文明を裏付ける線文字Bが書かれた粘土板が大量に出土しています。
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墓地の大きさは直径26.5mの穴。穴の中が6つくらいに仕切られて個室になっている。
円は3重になっていた。ホメロスの詩に伝えられた伝説はこの墓の発見で史実になった。
・・・詩が現実だったとは。それを証明するとは。まいったねえ・・・
私は雨の中、この何もない穴をぼーっと見つめ「まいった、まいった、ほんとにまいった・・・」と何度も
つぶやいたのでした。
玉座の間
雨で足元がすべって歩きにくいったら。しかもかなり急な上り坂で、遺跡というより登山です。
なーんにもないただの石の山を登ってる感じ。「でも、上には玉座の間があるはず・・・
ここまで来たんだから見たいっちゃ!」と挫けず登った。他の人は既にバスに帰り始めていた。
「私だけはみるっちゃ!」本当にでこぼこ石ですべってころびそうになる。
頂上の宮殿跡には土台に使われた石や風呂場跡、貯水池跡もあるはずなのに、
「えっ?石ばっかり・・・」
メガロン(広間)の中央には天井を支えていた4本の柱跡と炉の跡があるはず・・・。
その隣りが玉座の間、のはず・・・。
はず、ばっかりで「どこが中央じゃ?炉?石が転がってるだけジャン・・・」
隣り、ったって中央がわかんないから基準がない。
私は勝手に「これを玉座、ってことにしよう!」と大きめの石を指名して満足したことにしたのでした。
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文明が栄えるには交易が必要だ。
「こんな山の中で文明だなんて・・・」と思っていた私は意外な発見をしたのでした。
苦労して登山の甲斐がありました。石ころばかりではなかったのです。
ここは、山の中なんかじゃなかった。頂上からはなんと海が見えたのです。
「海だ!こんなに近くに・・・。」背後にはこの遺跡を抱きかかえるように、ふたつの高い山。
いやあ、これぞ自然の要塞、恐るべしミュケナイ!
まさかこんなに近くに海があったとは驚きだ。アルゴス平野の向こうは海なんだ・・・
私はこの発見に満足し、何度も転びそうになりながら「見えた・・・あんなに近かった」と、ひとりつぶやきながら
下りたのでした・・・。
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アトレウスの宝庫
私たちはいったんバスに戻り、500mほど走って、ほぼ完全な形で残っている墓地、アトレウスの宝庫に着いた。
バスを降りて林の中をしばらく歩く。
道には露店が一、二軒出てるくらいなので、観光地と知らないで通り過ぎたとしてもおかしくない。
さっき行ってきた城塞の遺跡だって、何もない山の中にポツンとあるだけだから、この道は遺跡のための
山道といってもおかしくない。
墓は、小高い山の横を掘って内部に石を積み重ねて作ったようだ。
入り口まで両脇に石が高く積んである。写真から推測すると8mはあるだろう。
その先にある四角い入り口の上部が三角形にくり貫いてある。
上からの重力を分散させるためである。古代の人たちは計算と言うより勘が働いたのだろう。
構造計算などない時代、墓の内部は円錐形に石が積まれている。
別名「蜂の巣形墓地」と言われる所以である。
(さっきの城塞の外にもこれと似たような入り口(上部が三角形)の墓地があったが、こことは違って内部は
平らな高天井だった。)
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丸い部屋から脇にもうひとつ部屋があった。天井もグッと低くなり、狭い。
光もとどかないので真っ暗で何も見えない。
ケイコさんがロウソクをつけてくれたが、見るべきものはなさそうだ。
しかし、この部屋に入ったとたん私は寒気がした。なんだか怖い。
私は特別霊感が強い方ではないが、時々この手の寒気を感じることはある。
何年も前、日本の大手デパートでエジプト展が開催され見に行った時のこと。
ファラオの棺がその時の目玉だったのだが(ミイラはなかった)私は棺ではなく、
その棺の脇に並べてあった小さな壺に寒気を感じたのです。
当時、その壺の正体を知らなかった私だが、寒気の原因が壺だということははっきりしていた。
なぜ壺に寒気を感じるのか?と思いながら早々にその場を離れた。
後に偶然知ったことであるが、あの壺は、ミイラを作る際肉体が復活した時のために内臓を入れて
保管するためのものであったという・・・。
そりゃ、寒いはずだ・・・
ですから今回も、この小さなジメッとした部屋にも誰かが居ったのかもしれません。
もしかしたら、壁のすみっこにまだ見つけてもらってない骨が埋まっていたのかも・・・。
資料によればこの墓の中からは何も発見されなかったと言うことです。
そんなことはあたりまえじゃないの?!黄金文明のミュケナイの墓だよ?!
