5.歴史(現在)


<同化政策による文化征服>
1930年代のニューディール政策によって、一応この強制的同化政策に歯止めがかけられたが、
インディアンの基本的人権と民族自決権は、まだ充分に確立したとはいえない。
現在もインディアンは闘っている。


ウーンデッド・二ー以前
戦い敗れたインディアンが果たして畑を耕すことができるだろうか?
インディアンの大人たちは農業に従事することに抵抗をしめした。
わずかばかりの年金と配給での生活。それしか、生きる術がなかったのだ。
子供たちは1879年頃から、強制的に居留地から遠く離れた所の寄宿生活を送りながら再教育を受けさせられ、
伝統を忘れさせられた。
拒否すると年金を取り上げられるといった卑劣なやり方で政府は子供たちを引き離した。
しかし、彼らは学校を出ても働き口がないため、卒業すると自分たちの保留地に帰っていった。
学校の校長は「インディアンにはインディアンの手が授けられている。
彼らはまた、あのバカバカしい生活をするためにいそいそと保留地へ戻っていった」と嘆いたという。

1881年 「恥ずべき1世紀」出版される
ヘレン・ハント・ジャクソンによって書かれた、政府非難の本がでた。
政府の官使によって行われた弾圧、不正、汚職の数々を告発。
さらにスミソニアン研究所のアメリカ民俗学局は、アメリカ・インディアンに関する膨大な調査を実施。
これは後に「アメリカ・インディアン・ハンドブック」としてまとめられた。

1882年 インディアン人権協会設立

1886年 アパッチ族ジェロニモ、クルック将軍合衆国軍に降伏

1887年 ドーズ法(インディアン一般土地割当法)制定。
      インディアン個人を対象に保留地の土地を分配
1887年のドーズ法はインディアン部族の持つ土地を世帯主ごとに割り当てるというもので、
余剰分は白人に開放されるというものだった。
しかし、事情がうまく飲み込めないインディアンは、ただ同然の安い値段で、多くの土地を白人農民や業者に売り渡してしまった。
1887年に1億3800万エーカーあったインディアンの土地は50年後1934年には5000万エーカーにまで減ってしまった。

活動
1911年 アメリカ・インディアン協会設立

1924年 インディアン市民権法制定。インディアンに市民権付与。

1928年 メリアム報告書が刊行され、保留地のインディアンの悲惨な状況が明らかにされる。
肥沃な土地は手放してしまい、その上ほんのちっぽけな仕事にさえありつくことができない。
永久にインディアン局のお情けにすがって生きるしかないありさま。
メリアムのレポートは、家庭内の暴力、アルコール中毒、高い自殺率など、共同体の暮らしの荒廃と、心理的崩壊を証明していた。
すなわち、ドーズ法による同化政策の失敗を明らかにしていた。

1934年 インディアン再組織法。保留地の細分化を禁止。
この法律により、保留地の細分化政策が廃止され、売りに出されていない土地は再譲与された。
また、保留地内に工場を建設することが認められ、貸付金の入手も容易になった。
部族ごとの集会も再び組織され、居住区における自治も許された。
しかし、一見インディアンの慣習の回復を図ろうとする政府の動きの真の目的は、
アメリカ社会への従順な同化を目指してのことだった。

1944年 全国アメリカ・インディアン会議開催

1953年−1954年 最初のターミネーション(連邦管理終結)政策。
           部族の自治権を奪う、事実上の強制同化政策であり、
           これを期にインディアン政策が同化主義の方向へ。
第二次世界大戦後、保留地にかかる費用の負担を軽減するため、保留地の廃止を実行に移す。
インディアンはアメリカ社会に丸裸で放り出されたのだ。61部族の廃止も決定された。

1961年 シカゴ大学でアメリカ・インディアン会議開催
若い世代のインディアンは同化政策の教育の中で、大学教育を受け、さらには自分たちの組織をつくり上げていった。
極貧の部族を守る、条約の尊重を訴える、インディアン文化の尊重・・・。

