1997年 開封

第1回 1997年9月19日

滞在2日目 北京〜開封 

3年ぶりの北京空港
朝早くから‘掛け軸’がホテル前の公園の柵にずらーっと並べてあって、早くも宿泊客相手に商売を始めていました。
こんなに朝早くから逞しい商売根性です。これがないと中国、って気がしません。
母と遠巻きに眺めた・・・。

北京空港に向かう。開封まで国内線を使って移動である。3年ぶりの空港は変わっていなかった。
木枠の窓、名物(私が勝手に命名)の滑走路を走る自転車・・・。


宋の都、開封
この旅行を決める少し前、私は偶然に「陶淵明」を読みました。
彼の作品には‘率直’さがあって好きです。「杜甫」「李白」(唐代)の詩はあまりに有名ですが、
‘飾り’が感じられる作品も少なからずで。それより時代を遡って魏晋南北朝の「陶淵明」には
‘素朴さ’があって好感が持てます。

人のいのちはつなぎとめる根も蔕もなく
さっと散る路上の塵のようなもの
ちりぢりに風のまにまにまろびゆく
(略)
時をのがさず むだにすごすな
年月は人を待ってはくれまいぞ
(以下略)

陶淵明


宋代の詩人「蘇軾」も好きだ。その蘇軾が陶淵明を好んだと以前何かで読んだことがあった。
蘇軾の好さは‘自由奔放’な点にある、と私は思う。
題材は様々であるが、どれも彼独特の詠い方をしており、型にはまるところがない。
のびのびしている。彼は‘書家’としても有名である。
私が初めて彼の名前を知ったのは高1の頃で、書道の‘臨書’の題材を探している頃でした。
私の高校時代は部活(書道部)のために学校行ってたようなもので、3年間部活だけは真面目だった。
かつて書道部は夏休みに合宿なんかしなかった。
でも、「合宿だっ!」とソフトボール部といっしょに夏の合宿を決行した。
予算を確保するのは大変だったが、他の部員はどう感じたか分からないが、私は楽しかった〜♪
スイカを食べては書いて、書いてはスイカを食べる・・・。
文化祭が近づくと、放課後部室に行って一人で黙々と書いた。書くのが好きなのです。
墨の匂いも、筆の感触も、紙も全部・・・。

臨書(古代の有名書家の文字を模写すること)をしていると、「それを書いた人」になれるのです。
見るのと書くのでは天と地ほどの違いがあります。
蘇軾を臨書しながら「なんて、豪快なんだろう・・・?」と思ったものです。
蘇軾を臨書するには自分も「のびのび、豪快」な人にならなければ、と思ったものでした。

それから、作風には時代背景が大きく影響するものです。
宋代の政治の基本方針は‘文治主義’でした。
狙いは、天子独裁の中央政権体制の確立にありました。
このため、この時代に科挙制が発達した(合格者は天子に忠誠を誓う)わけです。
また、荘園を経営する地方の形勢戸が出現したことによって、文化的にも彼らの影響は大きく、
賑わいをみせる商業都市の市民の間に「庶民の文化」が栄えることになりました。

中国の大きな都市は、庶民も城壁の中に住まいがありました。
夜、時間になると城門は閉じられ、治安を守るため他所から侵入できないよう城内を守った。
しかし、宋代は城門が開け放されていても危険は少なかったといいます。
外との交流も盛んで各地の物産が豊富に行きかっていたとも。自由な気風が流れていた・・・。
そのようなことから、私の持っている宋代のイメージは安土桃山時代の‘楽市楽座’なのです。
前置きが長くなりましたが、そんなことを思う開封に到着です。


龍亭
宋代の城下と、お城の復元である。
‘宋都御街’と書いてある中国式門(城門ではない)を入ると、
商店街の復元が200〜300m続いている。通りは車も自転車も走れるようになっています。




復元とはいえ風情があるので記念に写真を撮ってもらおうと、そばにいた木村さんに頼んだら
「街灯があって良くないわよ」と言われた。ひるまず「それでもいいんです」と押してもらったが、
現像してみると、確かに新旧混在でちぐはぐに・・・。だけど、それもなかなかいい。
開封で撮った中でお気に入りの一枚となった。

やがて、お城の前門が見えてきた。
中には広大な池、石橋、庭園が広がり、そのずっと向こうに中門。馬が待機していた。
観光用なのか、馬で行き来する人がいるのだろう。もちろん有料です。

ようやく城らしき屋根が見えてきた。でも、まだ遠い。
最後の門を入って、やっと城がみえた・・・。と、今度は階段だ。思ったより小さい城でやや拍子抜け。




内部には当時の様子を蝋人形で再現して展示していた。この人形のリアルなこと!
肉にかぶりついて、酒を酌み交わしている情景。リアルすぎて「ぎょッ!」とした。
私は、すぐさま母を呼んで「人がいる!」「ホラホラあそこ!」と指差した。
覗き込んだ母も「ぎょッ!」としていた(笑)

 肉にかぶりつく蝋人形


開宝寺塔
龍亭の後方にある、13層程のヒョロ長い塔です。内部を登ることができます。
若い人たちは入場していきました。
木村さんも(見かけはおとなしそうだが、何にでも積極的に参加していた)勇んで登っていきました。

母と私は下から塔を見上げ、施されてる彫刻を丹念に眺めていました。大変な細工です。
こんなに高い塔に、どうやってこれほどの細工をしたものでしょう?
昔の人はすごい、すごい、と感心しておりました。
母曰く「それだけ信仰が厚かったのだ」と。うん、うん。そうだね。

 塔の一部のアップ


余談ですが、チケットブースにお姉さんがいました。
「写真撮るよ〜」とカメラを向けたら、隠れちゃいました。恥ずかしいんだって。
何度頼んでも「アイヤー、アイヤー」と言って逃げてしまいます。
でも、笑顔でまんざらでもなさそうなんだけどなぁ・・・テレやさんなのね。


開封の朝
今晩は開封のホテルに泊まります。

私たちの部屋は10階くらいのところにありました。
朝5時くらいでしょうか、外が騒がしくて目が覚めた。号令をかけて、掛け声も聞こえる、音楽もある。
カーテンを開けてみたら朝の体操だった。
升目に並んでリーダーの掛け声に合わせてテンポ良く体を動かしている。
かと思うと、少し離れた所では別のリーダーが音楽に合わせて体をくねくねと動かしている。
「へー、太極拳じゃないんだ」「気合入ってるなあ」と眺めていた。
母は早朝に起こされてご機嫌ななめである。確かにこれじゃ、ホテルの人みんな起きちゃうよ・・・。

私はこの1997年4月に太極拳を始めました。始めてから半年です。
ホテルの窓からはエアロビ体操の人しか見えませんでした。
もし太極拳してる人がいたら外に出て一緒にまぜてもらおうと思っていたのですが、
こんなにやかましい環境で太極拳してる人を見つけるのはどうかと思ったし、母をひとり部屋に残しても行けない。
逆に私が母に心配をかけることになる。
私はおとなしくひとり部屋の中で習いたての太極拳を練習したのでした。

朝食で木村さんと‘やかましくて目が覚めた’ことを話してたら「私の部屋からは太極拳が見えました」と言う。
方角違いだったのですね。残念(涙)


宋の時代に街路樹として‘えんじゅ’の樹が植えられました。
現在の街路樹が当時のものかどうか分りませんが、
道に枝がせりだした見事な‘えんじゅ’の並木を見ることが出来ました。
やはり歴史ある街はどことなく雰囲気があるものです。





朝食後、バスで途中少林寺に寄って洛陽へ。



1997年 少林寺


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