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今日は市内をまわろうと思っている。
団体旅行の辛いところは、ゆっくり見たい所で時間が限られてしまうことだ。
特に、美術館や博物館などはダイジェスト版並みにカットされたりして、せっかく遠路はるばるやってきて
「そりゃないよ、とほほ・・・」と何度泣いたことか。その点、今日はそんな心配はいらない。
行きたい所は2箇所にしぼって、たっぷり時間がかけられるように、ゆっくりめの予定を立てている。
はじめに向かうは国立考古学博物館。ここは何をおいても行きたいところです。
もうひとつは古代アゴラ。昨日ぺロポリスの丘から眺めた所へ向かおうと思っている。
それでも時間があれば、ソクラテスが幽閉された場所があるフィロパポスの丘まで足をのばそうかと考えている・・・
朝7時起床。外はまだ暗い。
博物館の開館時間は8時だからそれに合わせて出てきたのに、道に出ても車も走ってなければ、人もいない。
まだみんなおやすみ中らしい。ギリシャでは夕食が9時過ぎが一般的らしい。
飲みながら夜更かしになるので、朝はゆっくりなのだろう。
「ところで博物館は開いているだろうか・・・」と歩くこと20分。出あったのは犬一匹だけだった。
アテネの道を独り占めして歩く‘贅沢’。そんなアテネの早朝は空気が青かった。
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到着。人影はなくシーンと静まり返っていて、空気もまだ青い。
「開いているだろうか?」ええ、確かに開館はしていましたが、この様子ではどうやら貸切のようです。
これぞオフシーズンの醍醐味であります!
ここには、明日行く予定になっているミケーネ文明の出土品の他、地中海深く眠っていた青銅像、
サントリーニ島の壁画などギリシャ各地で出土した芸術品が収められています。
ながーいギリシャの歴史が生んだ芸術の宝庫なのです!
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ミノア文明(BC3000年頃)
ヨーロッパ最古の文明。クレタ島を中心として栄えた。
ミノア人はオリエントとの貿易を独占し、エーゲ海全域を支配下においた。
クレタ島にあるクノッソス宮殿からその繁栄の様子が伺える。
ミケーネ、ヘレニズム時代(BC1400年頃)
ペロポネソス半島にミケーネ王宮跡が残っている。
この間にギリシア軍が小アジアのトロイをやぶったトロイ戦争の木馬伝説は有名な話。
この戦争後、荒廃しBC900年まで暗黒時代が続く。
さらに都市国家(ポリス)時代、さらにBC334年にはアレキサンダー大王が築くヘレニズム時代が訪れるが、
王の死後帝国は再度分裂してしまう。
ローマ時代(BC27年頃)
東ローマ帝国に編入され、その後1100年間もローマの支配を受ける。
キリスト教が広まったのもこの時代である。
トルコ時代(1453年)
1453年オスマントルコ軍によりビザンティン帝国(東ローマ帝国)は崩壊。
ギリシャはトルコ領となる。この時代にギリシャ人は船隊を組んだ貿易で次第に富を築き、
1821年独立戦争が勃発する。
独立(1830年)
ロンドン会議により独立。
1909年のクーデターで政治の立て直しが行われて以降、イギリスからのイオニア諸島の返還、
マケドニアの獲得、クレタ島併合などを経て現在にいたる。
丹念に時間をかけて見るつもりだった。その上誰もいないので博物館「私物化」の気分だ。
1階は彫刻が中心で、2階は壁画が中心でした。年代別、出土先別に展示されていましたので
私が見た順に(だいたいは年代別)に書き進めようと思います。
先史時代(BC2500〜1500頃)
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先史時代(BC2500〜2200頃)の小さな像があります。
そうだなあ、高さ10cm〜15cm位です。これがギリシャ彫刻の始まりです。
竪琴を弾く人物像、フルートを吹く人物像、などこれら音楽家像は棺の中に収められたと考えれているようです。
人物といっても宇宙人のような抽象的な像です。
もともとギリシャ彫刻はこのように小さいものだったのですが、エジプトやメソポタミアの影響を受けて一気に巨大化し、
等身大に近い物となったのです。
また、同時期に神殿の建築が盛んになったことを受けて、神々が題材となってアルカイック期、クラシック期を経て、
ミロのヴィーナスや現在バチカンにあるラオコーン像に見られるヘレニズム期へと発展していったというわけです。
ミケーネ文明(BC2000〜1200)
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ガラスケースに黄金のマスクがずらーり・・・