とうの昔に墓荒らしが全部持ち去ったに決まってるじゃないの・・・?
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ミケーネの遺跡の山が見えるふもとにあるレストランで昼食になった。
まわりに民家が・・・ポツン・・・またポツン・・・とあるだけの田舎である。
観光客も少ない季節なので広ーいレストランは私たちだけの貸切。
窓際の日当たりのいいテーブルに通されて、食事が始まった。
ボトルワインを注文して、みんなでわけることになった。
でてきた料理はどれもこれも素晴らしく美味しかった!ここのご主人が料理勉強熱心なのだろう、
ワインはいまいちだったがパスタも美味しかったし、特に‘レモンソースのロールキャベツ’は絶品で、
このレストランのオリジナルとのこと。酸っぱくないのにちゃんとレモン味と知れる、というものだった。
おいしかったあ。おかわりしたいくらい。ちなみにソースの色は不透明のレモン色でした。
食事も終わってめいめい散歩に出たりと出発時間まで過ごす。
私は窓から見えたアルゴス平野に広がるオリーブ畑をボンヤリ眺めていた。
雨は上がったがまだ重たい雲が山にかかっていた。生暖かい湿った風も吹いてきた。
雨上がりの方が湿度が高いせいか暖かい・・・
ミケーネの遺跡を見てきて私は更にエジプトを考えさせられた。
墓地の形式が写真でみたピラミッドの入り口に似ていたこと。
埋葬の仕方もミイラにマスク、これはもはやエジプトの埋葬ではないか。
それに、コリントスの遺跡やアテネで散々見てきたアルカイック彫刻のクーロスや獅子。
クーロスなどはルクソールの神殿を連想させるものだし、獅子はすなわちスフィンクスである。
私にとってここにきてエジプトは決定的になっていた。
おまけ ミケーネの伝説
ミケーネの最後に王アガメムノンの死にまつわる伝説の話を書こうと思います。
・・・興味のない方はとばしてください。
「尊属殺人」の伝説
ミケーネの王アガメムノンは、ギリシア軍の総指揮官としてトロイア戦争に出陣した。
そこで彼はアルテミス女神の聖域で彼女の聖獣の鹿を殺したため女神の怒りをかった。
女神の怒りを静めるため、長女フゲニアを犠牲にさしださねばならない。
彼は妻のクリュタイムネストラの懇願も聞かず、娘を殺してトロイアに向かった。
さらに彼はトロイア戦争で勝利を収め、戦利品としてトロイアの王女カッサンドラを妾にし、凱旋した。
これを知ったクリュタイムネストラは殺意と娘を殺された復讐に燃えた。
彼の兄弟アイギストスと愛欲と利害の一致を背景に夫の殺害を計画した。
アガメムノンが凱旋帰国したその日、妻は風呂を勧め、アイギストスと殺害に及んだ。(別の説では饗宴中の
広間だったという)
母が父アガメムノンを殺害したことを知った次女エレクトラは弟オレステスを信頼できる家臣にあずけた。
それから8年後、次女と弟は母親とその愛人(叔父に当たる)アイギストスの殺害に成功する。
妻のクリュタイムネストラとアイギストスの墓は現在「アトレウスの宝庫」の南にある。
王アガメムノンを裏切ったため、王城の中には埋められなかった。
父が娘を殺し、妻が夫を殺し、子が母を殺した。復讐はたとえ血縁でも容赦なく行われていた。
ギリシア神話の神々はみんなこういう人物像である。がこれを神話ではなく史実として考えるなら、
どれもエジプト的考え方といえるのではないでしょうか?