1968年 アメリカ・インディアン運動設立(AIM) (「聖なる魂」書籍参照)
ラッセル・ミーンズ、デニス・バンクスなど、インディアン部族出身のメンバーで構成される団体。
彼らの活動は、インディアンの象徴を占拠、攻撃、座り込みなど派手な示威行為で人目を引いた。

1970年 インディアン運動家たち、各地のインディアン局で座り込みを実施
AIM活動のひとつである。

1972年 ワシントンのインディアン局ビルを占拠
AIM活動のひとつである

1973年 サウス・ダコタ州、ウーン・デット・二ー占拠
AIM活動のひとつである

1978年 ザ・ロンゲスト・ウォークを敢行
AIM活動のひとつである。
彼らの要求は、経済的、文化的自治であり、それと同時にアメリカ人の意識的改革である。

1982年 最高裁判所、ニュー・メキシコ州のアパッチ族に、
      保留地内の大手石油会社に対する徴税の権利を認める
      
1983年 レーガン大統領、議会にターミネーション政策の廃止を要求

現実
(1985年調査)
一人当たりの年間収入が最も少ない。平均寿命が最も低い。事故による死者の数最高。
結核など貧困が引き起こす病気が原因の病死の数最高。獄死の数最高。
75%以上の人が生活状態に悩んでいる。3人に一人の乳児が生後6ヶ月以内に死亡。
失業率75%、冬場は99%。

アイデンティティ
(「ある森林インディアンの物語」思索社1991年、ポール・ラディン著から)
「アメリカ・インディアンの全人口は、およそ250族からなる80万人ほどと推量される。
もろもろの権利と見直しを要求した抗議運動がはっきりと形になって現れたのが
1969年のアルカトラス占拠事件(デニス・バンクス「聖なる魂」に詳しい)あたりからだ。
しかし近年、白人側からの反撃も厳しさを増しているらしい。問題は資源開発にからんで複雑である。
モンタナ州などのインディアン居住保留地の下に石油、水、ウラニウムなど豊かな埋蔵資源があるからだ。
保留地での現実はといえば、人生に対する期待度、住宅や衛生状態、教育、年収、どれをとっても全米の最低基準にあり、
乳幼児死亡率と自殺率ばかりが異常に高い。
かといって、地下資源の開発を許すことは、土地の荒廃を招くばかりでなくインディアンとしてのアイデンティティを
売り渡すことになる・・・」と。

(「風の民」社会評論社2003年、猪熊博行著から)
インディアンの問題は黒人のそれより根深く複雑だ。
彼らの問題は極めて多岐にわたっている。
例えば、一口にインディアンといってももはや彼らの半数以上は職を求めて都会に住み、アーバン・インディアンとして存在し、
居留地とは別の問題を抱えている。
大部族は文化の軋轢に悩み、小部族は文化の消滅に悩んでいる。
混血インディアンは純粋インディアンと違う意味で、自己のアイデンティティーに悩んでいる。
豊かな資源を持つ部族は自然破壊と公害に悩み、持たない部族は貧困に悩んでいる。
しかし、多くのインディアンに共通の悩みということであえて括れば「伝統的信仰観を持って、
人と人とのつながりを大切にしながら、大地と生きることがもはやできなくなっている」ということに尽きるだろう。

アメリカという国は物質主義的社会で、どんなこともビジネスだ。
つい200年ほど前までは狩猟採取しながら自然に対する感性と畏敬の念を維持してきた社会と、
物質主義のチャンピオンが揃ったアメリカ社会は、まるっきり対照的だ。
にもかかわらず、アメリカの社会システムは白人の都合だけで作られ、それが「システムの基準」になってしまった。