「これじゃ小さすぎて顔からはみでちゃうやんか」と思いながら眺めた。
他に黄金の杯(マグカップみたいの)、指輪、青銅の剣など・・・
薄い造りからして高度な技術が必要だし、黄金の豊富さからしても繁栄はいかばかりか。
これを見てミケーネ文明が黄金文明だったことを痛感した。
ミケーネの発掘にあたったシュリーマン(ドイツ人考古学者)が黄金マスクの一枚を、アガメムノンであると
主張したことは有名な話であるが、私の目にはどれも同じに見えて「本物はどれだ?」状態だった。
かすかに「これがそうだな」と思ったものの、クローンアガメムノン黄金マスクの前を先に急ぐ私であった。
アルカイック期(BC700〜500)
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アンフォラ(幾何学模様)の土器がつづく。素焼きに黒絵の模様、赤が入ることもある。
鮮やかではっきりした色彩なので全てが強調しあっている。
クーロス像(青年の像)とコレー像(女性の像)が古い順に並ぶ。
クーロスはどれも正面向きで、直立した姿勢で表されている。
また、両腕をしっかり胴体につけ、かならず左足を一歩前へ踏み出している。
が、重心は真ん中。ここにはエジプト彫刻の影響が強く感じられるが、両足に均等に体重をかけているのと、
裸体である点で異なる。
(エジプトは両足を揃えているし、裸体ではない)どれも細身ですんなりしていて、優美である。
ギリシャ美術で裸体の持つ意味は、この頃まだ人間と神の区別がつかず、つけずか、同一視していた名残と
考えられている。神話が日常の身近に存在していたことがよくわかる。
なので、後期にはいると人間の自然な体形、例えば筋肉を際立たせて強調するようになるなどが見られるように
なるのだ。ここでは極めて美しいスッとした、それでいて肩幅の広さから男性とわかる繊細な彫刻でした。
一方、コレーはクーロスのように様式が決まってはおらず、比較的自由に表現されています。
どれも着衣で腕のしぐさや衣装、髪型はバラエティーに富んでいて、ひだの多い優雅な衣装をまとい、
透明感の強い大理石で作られることが多く、宝石をはめ込むなどの装飾されたものもみられた。
クーロスもコレーも、ギリシャ産の大理石製である。
アンフォラとクーロスは墓碑(埋葬用)として作成されたらしい。というのも出土先が墓地なのです。
コレーは奉納像として作られたケースが多いようです。
クラシック期(BC500〜330)
アルカイック期のクーロスに代表される彫刻に見られるように、神と人間の同一視が消えて、
人間が神から切り離されたのがこの時期である。人間は神とは違う過酷な運命にさらされているのだと気がつくのに、
さほど時間はかからなかったようです。
ですので、ギリシャ美術の特質はその進展の速さがあげられるのです。物分りが早いのですよ。
人間を見つめ始めた時、表情からはアルカイック・スマイルが消え、代わりに厳粛な険しい表情が登場します。
表示された年代を見ると、アルカイック期からわずか十数年でクラシック期は頂点に達しています。
題材は依然として神々が中心でありますが、徹底的に人体の完全美、理想を追求しています。
アルカイック期と見分けるのは簡単です。
1.アルカイック・スマイルがない。
2.直立不動像ではなく、コントラポストの表現がみられる。
3.すんなりした体形ではなく、カノンのもとに作成されている。
4.クラシック期後期には女性の裸体像が登場する。
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アルカイック・スマイル
口の両端をわずかに引き上げる微笑。
コントラポスト
重心のかかった立脚と、力を抜いた遊脚を区別することにより、像全体がs字を描き、動きが生じた対比の表現。
カノン
人体を解剖学的に正確に測り、一定の比率と寸法によって形作ること。
中でも感動したのはポセイドン像でした。
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ブロンズ像、高さ209cm、作成時期BC460〜BC450、
エウボイア島アルテミシオン岬沖出土。
従来は矛をもったポセイドン像とされていましたが、最近では雷(いかずち)を投げるゼウス像という見方が有力と
いうことです。
左手を前に肩の高さで狙いを定めて、右手を後ろに槍を持っているかのようにかまえて左足が一歩前で重心も
やや前で、後ろの右足のかかとがやや浮いている。
体は横を向いて開いており、顔は前方左手を見ている。もう、うっとりしてしまう美しさ。
手の指と、足の指の美しいこと!左指の伸び具合、右足のかかとから下の着地具合!完璧!
