1997年 三門峡

第1回 1997年9月21日

滞在5日目 三門峡〜西安 

黄河遊覧
河南省三門峡。私たちはここで黄河遊覧を楽しむことになりました。
‘船下り’というとなぜか‘最上川の船下り’を連想する私なのでした。(1996年ベネチア参照)

川面まで大分距離があります。バスを降りて黄河をめざして歩きます。
粒子の細かい黄土のあぜ道を歩く・・・川面は遥か向こうです。
退屈なものだから、草を引っこ抜いたり、衣服にくっつく草を母の背中につけて遊びながら・・・。
しめしめと、笑ってた私の背中が草だらけに・・・。
「やられた・・・」こういうことにかけては母に敵うわけなかった(笑)

ラッパ(チャルメラ)の音がする・・・
見ると五色の旗を立てた船(建物が付いている中位の船)のお出迎え演奏である。
心がほっこりする歓迎が嬉しかった。
たったふたりの演奏でしたが、私たちを出迎えてくれる、その気持ちが嬉しいじゃないの。
観光遊覧がないときは漁船なんじゃないか?というような船に、旗と万国旗
精一杯の飾り付けをしているところも、なんだかいい。

 舳先にいるふたりが演奏で迎えてくれた


私たちは甲高いチャルメラの出迎えの受け、船に乗り込んだ。いよいよ出航だ。
風景はどこまで行っても変わらず、黄土が所々覗いている緑の多いなだらかな丘陵が続く・・・。

 船上からの眺め。どこまで行っても変わらない風景


参加者の中に友人とふたりで参加している女性(推定24歳、若者組)がいました。
彼女たちは空いたペットボトルに「黄河の水」を記念に、と汲んでいます。
中国に来て5日目ともなると、参加者の人たちとも親しくなって、しかもこのようにのんびり
船下りをしていると、みんなで集合写真をという話しになる。
‘りっぱなカメラ’を持っている女性のひとりが、みんなを撮ってくれるという。
かわるがわる何枚か撮った。もうひとりの友人は食事になると、きまって小瓶に入った梅干をだす。
周りの人にも分けて喜ばれていた。

今回の参加者最年長は70歳くらいのおじいさんである。
孫(推定21歳、男子大学生)と一緒に参加している。孫は「付き添いです」と言っていたが、
おじいさんの方が孫よりシッカリしていて、付き添いなんか必要ないほど矍鑠(かくしゃく)と
してらした。
このおじいさんが、洛陽で私と同じメノウに目をつけたおじいさんである。

デッキで写真を撮っていたら、船内で演奏が始まるとのこと。
川風にあたって冷えていたので中に入って演奏を聴くことにした。
さきほど迎えてくれたチャルメラのお姉さんと、同じく迎えてくれた笙(しょう)のおじさん。
それとなぜか三門峡ガイドの範さん、範さんの楽器は「火の用心、カンカン」で使う、
‘カンカンの棒’である。
この3人で数曲演奏してくれた。一曲目は「北国の春」とっても良かった。
始めて聴く音楽、このような楽器のアンサンブルも始めて。しかも、バックは黄河である。
雰囲気にバッチリ合っている。とても良かった。3人を写真に撮らせてもらった。
私のボロカメラはフラッシュが点いたり点かなかったりである。
この写真も、屋内なのにフラッシュが点かずに逆光になったが、却って良い効果を出して
プロみたいな映りになった。

 右端がガイドの範さん。しっかりカメラ目線・・・


函谷関
「鶏鳴狗盗」の故事で有名な関所。
私たちの他にお客さんはいないし、今日も秋晴れのいい天気。自然に気分もゆった〜り・・・
関所なだけに山深い

関所までかなり距離があるようだ。私たちはバスを降りて入場し、トイレに直行した。
例の楕円の穴(1994年北京参照)である。私はもう慣れっこになっている。

ホテルの部屋、街中の共同トイレ(住人専用の雰囲気があるので観光客は利用しない)
以外はほとんど有料トイレだ。例えば、北京故宮内トイレ、ホテルのロビー内トイレなど・・・。
ゲートがある場合もあるし、掃除のおばちゃんが常駐していてチップを要求してくる所などもある。
そういうところはティッシュを渡してくれる。手を洗うとタオルを差し出してくれたりもする。
それなりに至れり尽くせりなのである。