注記)神話に関しての記述に一部「地球の歩き方」から引用した箇所があります。
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アルゴリウス湾に面したいかにも港町である。丘の上にはギリシャお決まりの城壁があります。
ペロポネソス半島に来てから、「山の上には城塞」の景色が定番になっている。
パラミディ城
ここの城は1711年から3年かけてヴェネチア人が築いたもので、城跡へは999段の階段を登る。
トルコ支配時代は政治犯の牢獄になっていた。私たちは下から見ただけで登らなかった・・・。
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ブルジイ島
ナフプリオンの港に浮かぶ小島で、島いっぱいいっぱいに城らしきが建っている。
一棟で島いっぱい。元はヴェネチア人が建てた要塞とのこと。
牢獄にするならこっちの方がふさわしそうなのだが、19世紀には死刑執行人たちの定年後の住居だったという。
全く逆じゃんね。老後に‘隔離暮らし’していたなんて。
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ナフプリオンでケイコさんがいった。
「日本だったら港は磯の香りがして、潮風でベタベタするはずです」
私は言われるまでこのことに気がつかずにいたが、確かにそうだ。ケイコさんはこう説明してくれた。
「(なんとかいう)プランクトンがいないのでワカメらしき藻が発生しません。
だから、透明度が高くて青いのよ」と。
そうかあ・・・日本の海は、こんなに青くないもんね。
海水浴に行ってもワカメが体にまとわりついて風は潮風でベトベトするし、海水の色だって黒っつうか、
緑っつうか・・・。
確かに、ここに磯の匂いはないし、ベタベタした潮風もない。乾燥した空気であった。
海の色はひたすらブルーグリーンだし。
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ペロポネソス半島最後の観光地になってしまいました。
エピダウロスは医学発祥の地である。山の谷間にあり、森林浴で療養していたと思われます。
遺跡は医療施設に寺院、神殿、療養施設としての音楽堂、劇場などで構成されています。
今では、医療の一環だった劇場の方が有名で、現在でも使用され上演が行われている。
私たちはまず劇場に向かった。
林の中をしばらく歩くと、緑の森の中に半円形すり鉢状の劇場が現れた。
何万人単位で収容可能にみえる。
ケイコさんの説明。「一番上の観客にも息づかいまで聞こえるのよ」
音響効果がいかに良くても屋外劇場で息づかいまでは大げさでしょう・・・と思っていたら、
「どなたか上までいってみてくださいな」 元気なおじ様がすっとんでいった。
ケイコさんはすり鉢の真ん中(舞台が設置される場所)に立ってコインを床にポトッと落とした。
「聞こえましたかア?」と上のおじ様に声をかける。おじ様は腕で大きくマルをつくった。「へえ〜」
「じゃあこれは?」とささやくように‘さくらさくら’の唄を歌った。
やっぱり、おじ様は腕で大きくマルをつくった。「すご〜い」
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夏の週末には古代劇が上演されると言います。
当時は、ここで療養中の病人や近隣の人たちが夕涼みに劇を見にやってきたのでしょう。
医療ばかりではなく精神療法の面も進んでいたのですね。
ここの始まりは紀元前6世紀医神アスクレピオスの信仰が伝わり、神に祈りながら病気を治した。
その後紀元前4世紀エピダウロスによって、いろいろな建物が建てられた。
博物館にはエピダウロス(医神)の像があった。
彼の持っている杖には蛇が巻き付いている。蛇は薬とか医師の象徴です。
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劇場から少し離れた所に音楽堂や寺院の跡がある。
ケイコさんは「何もないわよ」というが、私は走って行ってみた。
・・・やっぱり何もない。原っぱと化していました。低い石が点在してるだけ・・・。
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私のペロポネソス半島観光はこれで終わりです。
バスはアテネに向けて走ります。既に夕方で暗くなりかけています。
今日は雨で、空には一日中重たい雲が覆っていました。
帰る道々羊、ヤギの放牧に逢ったりと長閑な風景がつづきます。
この何年後かに、ペロポネソス(エピダウロス付近だったと思う)で日本人の観光バスがジャックされる事件が
起こりました。
そのニュースをテレビで見て、「この人たちは観光を中止して日本に帰ってくるしかないんだろうな」と思っていたら、
とんでもなかった。
彼らはギリシャ政府の招待でクルーズを楽しんで全工程をこなして帰ってきたのです。
(事件解決後すぐ帰国したのはひとりだけだった)
ギリシャ人のなせる業であったのではないか、と思った私でした。
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vol.70
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