美しい・・・強さを発揮するのに必要な脱力。脱力にして最強。うーん、表現が実に難しい・・・
だが、この像にはそれがはっきりと見て取れるのです!素晴らしい。
こんなこと言うと変に思われるかもしれませんが、私が人の体で惹かれるのが‘骨’なのです。
顔でも「(いいなあ・・・)」と思うのが‘筋(すじ)’や‘血管’なのです。
私の好きな映画に「存在の耐えられない軽さ」というのがありますが、
その中でジュリエット・ビノシュがみせた背中の骨が印象に残っているくらいですから・・・あの背骨は良かったよー。
ダニエル・ディ・キイスも笑った時にクッと顔に力が入って、額に血管が縦に浮くんです。
あの血管は良かったよー。
映画に限らずそういう人いるでしょ?骨が張っているあごとか、指の血管が浮いているとか・・・
女の人なら‘鎖骨’がでてるとか・・・どういうわけか骨や血管に目がいってしまうんです。
もちろん、健康な人ですよ!痩せてるとかじゃなくて、こう・・・
クッと力が入った時にだけでてくる‘骨’や‘血管’に目がいってしまうんです。
‘骨’や‘血管’がでれば、なんでも良いかというと、そこはまたウルサイのです・・・。
このポセイドン像だってそうですよ!骨の表情、指の筋・・・カッコいい。
私は像の周りを何度も何度もグルグル回って、ポーッとしたのでした・・・。
絵画ではないので写真もOKです。誰もいないから許可も要らないほどでしたが。
私は、足の指や、手の先ばっかり撮ってきたものですから、家族に写真を見せたら
「なんだこりゃ・・・足だけじゃないか!」とか「指だけ撮ってどうすんだよ!」と、散々な言いようをされてしまいました。
もうひとつ鼻の下をのばして見たのがアンディキディラの青年像です。
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ブロンズ像、高さ200cmくらい、作成時期BC340頃、作者はペロポネソス地方出身者とみられている。
1990年アンディキディラ島の沖合に沈んでいた難破船から発見。
ポセイドン像と展示室は離れていますが、見事にクラシック期の特徴を備えています。
胸板が厚い上半身。左足にほとんどの重心をかけ、右足虚歩(太極拳用語でほとんど体重がかかっていない足の事)
かかとは高く浮いています。いわゆる丁歩(太極拳用語で添えているだけの足の事)です。
右手を斜め前方に目の高さで伸ばし、沈肩墜肘(太極拳用語で肩より肘が下がってリラックスしている様子)
手にはりんごを持っていたと言われています。
左手はわずか後方に自然に下げられている。顔と視線はりんごを斜に見ている感じ。
逆三角形の逞しい体と、無表情ではあるが理想的な美形、りんごは失われていますが目は入っていました。
美しい。ギリシャ美術の傑作といってもいいのではないでしょうか。
私はポセイドンのようには回らずに、その顔にデレーッと見入って鼻の下を伸ばしたのでした。
このふたつの像で私は、たんまり太極拳を勉強させられた気分です。
どこにいても、受ける側がアンテナを立てていれば、何からでも勉強は出来るものです。
アテネでこれが‘放松’‘虚歩’なのだよ、と今から約2500年前の人に教えていただきました。
このふたつの像はどちらも海中深くから引き上げられたものです。
アンディキディラなどは発見から、まだ10年ほどにしかなりません。ロマンではありませんか。
私にギリシャを再意識させたラオコーン像(1996年ローマ参照)は現在バチカンにありますが、
あれはBC150年頃のギリシャ彫刻です。
1506年ローマに設置される時、ミケランジェロ自身現場にいたといいます。
私も1996年ラオコーン像の前に立ち、雷に打たれたような感銘を受けました。
それで、ギリシャに繋がったのであり、こうして博物館内を見て回ると、ラオコーン像が最近の作品に
思えてしまうから、ギリシャの懐は深い。
イタリアにギリシャへの通用扉があったように、ここギリシャではエジプトへの通用扉が感じられる私です。
アッティカ陶器(2階)
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2階展示室のほとんどが陶器の展示であった。
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黒像式(BC700〜500)
赤い生地に黒い像で神話の神々を描く。
赤像式(BC550〜400)
像を赤い生地のまま残して、まわりを黒く塗りつぶす。
白地式(BC470〜)
容器の画面となる部分を白地にして、黒ないし茶の輪郭線と色絵の具で像を描く。死者供養の陶器画。
ほとんどが壺であり、ひとつひとつがかなり大きい。酒、水、油、穀物の保存用に使われたもの。
絵柄は戦いの様子や、商業の取引の様子やら生活の様子を描いたものが多く、当時の情報が見て取れるもの
でした。
壁画(2階)
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サントリーニ島で発掘されたアクロティリ遺跡の壁画が展示されている。
BC1500年頃噴火と地震によって火山灰に埋もれたため色の保存状態がいい。
私が、その色彩に目をとめたのがボクシングをする少年たちと題されている壁画だった。
女の子のように髪を腰近くまでたらした少年ふたりが右パンチをお互いに出し合っている。
赤い体に水色の腰紐とグローブ。顔はエジプトのファラオを思わせる黒で縁取られた大きな目。
襖2枚分くらいで、見ごたえのある大きさでした。
数ある壁画の中でも色彩が鮮やかだったように記憶していますし、
変に小さくまとまらずに自由で大胆に描かれているのが印象的でした。
思いがけず・・・
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見落としがないか、ひととおり見終わって館内の地図を見ていたら、まだ行ってない部屋があることに気がついた。
行ってみると、ヘレニズム期の彫刻が所狭しとゴロゴロ置かれ、テラスのほうにもはみ出ていた。
みたところそれほど重要な作品はなさそうである。
ところが、L字型のその部屋を曲がって細くなったその奥の突き当たりに!アテナ神の像が・・・!
「(こんな目立たない奥地にあるの?)」「(物置のようなこんなすみっこに?)」
アテネの守護神がこのように、ひっそりと人知れず置かれているなんて・・・
台座は高いが、像そのものは1mもないくらいでした。パルテノン神殿に設置されていた本物ではないかも
しれませんが、私が以前ものの本で見たアテナ神像そのものでした。
思いがけず逢えたことで、遠くからアテネに来たことを守護神自らに歓迎されたような気がして、
私はひとりニンマリしたのでした。
アテナ女神はアテネの守護神の座をかけて戦い、力ずくで勝ち取った強いお方です。
その像はしっかり武装して、盾と剣を持った勇ましい姿をしていました。
結局、館内で博物館警備員以外の人に会うことはありませんでした。
いったい、どうなってるんだ・・・?