無料トイレはそうはいかない。
楕円の穴だけだったり、扉が付いてても高さ50センチ(なんの役にも立たない、金隠し程度のもの)
しかも男子トイレと兼用だったり、入り口の戸に鍵がなかったり、あっても壊れていたり・・・。
いつ、男の人が入ってくるかハラハラもんで、用を足すどころではない。
女子専用トイレで、ちゃんと2メートルの扉がついて個室であっても、扉がかたむいてて
閉まらないとか、扉に隙間があいてて丸見えとか・・・。そんなのばっかりだ。

とにかくトイレに関しては、百戦錬磨の私である。ちょっとやそっとじゃ驚かない。

ところが!!!ここはそんな生易しいものじゃなかったのだ!
だだっ広いコンクリート打放し、楕円の穴、私と母は隣りあって用を足し始めた・・・。

「んっ?」しゃがんでいる私の目の前でモコモコ動くものがある。
長さ12センチ、太さ直径3センチ、色は白。

「これ何?」私の質問に母が即行で答えた。「ウジ」と。

えーっ!!!うそおー!!
だってこんなに太って角があるよ!つのが!

「それは、角じゃなくて、牙。キ・バ。」
えーっ!!!じゃこれ、口なのお!?
「そう」
「そう・・・って、怖いよー(泣)」そいつは5匹ほど私の前をゴロゴロと動き回っていたのです。
見ると、母の方にも同じようにウヨウヨ這っています。
私は咬みつかれるのではないかと、気が気でありません。なぜに母は平気なのでしょう?
見ると牙の反対には尻尾もついているではありませんか!!長くてその硬そうなこと!!

「これって、しっぽ?」
「そう、それで刺すのよ」

ぎえーっ!怖いよー!(泣)

私は、もう怖くて怖くてトイレどころではないのでした。
出てくるとき、こいつを踏まないようにするのが、しんどかった・・・。

中国のトイレでこれほど怖い目にあうとは・・・。

だいたいやね(竹村健一で)ウジというのは、
せいぜい8ミリ程度で直径もせいぜい5ミリ程度じゃないですか!
だなんてとんでもない!尻尾って・・・あー怖かったー・・・。


‘恐怖の館’を出て、関所へ。途中、イモリだかヤモリだかにも遭遇し、ビックリしっぱなしの私。
山をそのままくりぬいた住まいが両側にある。関所守りが住んだ跡らしい。

ここにも開封と同じように馬がいました。歩く距離が長いので往復してくれるのだ。
フラメンコを習っているという奥さんが馬に乗りました。
乗馬をされてるのでしょう、颯爽としたものでした。「カッコいいわー」と見とれた。
馬で駆けていった奥さんは‘あっ’というまに行ってしまった。
旦那様は年下なのだろう10歳くらい若くみえた。そう見えただけかもしれないが・・・。

関所の上からの眺めはすがすがしく、緑の山が見渡せて爽快だった。

帰りに、‘老子’(牛に乗ってたから老子と思った)の像を発見。
「どうして?」「どうして、ここに老子がいるの?」
斉(たぶん)の宰相に招かれて、牛でやってきたのがここだったってこと・・・?