法律
アメリカの憲法には「アメリカインディアンは課税対象とせず、アメリカの公式人口統計に含めない」とある。
しかし1871年議会は「独立国家としてアメリカ合衆国と条約を締結するインディアンの国はもはや存在しない」と宣言した。
もちろん、インディアンに断わりなしにである。
そうすると、インディアンはアメリカ国民でもないし、独立した国家に帰属しているわけでもないという定義になる。
次に1924年インディアン市民法では「インディアンをアメリカ国民とみなして課税対象とする」とした。
憲法と矛盾している。
さらに、基本的にはインディアンの居留地は州から独立しているはずだから、「居留地には州の警察権が及ばない」のである。
しかし、実際は居留地の独立性は州より弱い。

失業
居留地の失業率はナバホで50%。ノーザン・シャイアンやラコタでは80%にもなる。
自殺率はアメリカ平均の4倍。北部平原インディアンのほうが倍以上高い。
南西部インディアンは農業を営み定住していたが、バッファローを追う狩猟生活をしていた。
この「生活文化の履歴」の違いから格差が大きい。そして死に対するハードルが低い。
「死ぬだって?死なんてないさ、世界が替わるだけだよ」と重大な悲劇と受け止めていない。
文化の残存があるからだ。彼らには自殺は罪悪というキリスト教の教えはないのだから・・・。

アルコール
インディアン部族にアルコールが入りこんだのはアメリカがメキシコに勝利した1850年頃からだ。
つまり、インディアンは酒に対する肉体的耐性がない。
だから、インディアンが白人と同量の酒を飲むと強烈に酔ってしまうし、僅かの酒でも常用すれば中毒になりやすい。
これが悪用されてきたのは土地を奪われた頃からのことであることは言うまでもない・・・。
自殺の方法で最も多いのが、酒をあおっての交通事故である。

公害
五大湖から流れるセント・ローレンス川のほとりにモホークインディアンの国がある。
そしてこの川がPCBで汚染されている。汚染源は上流にあるゼネラル・モーターズ社だ。
彼らはこの川の上流に巨大なPCB含有物廃棄場を作った。
EPA(アメリカ環境保護局)の基準値を40〜60倍も上回るPCBが検出されることもある。
GM社はモホークインディアンの土地を買い取ろうと言い出した。
その方が復帰に係る費用より安上がりと踏んだからだ。しかしモホークはこれを拒否している。
自分たちが誕生した場所、いたるところに聖地がある場所を手放す気はないと。
そして現在もモホークはPCB汚染の補償と根絶を要求して闘っている。

モンタナ州南東部にノーザン・シャイアンの国がある。
70年代、ここで良質の石炭が発見されるとAMAX社という会社が石炭を掘り始めた。
インディアン管理局が部族会議に提案することもなく勝手に調印してしまったのだ。
これを知った部族側は驚いて調べてみると、60%以上の土地がリース対象になっていた。
猛烈な反対闘争を行い、なんとか減らすことができたものの、露天掘りは少しずつ居住可能な土地を減らしている。
そしてその石炭は火力発電に回され、噴煙公害を起こしている。
しかもその発電電力はサンフランシスコに送られているので、ノーザン・シャイアンが公害を受けながら
電力は大都市に送られているのだ。

ミシガン湖に面してメノミ二ー族の国がある。
白人が到来してもその場所を動かず、ひたすら祖先の土地とその森を守ってきた。
ところが、70年代、その国に隣接する地域の豊富な銅の鉱脈に目をつけたエクソンが鉱山会社を作り採掘し始めた。
これを知ったメノミ二ー族は反対運動に乗り出した。
というのもこの近辺は湿地帯で、彼らはここで野生米と魚を捕って主食としているからだ。
鉱脈の銅は硫黄化合物として存在するから、銅を抽出すると廃棄物として硫黄化合物がでる。
闘争は25年にわたって操業の拡大を阻止してきたが中止にまで追い込めていない。
それどころか最近、規模の拡大を目論んできた。