帰りにパンフレットを購入して、次に向かうは‘古代アゴラ’。時間は既にお昼になっていました。
お腹もすいてきたことでもあるし、そろそろ外に出ようかと思います・・・
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考古学博物館からアゴラまではホテルをはさんで反対になります。
博物館のパンフレットが重かったので、かなり遠回りになるがホテルに寄って置いていくことにしました。
外に出ると朝とはうって変わって、賑やかなアテネ市だった。
途中、クルーリ売りのおじさんが店を出しているのを発見。
ちょうどお腹もすいていたので歩きながら食べようと買ってみた。
クルーリというのはギリシャ名物のパンである。
街角でおじさんや、おばさんが大きな穴の開いたドーナツ状のパンを山盛りに重ねて売っています。
パンにはゴマがふりかけてあって、塩味だけのシンプルなものですが、
香ばしくておやつには最適で小腹がすいた時には重宝します。
大と小があって私は小さいのを買ったが、結局この日のお昼ご飯は、かじりながら歩いたこのクルーリになって
しまった。
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ホテルから再度出発してアゴラに向けて歩き始めた私だが、「(方角的に合ってるはずだから、いっちゃえ!)」と
ばかりに近道しようと路地に入った。
ギリシャでもひとつ広場があるとそこから放射状に道が延びている。
一本違えば行けば行っただけあらぬ方向に行くことになる。
私が入り込んだ路地は、地図によるとプラカ地区であり、蜘蛛の巣状に入り組んでいるアテネの下町である。
それはわかっていたが、もう地図には載っていない細ーい路地だらけで、地図など役に立たない袋小路に
入り込んでしまったのだ。
自力で脱出は難しい。戻ることももはや不可能なくらい深みにはまっていた。道は細いので車は通れない。
バイクがかろうじて入ってくるくらいの道だった。
「(あーあ、迷子だ・・・)」と、しばらく迷路を楽しもうと私は観念した。
道にはびっしり商人が店を出して商売をしている。アラブ人らしきが数十種類の香辛料を売っていたり、
陶器や電化製品、その修理屋があったり・・・スブラキ(ギリシャの大衆レストラン)や、
美味しそうなチーズやパンを出していたり・・・こたこたと小さな商店が軒を連ねていて面白い。
昨日のアティナス通りの市場同様、生活そのものだった。
時間があれば一日中迷子でも充分楽しめる町並みだった。
「(こうしてはいられない、そろそろ抜け出さないと・・・)」といっても、地図は役に立たないし・・・
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私はギリシャ語は全く話せません。あいさつひとつできません。
ギリシャ文字も読めません。何が書いてあるか文字を見て想像することすらできません・・・。
「(でも、聞くしかないな・・・)」と判断し、親切そうな人を探し始めました。
で、おじさんふたり組に英語で声をかけたら反応してくれました。
「(ホッ、よかった・・・)」わかりやすいように駅を聞いたのです。
そうしたら「大通りまで行くからついてくるように」と言ってるようです。
私は素直に後をついて行くことにしました。
角を曲がっても同じような風景で、金太郎飴の中を回ってるような感じだった。
おじさんは大通りまで誘導してくれて「俺は反対方向だから」と駅を指差して行ってしまいました。
せっかくここまで来たんだからついでに駅を見て行こうと思い向かったはいいがなんだか治安が悪そう。
いかがわしい取引があってもおかしくない雰囲気なのでした。
そういえば、ローマでも駅周辺は怪しい雰囲気が漂ってたっけ・・・。
私はモナスティラキ駅を早々にアゴラに向かった私でした。
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ギリシャは車も多いけど、若者は700ccクラスの大きいバイクにかっこよく乗っています。
アゴラまでの道の両脇にはバイクがびっしり止められていました。
黒革ジャンの青年たちがバイクに腰掛けて話しこんでいる光景がなぜか、忘れられません。
長身の青年たちの脇を縫うようにして、ちっこい日本人が手にクルーリの袋を握り、かじりながら歩きます。
車も渋滞して動かないと、車と車の間をちっこい日本人がクルーリをもぐもぐさせてヒョイと横切ります。
道々そんなこんなで待望の古代アゴラへ到着です。
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ギリシャ人は現代でも議論好きの国民である。タベルナという食堂に夜な夜な集まってはウゾという
強いお酒をあおりながら政治を語ったりしているようだ。
古くはソクラテスやプラトン、アリストテレスもここで弁舌をふるっていたわけです。
「(ここをあのスリッパ履きで歩いたのね・・・)」
ここ、古代アゴラが発掘されたのが1931年といいますから、そう古い話ではありません。
発掘されたといってもアゴラとしての建物らしき遺跡は特別ありません。
高くてもせいぜい1mくらいの塀らしきが残るだけで、あとは道の址があるとか、所々に柱の基礎が残っている・・・
とにかく平面的で何も無いといってもいいでしょう。
だけど、ここなんです!彼らはこの地面を歩いたのです!