 老子の像


窟洞民居(ヤオトン)見学
コースにはありませんが全員希望であれば、この地方特有の住居が見学できることになりました。
窟洞民居=ヤオトン、といいます。
ヤオトンは、函谷関で見たのと同じような造りで、自然の土をそのまま利用して住居にしたものです。
今回見学できる住居はその地下バージョンです。
土を掘って光を取り入れ、中庭にしてあります。次に四方に向って横にくりぬいて部屋にします。
分っていただけます?住居そのものは地下だけど、中庭には陽があたっている状態。屋根は地上。

 見学の我々を地上から見学する近所するお子達・・・


見学させていただいたお宅は4人家族で、お父さん、お母さん、息子さん2人。
13歳くらいと、その弟10歳くらい。みんな家におりました。
住居の部屋は独立していて、中からは行き来できません。いったん中庭に出て各部屋を移動します。
中国のお宅らしく、福倒=福の字を逆さまにしてフータオという意味で‘福が来る’という縁起の良い
文字が貼ってあったり、赤とうがらしがたっくさん干してあったりしてました。

 福の字が逆さまで‘福がやってくる’という意味です


台所の甕(かめ)には水が満タンに汲んでありました。水道はありません。
「どこから汲んでくるんだろう?」母の質問を、こちらのお母さんに聞いてみました。
「水道!あっちにある」と言われてしまいました・・・。
でも、水道に汲みに行かねばならないのですから、大変な作業です。

中庭の中央に浅い池がありました。
もしかしたら、水道のない時代は、ここに溜まった雨水を利用したのかもしれません。
母が言うようにお風呂がわりにもなったでしょうし、洗濯もここでしたのかもしれません・・・。

帰りに弟に持っていたガムをあげました。「ゲイ、ニイ」と言って・・・。
弟びっくり!ガムにじゃなくて、私の言葉に(笑)
ビックリ作戦、大成功!そもそも私の中国語はこういう時のためにあるのです。
(1994年西安参照)

いつの間に集まったのか、見上げたら近所の子供たちが覗き込んでいました。
5、6歳だろうか・・・5人。バスに戻った母があめをあげてきなさい、と言う。
私はバスを降りて一人一人に飴をあげてきた。子供たちは素直に喜んでくれた。
カメラの若者は子供をモデルに写真を撮りまくっていた・・・。

 長閑な感じ・・・でも生活は厳しいのかも・・・


車馬坑、思いがけない再会の巻
車馬の遺跡である。

ここで私は、思いもしないものに出会ったのでした。
その石には刃型がついており、3分の1くらいがズボッと欠けていました。
石には「関杜試刀石」と彫られています。
説明書きによれば、関羽が三門峡を訪れた際、青龍刀を砥ぎ師にだした。
その切れ味を試すためこの石を切ったというのです。その跡がこれ!?
凄い切れ味じゃないですか!?豪快に石まできっちゃった・・・。

 私の関羽さまは石もバッサリ!


私の関羽さまは、戦で毒矢にあたった時もその痛みをおくびにもださず、名医、華陀の手術を
麻酔なしで、しかも平然と囲碁を打ちながら受けたお人なんである。
石ぐらい切るの朝飯前よね。・・・ていうか、青龍刀がいかに切れたかってことなのでしょう?
いや、いや、三門峡には優秀な砥ぎ師がいるって事が言いたいのかな?


昼食での失敗
この日の昼食に美味しい料理がでた。いままで食べたことのない味、食感。
「美味しい。何だろう?」こう思ったのは私だけではないはず。
ウエイトレスのお姉さんに聞いてみた。お姉さんからは「のど、です」と答えが返ってきた。
「なにの?」と聞くと、「牛です」と言う。
私、この時なにも考えずに「美味しいですよね。」と言ってしまった。
「あっ!」と思ったときは遅かった・・・。
あの表情からたぶん、このお姉さんは食べたことがないのかもしれない。
もしかしたら高級食材かもしれないではないか・・・。
あまりの美味しさに我を忘れた自分が恥ずかしかった。
彼女は困った顔をしながらも、相槌をうってくれた。以後、言葉には気をつけよう・・・。

