太極拳in北京(2)

2000年3月30日

貴重な時間
早朝5時半。まだ北京の空気は静かに沈着している。
朝も、8時を過ぎて交通量が増えてから深呼吸をしようものなら、鼻の穴が真っ黒になってしまう。
だから、太極拳は8時までが勝負なのだ。長年太極拳をしている人ほど、空気に敏感です。
私は、香港の師父から届く手紙に「空気の良い所でおやりなさい」とあっても
別段気にとめることもありませんでした。「毎日続けて初めて健康になれるのだよ」と
香港の師父に諭されても、根性なしの私は三日坊主で終わってしまうのでした・・・。


再会を願う
きのう知り合った、おじさんたちと一緒に太極拳ができるのは今日だけです。
私が到着した時、おじさんは軽いランニング、おばさん方も柔軟体操をして体をほぐしていた。
私は、ひとりで練習する時は、準備体操をしないでいきなり24式を始めてしまう。
太極拳(1回目)が準備体操だと思っているから。でも、軽くほぐしてからの方が正統のようだ。
私の通っている教室では20分は柔軟体操をするし、
今まで中国で出会った人たちも体を温めてから套路を始めている。
私も、朝の挨拶をしてから、手をグリグリしたりして関節をほぐした。

「さあ、始めましょう。」おじさんが、私を前にと促します。
「とんでもない」私は皆さんに習うのですからと辞退して、おじさんが前列中央。
その後ろにおばさんふたり。その後ろ3列目中央に私、という菱形で並びました・・・。
足を肩幅に開いた状態から始まります。日本の教室では閉じているところから始まりますが、
私が今まで見てきた中国の‘起勢’(始まりの姿勢)は肩幅に開いてからでした。
しばらくの間、この姿勢で呼吸を整えます。「(・・・長い)」1分以上はあったように感じました。
おもむろに手が上がっていきます。全体を通しての速度は普通、どちらかといえば押さえめ。
‘発勁’(瞬間に力を発揮すること)はありません。
三人とも実に気持ちよく動いているのが、よくわかりました
下手も上手もない、この人たちほど気持ちよく、何の計算も感じられない動きは初めてです。
こういう、かけ引きのない気持ちで太極拳ができて幸せに感じます。


北京訛り
最後の‘収勢’も長かった。手を下ろしてから長いこと動かない。息を整えてから我に返るのだ。 
「(・・・長い)」やはり1分以上はあったような・・・。

終わると、おじさんとおばさんは私を質問攻めにしました。ものすごい北京訛りです。
聞き取るのに骨が折れました。「標準語(北京語)を話してくれー(泣)」と叫びたくなるほどの強い訛りです。
北京語(北方)の特徴は‘R(アール)化’が強いことでしょう。
「・・・ピャール・・・ピャール」なんでも最後は・・・ピャールなのです。
私もたまらず「すみません。もう少し、ゆっくり話して下さいませんか?」とお願いしてしまった。
質問は「これから毎日来れるか?」という事だった。
「残念です。私は明日の朝早く日本へ帰らなければなりません。皆さんと一緒に太極拳は今日が最後です」と答えた。
おばさんは、「アイヤー、アイヤー」を連呼し残念がってくれたかと思ったら、終いには「なんでもっと居ないんだ」と
怒りだす始末。
私は「ごめんなさい。きっとまた来ますから」と言ったものの、果たして再会できるかどうか・・・。
おじさんは、賑やかなおばさま方とは対照的にジッとおし黙ったままだった。

私は「写真を撮りましょう!」と‘単鞭’ポーズを要求したが、結局それは叶わなかった。
おじさんからにカメラを向けると「ちょっと待ってくれ」と言う。心の準備なのか・・・?
傍らではおばさま方がスカーフを結びなおしたりして、これまた準備に余念がない。
「じゃ、三人で!」と言ったら、おじさんはおばさん方と一緒に撮るのを拒否。
でも、私とのツーショットには応じてくれた。帰り際、「今度来る時、写真を持ってきてね」とおばさまが言う。
(訛りが強くて聞き取るのにひと苦労した)
「もちろんよ!」と言って、明日にでもくるようにあっさり別れた・・・。

 「ちょ、ちょっと待ってくれ・・・」


 チームリーダーのおじさん。再会を信じて


 おばさまふたり。ピアスがおしゃれ


固い握手
おじさんと私は途中まで同じ方向である。
「写真を送りますから、よろしければ住所を教えてください」とメモを取り出そうとすると、
「今度来る時持ってきてくれればいいから」と言って教えてはくれなかった。
私が強くここで再度聞かなかったのは、おじさんが、写真を持ってくることを名目に
写真を担保にして「必ず来てくれよ」と念を押したからだった。
そう言って別れる時の握手は驚くほど強く、両手が添えられていた。
その悲しそうな表情はいまも忘れない。
その表情を見た瞬間、驚きもしたが、鬼の目にも涙で危うく泣きそうになった私だった。
私は「(そんな、悲しいことなんかない。私はまた必ず会いに来るのだから)」と考えていたが、
おじさんは「もう会えないだろう」と覚悟を決めているかのようだった。
私もバカだった・・・。名前だけでも聞いておくべきだったのだ。
無理矢理にでも住所を書いてもらうべきだったのだ。
おじさんの心中は「最後の」、私の頭の中は「再会の」、固い握手を交わし、あえて「再見」とは言わず、
手を振って別れたのでした。
そうして青い人民服のおじさんは北京の街に消えていったのでした・・・。
あの握手の感覚とおじさんの悲しげな表情、通りを曲がって消えていった後ろ姿・・・。
忘れないだろう・・・いや、忘れたくないと思う。

日中太極拳愛好者  名前は大切です。聞き忘れた私はホントにバカです


2000年太極拳in北京完


「行かねばならない・・・」と思いつつ時間ばかりが無常にも流れて、このあと北京に行く事になったのは2002年でした。
(2002年北京につづく・・・)


旅行記に戻る   太極拳目次





vol.16