私は貧しい想像力をフル回転させて、ただただ古代に浸ったのでした・・・
ソクラテスは青年らを誑かした、という罪で幽閉され、しまいには毒殺されます。
(自殺ともいえるけども)その弟子プラトンはアカデミアを創設し、教育に携わった。
アリストテレスは形而上学を確立した・・・
真理の探究を怠ることなく考えぬき、西洋思想の幕開けをきったのです。
ここから始まったのですぞ!ここにかつては議論好きの輩がたむろし、哲学が生まれたのです。
先人が語り、歩いた道。それが、ここなんですう。tuzi 感激ですう!
現在のアテネ市にも、あまり高い建物はありません。
市内のどこからでもアクロポリスの丘が見えます。
ギリシャ思想が盛んだった頃、ここがアテネの中心でした。
彼らはこの角度からアクロポリスの丘を見ていたのですね。
昨日は丘の上からアゴラを見下ろしましたが、ここアゴラから見上げたアクロポリスの丘は・・・
白かった!「おおっ!真っ白!」
大理石のパルテノン神殿は、間近で見るとその古さからか、黒ずんで、土色になっていましたが、
ここアゴラから見上げたパルテノン神殿はまさしく「白亜の神殿」だったのです。
感動しました。神殿ばかりではなく、アクロポリスの丘も含めて全部が「白い」のです!
巨大な白い塊がドカーン!て感じ・・・コレが本当の「驚きの白です!」
神話のお膝元にいる古代アテネ市民の目で見た神殿の一面を見た思いでした。
この「驚きの白」を、言う相手がいないのがなんとも寂しかった私でした。
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ここにも人がいなかったので私はしかたなく、ひとりぼっちのアゴラでその辺にある石を拾い集めて
セルフタイマーを使って写真を撮りました。
アゴラの中には樹木も多く、たぶんオリーブの木なのでしょう。緑葉樹でした。
地面にはどんぐりがたくさん落ちていたので、拾ってきました。
昨日ゼウス神殿で拾った大理石のかけらといっしょに、今も大事に書棚に置かれています。
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アゴラの中に復元された建物があります。‘アタロスのストア’といいます。
ギリシャの遺跡中ただひとつ完全に復元された建物です。
‘アタロス’は地名かと思われます。かつてはこの辺がもっとも人通りが多かったといいます。
‘ストア’は柱廊を意味します。ですので、この建物は前面が見事な廊下になっています。
廊下の長さは115m全部で45本のドリス式列柱が外側に並び、中間には22本のイオニア式列柱が並んでいます。
扉はないので外からの光が広い廊下にやわらかい影をおとしています。
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やはり、ここで雨の日も休むことなく議論が交わされていたのでしょう・・・
今はこの広々とした廊下に私ひとりが立ってるだけですが、その昔はわやわやと多くの人が行き交っていたのです。
こうして、復元された建物があるとその様子がありありと浮かんでくるものです。
遺跡の断片ばかりが残るアテネで唯一復元された建物がこの柱廊です。
古代を偲ぶには復元を見るのもひとつの手ではないでしょうか・・・
といっても、私はたとえ断片であっても遺跡の持つパワーのほうが勝っていると感じていますが・・・
2階は外側にイオニア式、中間にはエジプト式列柱が配されています。これも実に優美でした。
内部は博物館になっていて、ここで発掘されたものが全て収められていました。
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アゴラの中にパルテノン神殿より原形を残している神殿があります。
ここの神殿の発掘にあたって鍛冶に関するものが多く出土したことから、鍛冶を司る神、へファイトスの名が
つきました。またの名はアテネ市の宗主テセイオン神殿とも呼ばれています。
もちろん、アゴラの中にある丘の上に建つ神殿に行ってみました。
目指す神殿は近そうで結構距離がありました。
緑に囲まれた丘は花が咲いている時期なら、この小道はなおさら綺麗と思います。
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ここ、へファイトス神殿はパルテノン神殿よりずっと小ぶりですが屋根もちゃんと付いているし、一部は壁も
残っていました。
遠目には美しいのですが、近くで見ると本来は大理石なのでしょうが、なにせ2500年も以前の建物なので、
だいぶ黒く汚れていてシミか泥でも付いているかのような有様でした。
「(2500年かあ・・・)」と黒ずんだ神殿を一周し、「(ここにアゴラの住人たちが集ったのだろう)」と眺めたのでした。
日本で例えるならパルテノンは伊勢神宮、出雲大社、といったクラス。
ここへファイトスは近くの町のお宮、厄年といっては祓ってもらいに行き、新車を買ったといっては
祓いに行くような・・・だろうか。
なにげなく丘の上からまたもアクロポリスの丘を臨んだら
「おおっ!あれは・・・もしやエーゲ海やないかい?」
(本当はエーゲ海の一部のピレウス海だが)アクロポリスの丘から左にホンの少し海が見えたのでした・・・
みなみ〜にむいてるま〜どをあけ〜、ひとりでみているうみのい〜ろ〜・・・
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さあ、予定はお買い物を残してクリアしたことだし、時間も早いので‘フィロパポスの丘’まで足をのばそうかと思う。
丘の中腹にはソクラテスが幽閉された巌穴があるといいます。
アゴラから螺旋状に延びている道路を登っていけば丘に行ける筈です。私は朝から歩き通しです。
気力はあるのですが、履いてる靴にヒールがあったので足元がクタクタになってました。