それにしても、牛の喉は美味しかった。色は、たけのこ色。食感は、やわらかいアワビ。
また、食べたいものだ・・・。


三門峡での買い物
観光で連れて行かれる土産物店は、大抵は旅行社と提携していて、日本人専用である。
日本語の教育を受けた店員さんがいて、‘買わせられてしまう’仕組みになっている。
日本円の支払いも、もちろんOK!相場も日本並みの値段設定である。
うちの母などは‘値切る’ことなどしないから、向こうの相場に換算すると、
スカーフ一枚を月給分で買っていたりする。
それでも、やはり自分で買い物するのは楽しいものであるから、私は内心「高すぎる・・・」と
思いながらも黙って見守っている。

私はこのように法外に高いと知っていながら買うことができない性分なので、
外に出てお土産を買おうと目論んでいた。それに、ここはガードが甘かったので・・・。
いつもだと、出られないようにビルの何階かだったり、見張りの店員さんがいたり、
鍵をかけられたりするのだが、そういったことがなかったのです。
私たちの挙動不審に目ざとく気づいた木村さんが、一緒について来た。
そしてもうひとり、一人で参加している、おじさまもついて来た。脱走者4名。

匂いだけを頼りに歩いたら、ほどなく百貨店を見つけた。
日本と同じように1階は食料品や、化粧品、薬がおいてある。
「中国酒を買おう!」一般に中国の人が飲むお酒は‘白酒(パイジユ)’といって、とても強い!
日本の‘焼酎’である。30度から40度くらいのが一般的に飲まれている。
そんな強い酒を買って帰っても飲めたものじゃないが、お土産としてとりあえず
味わってみるのもいいのではなかろうか、と母に1本決めてもらった。
(父も舐めただけで降参。現在も棚に飾ってある・・・)

京劇Tシャツ発見。くまどりが墨(カラー)で描いてある。手描きだ。
購入すると、もれなく名前を入れてくれるのだそうだ。
私の名前か、父の名前か、迷った末、父の名前を入れてもらった。
そのTシャツは「こんな派手なの、どこに着て行けるって言うんだ」と不評におわり、
父が着ることは一度もなかった。
今は私の手元にあるが、私ですら着る勇気がなく、タンスの肥やしになったままだ・・・。


西安へ列車の旅
三門峡駅から西安駅まで列車で5時間。母は初めて中国の列車に乗る。

 三門峡駅


列車で5時間の移動は長い。若者組は車掌さんからトランプを借りて遊び始めた。
それに飽きるとカイドブックで簡単な中国語の練習をしたりしている。
私も「パンダって中国語でなんていうんですか?」などと聞かれたりした。

カメラマンの若者も、中国は二度目だそうだが、前回はメンバーに恵まれなくて、
ちっとも楽しくなかったという・・・何にでも文句をつけて、いざこざを起こす人がいたらしい。
「今回はみんな良い人で本当に楽しいです」と言っている。
「だから本格的に中国語の勉強も始めたい」と・・・。
前回の楽しくなかった旅行にもめげず、今回も中国旅行を選んだ彼女である。
中国語だって、すぐにマスターできるに違いない。旅は道づれ、世は情け。
私は今まで旅のメンバーに恵まれてきたし、ひとりでもそれなりに楽しめる、
どこまでも‘Going my way’な性格だ。
彼女の言うような楽しくなかった旅行の経験は、幸いまだない・・・。

列車でお茶が振舞われた。陶器のカップにお茶っ葉が入っていて、ポットからお湯を入れて飲む。
中国茶は、湯を入れれば何度でも飲める。
日本茶はこうはいかない。2,3回お湯を急須に入てたら葉を棄てて、淹れなおさねばならない。
母は日本茶のイメージしかない人でした。私に「これを棄てて新しい葉をもらって」というのです。
素直なパシリは、車掌さんに葉をください、とお願いし不思議な顔をされ、ガイドの徐さんには
不思議がられた私でした・・・。


5時間の長旅のあと夜、西安に到着。今晩は西安泊。



1997年 西安


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vol.27