1997年 西安

第2回 1997年9月22日、23日
滞在5日目 西安

西安駅
西安に到着したのは夜9時頃だった。にもかかわらず駅のロータリーは大変な人である。
母に「カッパライがいるから気をつけてね」と釘をさす。それほどの人ごみなのである。
私に脅された母は、「大変なところに来てしまった」と気が気でない・・・私もビビッていた・・・。


滞在6日目 西安

朝食の木村さん
朝食は毎朝ホテルの食堂でとっていた。
バイキング形式で、料理は中華または洋食がほとんどである。朝食なのでお粥がでる。
母は毎朝お粥中心できめていた。
私はお粥もパンも、中華もサラダも・・・というように洋中とり混ぜてとっていた。
いつも木村さんが「おはようございます!」と3人一緒に食事となる。

この朝も、私たちは朝食に降りていこうとエレヴェーターの前で待っていた。
木村さんが「おはようございます!」とやってきた。Good timing!
これほど計ったように現れるものではないでしょ。
母と私は密かに「絶対木村さん、部屋のドアから私たちが現れるのを見てたんだよね、待ってたんだよねー」と
囁きあったのでした・・・。

西安のホテルは、日本の‘三越’が経営をしていた。
日本人スタッフも多く、母はすっかり安心しきっていた。朝食には日本食もあった。
白米のごはん、味噌汁、鮭、のり・・・。母と木村さんの喜びようといったらなかった。
「やっぱり朝は味噌汁ですよねえ」「あー久しぶりのごはん、やっぱり三越だわあ」と、
母は感激して、「うれしい、うれしい」と何杯も御代わりをしている。よかった、よかった・・・。

私は普段から味噌汁は飲まなくても構わないし、梅干などは病気の時に薬だと思って食べる程度。
せっかく中国にいて日本食は食べなくても・・・とまるで興味なし。
木村さんは珍しい料理を見つけるのが上手で、「これ、おもしろい味がします・・・」と、よく言っていた。
その度に「えっ?!どこにあったんですか?」と聞いては取りに行く私でした。

この日、隣りのテーブルに、別のツアーで来られたお客さんが食事をとっていた。
「昨日は‘敦煌’に行ってきました」と情報交換。
活き活きとした話しを聞きながら、私たち3人も「行ってみたいね」と話しが盛り上がった。
他のツアーの人たちの話しを聞きながら食事をするのも、新たな発見があって楽しいものである。


碑林
陝西省博物館の一部。私は陝西省博物館本館には一度も行ってない。
時間があれば是非行きたい博物館なのだが・・・。
そこには三国志ゆかりの品々が展示されてるそうです。

今回私たちが見学したのは‘碑林’だけ。だけ、といっても大変よかった。
ここに何があるか予備知識なしで行ってしまったので、「あらっ?」の連続だった・・・。

ここにあるのは印刷技術がまだない頃、‘拓本’をとるために、石に文字を彫って、
それを元に版画のように拓本して本を作っていた、その元になる石群が収められているのです。
「論語」「中庸」「大学」などなど、文字ばかりでなく「孔子像」のような肖像画まであります。

丹念に見ていたら「えっ?」「顔真卿・・・?」
私は以前、書道に夢中になった時期があった。書道にはいろ〜んな文字の種類があります。
甲骨文字、隷書、楷書、行書、草書、蔵書(ぞうしょ)、日本のかな・・・などなど。
私は、かなが大の苦手で、それだから書こうともしなかった。
好きだったのは、孫過庭「書譜」、懐素「自叙帖」、蘇軾、顔真卿、といった中国古典。
真筆は台北故宮博物院にあるので、この頃から「いつか台湾に行って真筆が見た〜い」
思っていたのですが・・・。