「(ズックにすればよかった・・)」
たぶんもう少しの所だったと思うのですが、挫折して引き返してしまいました。
アゴラ脇を通って、モナスティラキ駅を横目にプラカ地区に戻りました。
今度は大丈夫です、迷子にはならないでしょう。
モナスティラキ駅から通りを入った広場でバザールが開かれていました。
フリーマーケットのようになんでもかんでもです。
ながめていても、これといって欲しい物は見つかりませんでした。
それこそ欠けた陶器や、使い物にならない電化製品やらばかりです。
のみの市といったとこです。お宝が眠っていたかもしれませんが、丹念に見ている暇はないし見ても
使い道がわからんかったりで、半分も見たろうか(とにかく果てしなく奥が広い)私はここをあとにしたのでした。
アゴラに行く時に通った道ではないが、広場からでて人の流れに沿って歩いていたら
更に道幅が狭くなり両脇に土産物屋がびっしり並んでいる通りに出た。
(あとでわかったことだが、パンドロスー通りというらしい)
オフシーズンなので、人出が少ないのだろう。店先には呼び込みの店員が立っている。
「丁度いいとこにでたぞ、おみやげ買っておこう」と歩き始めた。
路地の土産店はどれも間口が狭く、置いている品々も似たような物ばかりだった。
店先に出してあるのはギリシャ名産なのだろう。
オリーブオイル石鹸、海綿・・・それと、陶器でにんにくが形どられ、にんにくの下にわらが差し込まれてある物。
「これはなんだろう?」
どこの店にもあるのだ。なにか意味のあるものなのだろうが、想像がつかない。
白い陶器に金色の線が引かれにんにくを表現している。下から出てるわらがかわいい。
大小さまざまで、大きいものだと丸い青色の陶器の目がついている。
「この目はなに?」不思議だ。
ホテルの浴室に置いてある石鹸が、すっごく香りがいいんです。使い心地もいいんです。
ここに来てその理由がわかりました。ギリシャはオリーブオイル石鹸が名産品なんですね。
日本に帰って、探してみましたが、オリーブオイル石鹸と書いてはあるけど、100%はない。
そして、現地でもこの石鹸は高級品であったのでした。
ある女性の知人にお土産に差し上げて、後日使い心地を伺ってみた。
彼女、普通の石鹸と思っていたらしい。
「特別いいと感じなかった。そうなの?」と片付けられてしまった。
ところで、私は呼び込みのお兄さんに捕まってしまい、この石鹸を皮切りになんだりかんだり買ってしまったのでした。
母へ、クノッソス宮殿の壁画のイルカのレプリカで小物入れ。自分用にソクラテスTシャツ。
挫折してしまった償いにソクラテスが毒をあおっている場面の図柄にした。
ところが、帰って改めてみると「(ダサーい!)」というわけで一度も着ていない・・・
それと、気になっていたにんにくの陶器をいくつか買っておいた。
にんにくはキリスト教での魔除けだった。目も同じ意味を持っている。
男子の赤ちゃんが生まれたばかりの友人がいた。
お土産に、にんにくの陶器を持っていったら「これで君の一生は安泰だね」と赤ちゃんに話しかけ枕元においた。
この友人は高校時代からの友人なのだが、私とは正反対で校内でトップクラスの優秀な生徒だった。
なぜ私なんかと友人なのか不思議なくらいだ。
そして彼女は某国立大学に進学し哲学(西洋哲学)を専攻している。
卒論はプラトン・・・だったっけかなあ。とにかく専門家なのだ。
私なんかより彼女にこそふさわしい、行って欲しい場所なのだ。
私はといえばかつて某私立大学の哲学科に在籍し(名ばかり)哲学関係と中国関係の科目(興味本位)を選択し、
単位だけはとったが退学した。
こういうのを自主退学というのだそうだが、そうじゃない、ただ根性なしなだけである。
細い土産物の通りを抜けると歩行者天国の通りに出た。
先ほどと一転し、通りも広いし、両側には高級ブティックが並ぶ。
「ほほう・・・」
(これも、後でわかったことだがエルムー通りというらしい)アテネは新旧混在の町らしい。
この通りをまっすぐ行って、アティナス通りに入ればあとはもうわかった道である。
アティナス通りの突き当りがオモニア広場だから、広場を左に行けばカライスカキ広場にでる。
ホテルはこの広場のすぐ側である。もう、斜め渡りもできるほど慣れた道である。
私もだんだんアテネに慣れてきて、プラカのこちゃこちゃ地区は別にして、あとは地図がなくても
歩けるようになっちゃった。
道々夕飯をとって帰ろうと思う。エルムー通りにケースがでていて、店内では軽食が出来る造りのお店があった。
ケースを覗き込んだら、美味しそうなパン、パイ、サンドイッチ・・・ケーキのように並んでいた。
ひとつひとつに名札がついているが、ギリシャ文字である。
さっぱりわからない。私は、ギリシャのフェタチーズ(山羊のチーズ)が食べてみたいと思っていたので、
でてきたかっぷくのいい女将さんに言ってみた。
「ふぇた!ふぇたチーズが食べたい!」「I Want to eat ふぇた!」
女将さんは「これと、これと、これもそうだし、こっちもフェタだよ!」と教えてくれた。
うーむ、それならパイにしようとTake Outした。
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帰る道すがらアッティカ陶器のレプリカが欲しかったがあまりの高価さに手がでなかった。
今思えば無理してでも購入するべきだったと悔やんでいる。母には、洋服も購入した。
これは昨日からショーウインドウに飾られていたのに目をつけていたのだ。
迷わず、店内に入って「アレが欲しいんだけど・・・more bigsize please!」
「ああ!それなら2階よ!と促されいってみると、そこはL判堂だった。
父にはタバコをお土産にしよう。私はタバコを吸わないのでトンとわからないが、
