1997年 洛陽

第2回 1997年9月20日

滞在3日目 開封〜少林寺〜洛陽

白馬寺での再会
私は2度目の洛陽である。(詳しくは1994年洛陽をみてください)
白馬寺も今回で2度目ですが、94年同様時間が足りなーい!
母に、前回の感想を力説したものの「はあ?この顔がいいの?」とそっけない。
「ほら!よっく見てよ、見事でしょう?品があるでしょう?」と薦めるのですが、「金色だなんて品がないじゃないの」という。
んじゃ、何色だったらいいんだ?
母に賛同されなくても、私はここ白馬寺の仏は最高だと思うんだけどなぁ・・・。


洛陽の夜
夕食も済ませ部屋で一休みしていたら、なんだか外が賑やかである。
今日はまだ時間も早いので、腹ごなしに母と散歩に出た。ホテルの前は噴水のある立派な公園。
水筆で書の練習をする人、その周りを取り囲むように人垣が出来てる。
集団で大音量で音楽鳴らして‘エンコ踊り’(ジュリアナ扇子を両手に持って踊る、おばさま方の踊り)の練習風景、
そしてたくさんの露店・・・。
餃子のような簡単な食べ物から、麺、果物、衣類、料理用品、と何でも・・・。
それぞれ秋の夜長を過ごしている。

母に「何か食べてみる?」と聞いてみたが、露店の料理を食べて具合悪くなったら大変、とかなりの慎重発言。
「じゃ、何か欲しいのある?」と聞くと、靴下が欲しいという。そんなのお安い御用じゃん!
・・・と、靴下を買ってホテルに戻ってきたら、母が美容室を発見。
ホテルに隣接(中からも行けた)していたのだ。

母はこの旅行のために、ご丁寧に髪にパーマをあてて、セットまでしてきた。
ホテルにはドライヤーがない所も多いし、コンセントの規格も日本と違うので変換器が必要である。
母は、ユニットバスそのものが嫌いといって、これまでシャンプーもしていなかった。
「髪を洗ってもらいたい」と言う。そんなのお安い御用じゃん!
美容室に入って、洗髪を頼んだ。日本で髪を洗うといえば洗面台に仰向けにされて、
まず髪を濡らしてからシャンプーが始まりますよね。
ところが、中国は違いました。椅子に腰掛けたまま、鏡の前でシャンプーが始まるのです。
髪は濡らしません。首にタオルを巻いたかと思うと、いきなりシャンプー液が髪にかけられます。
「へー、(宇宙飛行士のシャンプーみたい・・・)」と後ろの椅子で見学していた私に、
今度は隣りにいたおじさんが声かけてきた。「マッサージしないかい?」
中国の美容院はマッサージもするのである。
もちろん免許をもってないと営業できない。美容マッサージなんです。
この時は丁重に辞退したが、そういえば日本の床屋さんも昔はマッサージをしてましたよね。
肩をポンポンとか、美顔でムニューとか・・・。

母は髪をごしごし洗ってもらいながら「こっちがかゆい、あーこっちも」と言っている。
私はそのつど「右の方が痒いと言ってます」「下だそうです」と通訳に徹する。
洗面台に移動して洗い流し、ドライヤーかけながらセット。最後の仕上げにムースがでてきた。
母はムースを見るなり「違う、違う」と言い出した。、鬢付けと言う。
「油?、どう説明しよう・・・」と困った。「油(ユー)」とそのまんま言ってみたら、通じた。
母と一緒の旅行のおかげで、ひとりでは入ることもないだろう、美容室にも入れた。楽しい夜だった。

 椅子に座ったままシャンプー


滞在4日目 洛陽〜三門峡

雪辱の‘関林’
94年関林とは別人の私である。このページは見ての通り緑色です。
なぜかって?緑色は関羽さまが好んだ色なのです。
関羽さまは本名、関羽雲長。劉備玄徳、張飛翼徳と義兄弟の契りを結び(桃園誓い)、
諸葛亮孔明を軍師に迎え(三顧の礼)、現在の四川省成都を都とする蜀を建国した。
三国志とは曹操の魏、孫権の呉、劉備の蜀である。
小説三国志にはたくさんの武将が登場しますが、中でも関羽さまの逸話は数多い・・・。

関羽さま(162〜219)は身長207cm。赤兎馬にまたがり18kgの青龍堰月刀を愛用。
顔は棗、渾名(あだな)は美髯公(びぜんこう)

一時、曹操の捕虜なったこともある。曹操は敵である関羽さまを斬りもせず、それどころか丁重におもてなし。
我が味方になって欲しいと願った。それほどの人物なのです。
もちろん仁義に厚い関羽さまはお断りしましたが・・・。忠義心の象徴のようなお人なのである。
曹操は断わられても、関羽さまに惚れこんでいましたから、関羽さまの死後彼の首を手に入れようと必死になったようです。
それで蜀の成都ではなく魏の洛陽に関羽さまの首塚があるというわけです。