ミネソタ州、ホワイト・アースにはびっしりと森林で覆われ、アニシナベ族が住んでいた。
ところが、20世紀になると人口増加とともに住宅ブームが到来。政府は彼らの森林に目をつけた。
そしてアニシナベに金をおしつけて、土地を私企業に売り渡してしまった。
森林は伐採され木がなくなると再び彼らの土地を奪った。
現在、最初のアニシナベの国の大きさの14%になっている。
それでもなお木材の需要は高く、貧困とインディアン局の圧力に屈して、居留地内の木が売られていった。
無計画な乱伐で小さくなったホワイト・アースはさらに荒廃した。
彼らはいま、メノミ二ーの森林経営を学びながら懸命に森の回復に努めている・・・。

ナバホ・ネイションのウラン採掘。ウラニウム公害。
チャスカ山脈でウラニウムが発見されたのは1918年だった。
1949年にソ連が初の原爆実験に成功すると、ウランラッシュを迎えることになった。
原石はナバホ・ネイションに建設された精錬所でイエローケーキにされた後、テネシーに送られて高濃縮ウランに形を変えた。
作られた核爆弾は、ナバホ・ネイションの隣、ネヴァダ州にある西ショショーネ族の人々が住む地域でテストされた。
失業していたナバホの人たちは、こぞってウラン採掘の仕事にありついた。安全対策はおざなりだった。
ラドンガスが充満する坑内でマスクもせず採掘をさせられ、原石は素手でつかみトロッコに積んだ。
精錬所では湿気をきらって粉塵の舞う中、密閉した環境で仕事に従事した。
200ヶ所も採掘抗のあったレッドバレーでは70年代までに働いていた人の30%が肺ガンで死亡し、
乳幼児の先天性異常は全米平均の2倍以上になった。問題は連邦政府と鉱山会社にあった。
国が採掘前にナバホに説明したのは「銅を掘る」ということだった。
ロス・アラモス研究所で働く白人頭脳集団の誰一人として、この問題を告発する人がなかった。
ナバホに放射性物質の知識などあろうはずがない。
坑道を作るために掘った岩を自宅に持ち帰りホーガンを作った人も多かった。
周囲の壁から発散する放射能の真ん中に座ってナバホ・ラグを織り続ける女性もいた。
放射能を含んだ汚泥が川に流れ込んだこともある。
やがて70年代に入るとウランが輸入され始めナバホ・ネイションのウランは閉山していった。
そして、あとに残ったのは後遺症と、放置された廃坑だったのだ。
30年の月日が流れてもこの問題は尾をひいている・・・
ここではすでに1940年代から次々と肺ガンや皮膚ガンに侵され死亡していった。
放射性廃棄物は風や雨によってサン・ファン河、リトル・コロラド河に溶け込み最終的にはコロラド河に合流し、
アリゾナ州だけでなくネヴァダ、カリフォルニア州の飲料水にも影響を及ぼし始めている。
やがて白人社会へ影響が出始め、政府はようやく重い腰をあげ始めた。

ニューメキシコ州ラグーナ族保有地にある合衆国最大のウラニウム鉱山と、隣接の町グランツのアナコンダ社ウラン精錬工場。
ここでの採鉱ははほとんど露天掘りで、表土を剥ぎ取り、砂岩を露出させ、ドリルで穴をうがち発破をかける。
砕け散った岩石は三つの製錬工場のあるグランツの町に運ぶ。
現場はいたるところウラン鉱の微粉化した砂塵で濛々としている。
労働者達は白人の技師を除いて、すべてがラグーナ族か他部族のインディアンたちであるが、防塵マスクさえしていない。
問題は、鉱山や精錬工場での低線量長期被爆である。
とりわけ危険なのはウラニウム鉱山の粉塵に含まれ、また精錬過程での飛散する低放射能、ラドンガスである。