部活の先輩に‘王儀之’が好きで、「蘭亭序」を一心に書いている人がいました。
別の先輩は甲骨文字にはまっていてそればっかり書いていた・・・。
「書是人也」どうしても内面が現れるものです。
王儀之が好きな先輩は物静かで優しくて、それでいて芯の強い人でした。
甲骨文字の先輩は、ちょっと変わってて、かえるマニア。何でも‘緑のかえる’で統一してるような人。
私に「風呂敷はマルにもなれば三角にもなる、魔法の布よ♪」と、伝授してくれたのもカエル先輩でした。
熱心な部員は数人しかいなくて、ほとんどが幽霊部員だっただけに、
‘書道’という個人プレーではありながら、伝わるものがあった。あの頃に戻りたいな・・・。

私が中国古典の中でもとりわけ好きだったのは‘顔真卿’(がんしんけい)です。
彼は蔵書(ぞうしょ)の創始者であり、大家です。若い頃は普通に行書を書いていたらしいのですが、
晩年、ふくらみのある蔵書を書くようになった人です。
蔵書は、筆を内側に入れてから、ひっくり返して徐々に力を掛けながら進めて、
最後にフッと力を抜いて、撥ねたり、止めたりする書き方をします。
重量感たっぷりが特徴の文字です。時代を遡れば隷書も好きでした・・・。

その‘顔真卿’74歳の時の碑があったんです。
「あらっ?」自分が書道に夢中になってた頃、先輩の事を思い出して感慨にふけってしまいました。
「どうしてるかなあ先輩・・・元気かなあ・・・書道続けてるかなあ・・・?」


‘兵馬俑’での母・・・
西安といえば兵馬俑でしょ。母の反応が今から楽しみです♪
見てもらうしかない。見てもらいましょう。私は早く母の反応が見たくてウズウズ・・・。
「あの中にあるんだよ」と、体育館を指差す私に「ふーん」と余裕たっぷりの母。
「(どうせテレビで見たのと同じと思ってるんでしょう?あまい、あまい・・・)」
「(今に腰抜かすくらいびっくりするとも知らないで、その余裕も今のうちさ)」と、心の中でほくそ笑む私・・・。

ホールをぬけて、映画館のような扉をぬけて・・・いよいよです!
前回のように人が立ちはだかってまだ見えません。私は、人だかりを分けて母を先導します。
さて、母の反応は如何に・・・?

「・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・」
言葉もないようです・・・「どう?」と私。

「あ ー ー ー !!」
とだけ言ったきり。「どう?」と母の顔を覗き込む。

「これは、実物を見た人じゃないとわからないわね」

「テレビで見るのと、まるっきり違うものねえ・・・」と。

そうなのです。
「百聞は一見に如かず」という言葉は、ここのためにあるのです。

腰は抜かさなかったけど、抜かさんばかりに驚いた母を見て、一緒に来て良かったと思う私でした。
よかった、よかった。

それに、今回は94年調査中だった3号坑も見ることが出来た。
1号坑の迫力には遠く及ばないのですが・・・。

売店では、書籍や絵葉書が売ってまして、中でサイン会が開かれていました。
「誰だろう?」と見たら、なんと!‘井戸を掘っていて、兵馬俑を見つけた発見者’とのこと。
「(うっそー!?本人なのぉ?)」・・・どうやら、そう名乗っているようです。
真っ白くて長〜い髯を生やした、まるで仙人のようなおじいさんが、本を買った人にサインをしています。
「(うそくさーい)」「(もう亡くなってるんじゃないの?)」真偽のほどは分からずじまい。

売店から出てきたら今度は‘ケンカ’です。
粋のいいお兄さん方が、取っ組み合いの喧嘩をしてるんです。
「(うっそー!?)」双方の知人が止めに入って間もなく落ち着きましたが、
いったい何が原因で、取っ組み合いの喧嘩になるものやら・・・?
私が「すさんでるのね」と言うと、母が「戦後は日本もこうだった」と。

そんなこんなで、盛りだくさんの兵馬俑坑でした。帰って、父に「次はいっしょに行こうね」と言うと、
「テレビで見てるから俺は行かなくていい」と決まって言います。それを母が聞いて、

「テレビで見るのと、まるっきり違うんだってば」
「そう、そう、言ってやって!」と私。
父にも見せたいです・・・どんな反応を示すか見てみたいです。

 入場券(カード化されていた)