関羽さまが呂蒙のきったない策略、奸計によって死ななくてもいいのに死んじゃった・・・のは、荊州、麦城10月です。
首をとった呉の馬忠への褒美に愛馬赤兎馬、藩章に青龍堰月刀が与えられました。
赤兎馬は関羽さまが亡くなったその日から草を食べなくなりました。
首を振っては麦城の方を見て悲しげにいななくだけ・・・(泣)

死後、関羽さまはこの世に残した恨みのため、この世に姿を現すようになりました。
友人の僧侶のところに現れては「還我頭来、還我頭来」我が首をかえしきたれ。
と二度も聞こえたといいます。

卑怯な策略で関羽さまを貶めた呂蒙は、主人の孫権に酒杯を投げつけて、上座を奪い
「霊は蜀にあり、呉を滅ぼさずにはおかん!我はすなわち関羽である!」
いわしめ狂気に追いやった。呂蒙は自分の髪の毛をつかんで、悶え死んだといいます。

生きてる頃から、あの曹操ですら憧れた武将です。
そんな私の関羽さまは死んでからも力を持ちつづけ、その強さから武神として崇められるようになりました。
好んで着ていたという緑色は、関羽さまにちなんで武術の色となりました。
後世の人たちは、生前の関羽さまを赤い顔(棗)で表現し、武術の向上を祈願。
死後の関羽さまは金色の顔で表現し、神として奉りました。
忠義心の象徴、転じて商売繁盛の神でもあります。なんでも任せて安心のお人なのです。

 生前の関羽。右は息子。(木村さん撮影)


私が吉川英冶「三国志」を読んだのは95年か96年です。

前回94年は悲惨な結果に終わったので、今回は目を皿のようにして見ていこうと思ってます。
写真もここでフィルム無制限でとりまくるぞー!!(94年は何も撮ってないので)
入場して、まず母を‘関林’の額の前に立たせて、「ハイ、ポーズ」・・・カチャ。
私はいつになく上機嫌である。
「次は私を撮って♪」・・・母はカメラを構えたがシャッターが下りない、と言う。
「そんなー(泣)」まさかの電池切れ・・・!?
電池を買おうと売店を一軒一軒回ったがどこにも置いてない。
特別に頼んで、外にまで出て探したけど電池は置いてない・・・(泣)

結局、関林での写真は電池切れ前の、母の一枚だけ。
「そりゃないよ・・・」と、しばらく立ち直れなかった。本当に落ち込んだ。
電池がなくなったことを知った木村さんが何枚か撮ってくれた。
でも、青龍堰月刀の写真もないし、首塚もないし、関羽さまとのツーショットもない・・・。
母には「だから電池の替えを持ってこなきゃダメなのよ」と叱られてしまった。
おっしゃるとおりです・・・(泣)

気をとり直して線香を手向ける。今度はこの線香が私の手の上に「あちっ!
関羽さまは私になにがおっしゃりたいんでしょう?電池切れに線香・・・。
死後も強大な力をお持ちの関羽さまのことだから、なにか言いたいことがあるはず。
「また来い」ってですか?
と、勝手に解釈する私なのでした・・・。

青龍堰月刀は自由に持って、力試しができるように置いてあります。
私も挑戦しましたが、持ち上げるどころかピクリともしませんでした。
史実とは違って、ゆうに18kg以上あると思われます。
関林に行かれた方はぜひ挑戦してみてください。

その後、首塚もしっかり一周した私ですが、気分はすっかり人間赤兎馬の私でした・・・(泣)


‘龍門石窟’ その1

 伊水がまぶしい  デート中のふたり


天気に恵まれ快晴の空、ぽかぽか陽気。伊水がまぶしいです。
龍門は前回来た時より賑わっているように感じました。
さっそく‘商売根性丸だしのお姉さん方’がやってきました。ターゲットは母です。
私はボディガードに変身。「シェン円、シェン円」攻撃が始まりました。しばらくはほっておきます。
母も沈黙を守っています。が、「シェン円、シェン円・・・」向こうも引き下がりません。
それでも母は沈黙を守っています。いいぞ、いいぞ。私の出番はまだなさそうです・・・。

ガイドさんの説明が始まりました。母は初めての中国ですから説明を聞き逃したくありません。
それでも母の耳元には「シェン円、シェン円」攻撃がつづいていました。
母、ついに「うるさい!」と言いました。・・・でも、こんなことで怯むような相手ではありません。
なおも「シェン円、シェン円」を繰り返しています。母が苛立っているようですので、
私の出番かな、と「不要!(いらない)」「別説!(話すな)」さすがに中国語の威力は凄い!
これで、お姉さんは退散したのでした。
見ると、今回はこういったお姉さん方ばかりでなく、子供(男の子だった)も商売してるんです。

奉先寺(詳しくは1994年洛陽をご覧ください)への中央階段の途中で、あまりに急で怖くなった母が
「戻る」と言い出しました。「そんなこと言わないで、もう少しだから」となだめて登らせた。
大蘆舎那佛、菩薩、金剛力士の登場に、母は「凄いのね〜、これを見ないとね〜」と、喜んでいる。よかった。
きっと感激するだろう、と思っていました・・・。