道のスタンドで売られているタバコは種類が豊富で、パッケージが派手でイカシテいる。
違う種類をひとつずつ購入した。スタンドでは新聞や雑誌、バスのチケットまでなんでも揃う。
夕飯のパイはあるので、ついでにジュースとプリンを買ってホテルに戻った。
部屋に戻ったのは夕方だが、まだ明るいうちだった。お風呂に入って足の疲れを癒してさあ、夕飯だ!と
出てきたらもう、外は真っ暗だった。
ギリシャの夕暮れは速いのだ。
・・・あー、足ものびのびしたことだし、テレビをつけて夕飯となった。
フェタチーズのパイに、正体不明(チェリーかぶどうだと思う)のジュース、それにプリン。
パイは・・・「ビンゴ!」 「イケルでないの!」
真っ白のフェタチーズは初めての味で、乳臭くもなく、しょっぱずぎず、程よく美味しかった。
ジュースは「うん、まあまあ(昨日のは甘すぎた)」
プリンは「あま〜い・・・うわあ、だる〜い・・・パス・・・」
どうして、こうギリシャのお菓子は甘いんだろう?
それにしてもフェタチーズを食べることが出来て、しかもビンゴ!だったので、よかった、よかった。
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今日も晴れ晴れとアテネを歩いた。街にもだいぶ慣れてきた。
市内に高い建物がないので、どこからでもパルテノン神殿が見えることにも気がついた。
かなり乾燥した空気、そう!ここはヨーロッパではなくアラブに近い!
風はエジプトから吹いてきたようだ。時代を遡るにはエジプトに行かねば!
‘どこでもドア’はエジプトに向かって開かれたようだ・・・
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朝の食堂で日本からいっしょに来た方々といっしょになった。
みなさんは全てのオプショナルツアーに参加される予定だそうで、おとといの午後はスニオン岬にある、
ポセイドン神殿に向かわれたそうです。
私もスニオンには行ってみたかったが、それよりは市内散策の魅力の方が勝ってしまったので申し込まなかった。
昨日は一日エーゲ海クルーズをされていたといいます。
ギリシャと言えば「エーゲ海クルーズ」はつきもの、ですが私は全く興味がない。
むしろ行きたくないである。この旅行のいい点はここにあるのだ。
基本的にフリーで、あとはオプショナルで埋めていくタイプなのです。
私が入れたオプションは今日のペロポネソス半島の観光だけ。
遠くてひとりで歩いていけないからです。あはは・・・
で、行く気にはならないが「エーゲ海クルーズ」とはどんなものか聞いてみたい興味は大いにあった。
「どうでした?」
「それがさあ、船が揺れて揺れて、もう「エーゲ海クルーズ」じゃなくて「ゲーゲ海クルーズ」よ!あはははは・・・」
「あはははは。冬だから特に揺れたんですね。それはそれは・・・」(行かなくて正解だったみたい)
「で、あなたは?」
私は、迷子になったことや考古学博物館の素晴らしかったこと、遺跡三昧だったことを話して聞かせ、
お互いの情報を交換し合ったのでした。
いやあ「ゲーゲ海クルーズ」には笑った。
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爆笑を聞きつけたのか年配のご夫婦に部屋に戻ろうとしたら声をかけられた。
「今日はペロポネソスに行ってしまうのかあ・・・」
「はい、そうなんです」
「実はさあ、昨日クルーズに行かないで市内に出かけたんだけど、家内が怖いといってホテルに戻ってしまって、
どこにも行けなかったんだよ。
君が今日もオプション入れてなかったら、いっしょにどうかな、と思っていたんだ。残念だよ。」と。
お気の毒に、分けわかんないギリシャ語で寄ってこられて怖い目にあってしまったようだ。
今からではペロポネソス観光に申し込めないし・・・旅行にも運があるんだなと思う瞬間である。
こんな私が一番怖いのは自分の健康である。体の調子が悪くなるのが一番怖い。
体調だけは、旅行に来る前から整えて、旅行中も気を配るようにしている。
笑われるかもしれないが普段から9時間は寝ないと調子が悪い私は、旅行中の睡眠不足を食事の量を増やすことで
補うようにしている。
ところが、知らない土地でひとりで食事を取るのは、なかなかうまくいかないことが多い。
だから、歩きながら「(どっか食べるとこ、食べるとこ・・・)」が頭から離れないのである。
入る踏ん切りがつかずレストランの前で立ち往生したことだって何度もあるし、こんなだから食べそびれることだって
ある。
店先で飢えた子供のように眺めていて、お店の人に促されてやっと入れたことだってある。
ひとり旅は人知れず苦労もあるのです。
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ペロポネソス半島から戻って。
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アテネに到着したのは6時くらいだったと思う。あたりは真っ暗。
私は夕飯を求めて外にでた。ダイナーはあるにはあるが、現地の夕飯の時間には早いので店内には客がいない。
店のアラブ人顔のおやじが暇そうにテレビを見ている。入りづらい。
2、3軒パスしたがこれではいつになっても埒が明かない。
平行に走る1本横の通りをホテルに戻るように歩いた。
・・・!。せまい店内で電話をかけているおばさんと、店番(バイトなのだろう)の女の子(17歳くらい)だけの店を
発見。店内にサーティーワンアイスのようなショーケースがあるところを見ると食べ物をあつかってるようだ。
「(なんだろう・・・?)」
入りやすさも手伝って、すんなりドアを押していた。
パンが積まれているところを見るとサンドウィッチを作ってくれるみたいだ。
ギリシャ語ができない私は、パンを指差した。ギャルはパンをふたつに割ってかまえた!