華清池
ここでも、94年に見ていない浴槽を見学しました。

 この建物の内部に浴槽がある


一通り見終わってゆっくりしていたら、カメラの若者が「若者だけで写真撮りましょう」とお誘いが。
木村さんと私と、若者2人の4人で・・・。
木村さんは「私、遠慮するわ」などと言っていたが、入ってもらって4人でカメラにおさまった。
私たち4人の楊貴妃は、各々のポーズで華清池にマッチしていました。


西門
西安の中心は「鐘楼」です。西門は「シルクロードの出発点」になるところ。
門といっても、敵の侵入を防ぐための城壁の一部です。時には戦いの場になった場所で、
広い中庭を囲んでいる堅固な建物です。
当時の建物かどうかは分りませんが、黄土が壁面に染み込んでなかなかいい感じ。

 西門ここから砂漠のシルクロードが始まる


大雁塔
今回は私も落ち着いてお線香をたむけます。
みんなは塔に登って行きました。残った人たちは下でお茶しながら待ちます。
さあ、お買い物でもしようかなあ・・・?
94年は、ここでお茶しながら中国語の勉強を決意した。(1994年西安参照)
今回は何か記念になるものでも購入しよう。ここはお寺さんなので、線香、お香、薬品、が多い。
もちろん絵葉書や飾り物といった土産品や数珠、仏像なども置いてある。


手前の黒い屋根の建物の2階で、西蔵法師はインドから持ち帰った仏典を中国語に訳した。
その褒美に建ててもらったのが後ろの塔。塔は経典を収めるための建物。


 砂色が美しい


母はここで、お香を見つけました。開封では売り物じゃない線香を買ってきた経偉がある・・・。
ここで見つけたお香は上物だった。さすがは大雁塔、といったもの。
白檀の高級品。私の目にも「いいもの」に映りました。
やはり、先日の線香とは比べものになりません。色といい、香りといい・・・。めでたくお買い上げー!
絵葉書をおまけしてくれました。現代画家の描いた水墨画なんだそうです。
お香は燃やさず嗅ぐだけ、葉書は出さずに眺めるだけ。貧乏性もここまでくると重症です・・・。


唐代歌舞ディナーショー
西安最後の夜は‘唐代歌舞ディナーショー’。
3人で参加されたグループと木村さん、母、私の6人がひとテーブル。
3人さんはこのディナーショーのためにドレスアップしてきた。
チャイナカラーの洋服だったり、ドレスだったり、靴もこのショーのためにヒールがあるのを用意している徹底振り。
「旅慣れている」というか「状況を正しく把握している」というか・・・。
確かに、予定表には‘ディナーショー’と書いてあるが、そこまで気が利かなかった私です。
母に「こういうのだと分っていたら・・・」と、言われても如何ともし難い。すいませんでした。
でも、この3人さんを除けばみんな普段どおりの装いだったんですけどね。




食事が始まりました。今晩はワインを飲もうと思います。母はソーダ。木村さんにもおごっちゃいます。
3人さんは‘紹興酒’をいっちゃってました。
ひらひら、の装いで綺麗なお姉さん方がステージで踊ります。中国楽器の演奏もあります。
食事はとっくに終わっているし、疲れがたまっている私たちは早く部屋に戻って眠りたいのですが、
席を立てる雰囲気ではありません。眠いのを懸命にこらえて最後までがんばりました。
今思えば、途中で席を立って帰ってもよかったのに・・・と思います。
ようやく全プログラムが終了して退場が始まりました。
さっきまでステージで踊ってたひらひらのお姉さん方がお見送りに出ています。
私ってば眠気もふっとんで、ちゃっかりいっしょに写真に収まったのでした・・・あー疲れた〜。

 お見送りのお姉さん3人衆



母は、西安の兵馬俑を見た瞬間のことを忘れないと言います。
私もそうです。おそらくほとんどの人がそう言うでしょう。
機会があったら是非ご覧ください。西安で!




1997年 北京最終回


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vol.29