別の場所に小さな壁佛があります。そこは低い柵で囲まれていているのですが、
柵の外から手をのばして‘小さな佛’に触ると「幸せ」になるといわれています。
母も私も背が小さいうえに、腕も短い、とどきませーん(涙)
私は執念でかろうじてタッチできました。が、母はどうしても無理のようです。
仕方ない‘間接タッチ’ってことで・・・。


対岸から見た龍門の全景。中央に階段がある。小さな穴のひとつひとつに無数の仏像が彫られてある。


‘龍門石窟’ その2
94年父のハンコを作ってくれたハンコ屋さんは、もういませんでした。
国営の商店は94年同様あって、私たちは休憩を取りながらお土産物を見ます。
さっきは「もう、戻る」だの「疲れた」だの言ってた母も、お買い物となるとさっきのはうそのように元気になってました。
早くも、仏像やら、修業の様子が墨で描かれた本らしきを見つけたもよう。
母が気に入ってるのでGET!ガイドさんが「いいもの買いましたね」と褒めてくれた・・・。
私は「値切りは上手」と褒められても、買った品物で褒められることは、滅多にない。嬉しかった。
母の見立てが良かったのだけど・・・。

私も何かないかなあ・・・と物色、「いたー♪」
青龍堰月刀を持って颯爽と赤兎馬にまたがってる関羽さまが!
花梨らしき赤木で作られたのと、なんの木か分らないけど白木で作られたのと、バージョンが豊富です。
「・・・欲しいなあ」値段を聞いたら1万円までまけてくれると言う。
いろいろあって目移りする。
・・・どうしようか考えていたら、今度は母が、気に入ったお茶碗を見つけたもよう。
文字の書いてある骨董品で、これがべらぼうに高かった。・・・と交渉中だけどタイムアップ!

このお茶碗を買ってもらえなかったことを、私はこの先何年も責められるはめに・・・。
でも、数年後に私はこれを北京でGET!したのです。
一方、先ほどの関羽さま3点セットは、結局GET!できないままタイムアップとなりました・・・。

めいめいお買い物をしてバスに向かう途中、木村さんが「パジャマ買ったんですよ」と見せにやってきた。
うれしそうだった・・・シルクのパジャマ。
94年私が初めて中国に来たときも同じような‘シルクのパジャマ’を買ったことを思い出した。
いま、そのパジャマは軽くて、かさばらないから、という理由で旅行専門用パジャマとなっています。
今回の旅も、そのシルクパジャマである。重宝してます。


‘白居易’の墓
龍門の川向かいにあります。初めて来ました。
みんな暑いのでジュースやお茶、フィルムなどを調達。
昔ながらのアイスキャンディー売りがいて母は懐かしそうでしたが、さすがに水物は怖いので、見るだけ〜。

 白居易の墓


洛陽博物館

 博物館上部


この旅行でかなり‘石屋’さんに寄りました。
中国は玉(ぎょく)の細工が素晴らしいことでも有名で、昔から珍重されてきただけに量も豊富です。
水晶などはその場でガラスを気って見せたりして、の実践販売である。
この水晶を母は欲しがりましたが私が反対したためGET!できませんでした。
今でも母はこのことを悔しがっています。「あれは本物だった」と。そうなのかなあ・・・?
私の目にはトリックがあるように思われて・・・。母ちゃんごめんね。

それでも母はこの旅行でメノウ、ヒスイをGET!そして私は父にもメノウをGET!していました。
母がメノウを手に入れたところは、とあるお寺の売店でした。
そこに香りのいい線香があったのですが、その線香は売り物ではなくて、
一般のお客さんが一本か二本あげる為に置いていたものだったのです。

そんなことと知らない母は「この線香いい香りがする・・・二把買って!」と。
私もてっきり売り物と思っていたので、売店のお姉さんに聞いたら
「あれは売り物ではありません・・・」と。「ああ、そうなんだ・・・」と、納得しつつも
「売り物じゃないでしょうけど、売ってー」と、強引に売ってもらったのでした。
値段もありませんでしたから、その場で決めました。売り物じゃないのに売らせた、
この‘お線香、売り物じゃないのよ’事件は長く記憶に残ったのでした・・・。

洛陽博物館の中にも大きな売店がありました。
ここにさっき父に買ったメノウをはるかに上回る見事なメノウを発見してしまいました。
「(失敗したあ、ここで買うんだった・・)」と、ふたつは要らないので諦めようとしたのですが、
やはりこの立派なメノウが諦めきれない私。買っちゃいました。
やはり玉には人を虜にするパワーが秘められているのかもしれません・・・。
このようすを見ていたおじさんが私に曰く「俺も狙ってたんだよなあ」と。そうでしょうとも!
私もこの石はひと目で気に入ったんですもの。

帰って父に渡した。後日父はそれを旅行につけて行きました。
旅行先で好評判だったと父は上機嫌で帰宅。上手な買い物をしました。


バスで三門峡に向かう。今晩は三門峡に宿泊します。


(駿馬赤兎馬)

1997年 三門峡


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vol.25