1970年代末の調査では、例えばブラック・メサ鉱山では百人の労働者中すでに18名が死亡、21名が死の床にある。
レッド・ロック地区では労働者25名が肺ガンで死亡、シップ・ロック地区では20名が死亡、20数名が病床にある。

また、それらを積み上げたボタ山は風によって移動し、飛散し、雨に溶けて河川に流れ込む・・・。
周辺の住民や家畜に深刻な被害をもたらしている。
キャメロン地区やトュバ・シティでは牧畜民である彼らの生活の源泉の羊や牛が次々と原因不明の病気で死亡。
地域の住民に肺や内臓ガンが多発し始めている。
放射能について何の警告も教育も受けなかった住民たちは、セメントそっくりの放射性廃棄物で住宅の壁を塗り、
小学校の建設にさえ使用したのだ。

輪をかけて悲惨なのはユッカ・マウンテンというネヴァダの核実験サイト周辺の西ショショーネ居住区だ。
1951年から1992年までの間に地下核実験を含めると、ここで1054発の核実験が行われた。
そして近隣の白人を含めて、おびただしい甲状腺ガン患者を生み出している。
連邦政府はこの問題を金で解決しようとし、放射能汚染を受けた西ショショーネ居住区を買い取ろうとした。
しかし、ショショーネ族はこれを拒絶。
それよりも放射性物質を自分たちの故郷から取り除いて欲しいと訴えている。
ブッシュ大統領はこのユッカ・マウンテンの地下を放射性廃棄物保管場所とする決定をした・・・。

(2005年6月記)


<tuziより>
現在もインディアンの権利を勝ち取るため様々な運動がなされています。
貧困によるアルコール依存、犯罪・・・
社会差別は黒人に限ったことではなくインディアンに対してもあります。
私が、心に残っている言葉があります。
「黒人はアメリカ社会の中に入れてくれと叫ぶが、インディアンは出してくれと叫ぶ」

かつて、酋長たちは白人に言っていた・・・「我々をほっておいて欲しい」と。
しかし現在、アメリカの大地がインディアンの元に還ってきたとしても、
もはや森もなく、バッファローが大地を揺らして走ることもない土地である。
インディアンが誇りを持って生活できる土地ではなくなってしまったのです。
アメリカ社会に関わらずに自活することも不可能でしょう。
現在も夏のパウワウ(お祭り)にゴースト・ダンス(復活を祈る踊り)が踊られます。
彼らはいったい何を望んで踊るのでしょう?
永遠に戻らないよき時代の生活を思ってでしょうか?
インディアンの誇りある生活は永久に還ってきません。
もはや、今見るインディアンの姿は民間伝承のショーパフォーマンスでしかなく、
真の意味でのインディアンは絶滅してしまったのだと私は思っています。
このことはたまらなく悲しいことですし、抵抗をし闘った祖先のインディアンを思うと悔しくて悔しくて・・・
アメリカの大地には「インディアンの精霊」がそこらじゅうにウヨウヨ漂っているように思えてならないのです。

アメリカ犯罪史上残虐な殺人犯として有名なゲイリー・ギルモアはユタ州の人ですが、
彼が題材のノンフィクション小説「心臓を貫かれて」にはインディアンの幽霊が登場します。
やっぱり、あの大地は呪われているに違いない。
4人の大統領が彫られているラシュモア山はインディアンの聖地ブラック・ヒルの一部である。
聖地にあんないたずらされて、私だったら黙っていられない。呪ってやりたい・・・。
人を愚弄するにもほどがある。
アメリカ合衆国たかだか300年の歴史です。傲慢の暴走を止める気は今だなさそうです。
この報いは近いうちに現実となって訪れることでしょうよ。
歴史とはそういうものだと思うのです。

(2002年10月記)



6.生活




※このページの内容に一部書籍からの引用があります。
それらの資料は「11.書籍」にて紹介させていただいてます。
他サイトからの転写はありません。




vol.11