「さあ!なにをはさみますか?」と・・・。ショーケースの中は具だったのだ。
サーティーワンアイスのようにしか見えない正体不明の具を覗き込んで、私は白旗をふった・・・
「ふむ!わからん!」15種類ほどの具だがひとつとして見当がつかない。
私は色合いで選ぶことにした。昨日食べたフェタチーズに似た白いソースを指さし「こ・れ」
ギャルはたっぷり塗って、ふたたびかまえた!「えっ?!終わりじゃないの?」
「それからなににするの?」と無言で見つめ返してくる。
こうなったらヤケだ!私はめくらめっぽうに「これと、これも!あと、これも」と3種類くらい塗ってもらった。
ギャルはようやくかまえるのをやめて、満足したようだった。
どうやら3種類くらいの重ね塗りをするものらしい・・・。味の検討は皆目つかない。
手渡されたサンドウィッチは具をたっぷり含んで重たく、わらじのように巨大だった。
ジュースも置いてあったので、ここで購入し、ひとつしかないテーブルに座って食べ始めた。
「うまい!」 とにかくうまい!極ウマだった!
闇雲に指差したのにうまくマッチしてたなんて奇跡に近い!
とにかく美味しかった。ギリシャに来て本当に良かったと思った。
ギャルは私の感動をよそに「ただのサンドウィッチになに感動してんのさ」といいたげだ。
私は再度ギリシャに来る機会があったらこのわらじサンドをなにがなんでも食べたいと思っている。
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ホテルに帰ってきて、お土産の仕上げをしようと売店に向かった。
店番のおばあさんは、今日もテレビに釘づけだった。
私は残っているドラクマを使いきろうと選び始めた。まずは、お風呂で体を洗う時に使う海綿。
入り口にたくさんぶら下がっていて、大きさによって値段が違う。
どれも長く売れていないのだろう、ほこりがかぶっていた。
父に皮製のライターケース、表にGREECE と浮き彫りされている。これもほこりをかぶっていた。
自分には彫刻のレプリカ。(いろいろ見たが、ここの品揃えが一番だった)私は、ソクラテスにしようかゼウス神に
しようか迷っていた。どっちも欲しいが残りのドラクマではひとつしか買えなかった。
「うーん・・・」としばらく悩んで結局ゼウス神にした。「なんといっても最高神だもの・・・」
私の部屋の書棚にはゼウス神のレプリカとゼウス神殿で拾った大理石のかけら、
古代アゴラで拾ったどんぐりが並べてある・・・またアテネに行きたいなあ。
おばあさんは丁寧に包んでくれて、おつりでは足りなかったキーホルダーをまけてくれた。
再度ギリシャに来る機会があったらサントスホテルのいつも時代劇を見ているおばあさんに会いに行こう。
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今日でギリシャ滞在最後である。
明日の朝アテネを発って来たときと同じフランクフルト経由で成田に帰る。
その明日の朝というのが、アテネ発早朝6時なのだ!
という訳で、ホテル発4時、モーニングコールはなんと!早朝、いや夜中の3時!
早朝のアテネ・エリニコン空港で昨日食べきれなかったわらじサンドの残りを朝食代わりに食べた。
やっぱり美味しい!
たった3日間の滞在ではあったものの、私がこれまで持っていたギリシャ感が塗り替えられた毎日だった。
黒い瞳の太い眉を持つアラブ人似の顔立ち、親切で熱い人柄。黒の革ジャン。
どこからでも見える白いパルテノン神殿。
砂漠を思わせる乾燥した空気、アラブの匂い・・・
岩肌がむき出しの白い巌山と頂上に張り巡らされた城壁の茶。丈の短い草の緑。
私はイタリアからここに派遣されてきたものの、ここにローマの風はなかった。
ここに吹いてる風はアフリカ、エジプトから吹いてきているように思えてならない。
古代文明の考え方、この教えさえもエジプト的ではないのか?
この風を感じつつ次回めざすアフリカ、エジプトへつづけ・・・
エジプトにはいったいどこからの風が感じられるのだろう?
そして私はいったいどこに向かっているのだろう??
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vol.66
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