9.言葉 その1
族長編


族長ジョゼフ(ネ・ペルセ族)

(1840−1904)

すべての人は同じ、グレート・スピリットという首長から命を与えられた。人はみな兄弟なのだ。
大地はすべての人の母親であり、大地の上では人はみな同じ権利を持っている。
自由に生きる人として生を享けた者を、狭い土地に閉じ込め、
行きたいところへ行く自由を奪っておいて、そんな暮らしに満足しろというのは、
川の水を逆流させようとするのと同じだ。

1877年土地の割譲を拒否し、部族を率いて巧みな戦術でアメリカ政府軍の追撃をかわしつつ約3,200kmの
逃避行を行った。
同年10月マイルズ将軍に降伏。
その際の悲痛な言葉
「酋長たちよ聞け。私は疲れてしまった。私の胸は苦しみと悲しみに満ちている。
今日のこの日かぎりに、私はもう永久に戦わない」はよく知られている。
なお、インディアンはかつてブランケットを服飾品として用い、これを他人に与える場合は特別の贈り物になった。
後年、族長ジョゼフのブランケットはラコタ族に伝わる。





族長クワナ・パーカー(コマンチ族)

クワナ・パーカー(コマンチ族)

コマンチ族の父と白人の母の間に生まれた。1874年アドービ砦の戦いで頭角をあらわす。
早くから白人に抵抗することの無益さを悟っていた彼は、和平の道を選び、部族が田畑を耕し
家畜を養って穏やかに暮らせる行き方へと導いた。





族長テクムセ(ショー二ー族)
(1768−1813)
いま、ピクォート族はどこにいるのだ。ナラガンセット族は、モホーク族は、パカノケット族は。
かつてその威力をほしいままにしたあの部族たちはどこに行ってしまったのだ。
彼らはみな貪欲な白人の暴虐の前に姿を消していった。
日差しを浴びて消えてゆく白雪のように。


我々から大地を奪った者たちよ、呪われよ。
我々の先祖は墓の中から、我々が奴隷の身分に身を落としてしまったこと、
そして卑怯者となってしまったことを非難している。
死者たちの嘆き声がひゅうひゅうと音を立てて吹きすさぶ風の中から聞こえてくる。
その涙はうめき悲しむ大空から落ちてくる。白人ども滅びうせよ。

我々の土地は過去を振り返ってみても、いまだかつてバラバラに分割されたことなどなかった。
それはいつでも全てのインディアンのもので、だれが使ってもよいものだった。
だれひとりとして、それをほんのひとかけらでも売ることはできない。
我々の誰かに対してもできないし、全てを欲しがり譲歩することを知らないよそ者に対してももちろんできない。
白人はインディアンの土地に対していかなる権利も持っていない。
なぜなら、そこに最初に住み着いたのはインディアンだからだ。
最初に住み着いたものが他のものを追い出せるのだ。
ただし、そこで狩りをしたり、旅の途中で通り抜ける場合は話が別である。
というのも、大地はたくさんの役に立つからだ。
しかし、いったんキャンプが張られれば、地面の上に敷物や毛皮を広げて座った者が
その地を所有する権利を持つことになる。彼がその地を去るまで。





族長レッド・クラウド(オグララ・スー族)

(1822−1909)

ダコタの人々よ、よく聞け。
ワシントンにいる白人の長が我々に使者をよこし、我々の狩り場を通らせて欲しいといってきた。
人の噂では、彼らが我々の土地を通るのは、彼らがそこに留まるのではなく、
さらに西へ行って金を探すためだと言っていた。
その舌の根もかわかぬうちに、白人の長は我々の土地に砦を建てた。
ダコタの人々よ、私は戦うつもりだ。





族長シッティング・ブル(ダコタ族・ハンクパパ)

(1831−1890)
メディシン・マン

ブラック・ヒルは我々のものだ。

白人がいつ条約を尊重したというのだ?そんなことは一度もなかった。
白人は我々と条約を取り交わした後に、それを守ったことがあっただろうか?一度もなかった。
私が子供の頃は、太陽はスー族の土地から昇り、スー族の土地に沈んでいった。
いま、我々の土地はどこにあるのだろう?だれが我々の土地をしょゆうしているのだろうか。
戦士たちはどこへ行ってしまったのだろう?だれがあの戦士たちを虐殺してしまったのか。
土地やわずかな金を我々が白人から盗んだ、などといえる白人がいるか?いるはずがない。
それなのに、白人はインディアンが白人の土地を奪った盗人だと言っているというではないか。

私が悪いのは、肌が赤いからか?
私がスー族だからか?
父親が生まれた土地で私が生まれたからか?
ラコタの土地のために死ぬ覚悟ができているからか?


ブラック・ヒル






族長クレージー・ホース(オグララ・スー族)

この写真は偽物であるとの見方もあります

白人たちよ。いったい誰がおまえたちにここに来るように頼んだというのだ。
偉大なる精霊は我々にここで生きるようにこの国をくれたのだ。
お前たちにはお前たちの土地があるではないか。
お前たちが来たからといって我々はお前たちの邪魔はしない。
偉大なる精霊は我々に広大な土地を与えてくれている。
そこには、バッファローやカモシカや、シカなどが住み、他にも様々な動物たちが生きていた。
しかし、お前たちがやってきて全てを奪った。
いま、お前たちは生きるために働けばよいではないかという。
しかし、偉大なる精霊は働かせるために我々をつくったのではない。
狩りをして生きよといってつくったのだ。
お前たち白人は働きたければ働けばよい。我々はけっしてお前たちの邪魔はしない。
しかし、また新たに、お前たちは我々になぜ文明化しないのだと言ってきた。
我々はお前たちのような文明を望まない。
我々は我々の父や祖父たちが生きてきたとおりに生きたいのだ。


「ダコタの勇者よついて来い、冥土の旅には良い日だぜ」


我々望んでいたのは平穏な暮らしと、放っておかれることだけだった。


ラコタ族の英雄。白人文化を拒否、最後まで写真を拒んだ・・
仲間の裏切りに会って死ぬ。1977年9月5日、まだ30歳だった。
彼は勇ましくて、心が清く、聡明だった。
一人でいることが多く、いつも物思いにふけっていた。
彼が欲したことはただひとつ、仲間を救うことだった。
彼が戦ったのは白人が土地に入り込んで、仲間を殺そうとしたときだけだった。
白人は彼を戦場で殺すことはできなかった。嘘をついて、だまし討ちするしかなかったのだ。

スポテッド・テイルは叔父にあたる。
白人には適わないことを悟り自分たちの運命を見た叔父は、部族内から軟弱と非難されつつも終始外交に
徹した。
レッド・クラウドや叔父のスポテッド・テイルその他の連中と一緒にワシントンに出かけて
そこにいるグレート・ファーザー(大統領)に会ってくれと白人が頼みにきたことがあった。
が、クレージー・ホースは応じなかった。
ワシチュー(白人)たちに、そんなグレート・ファーザーになど会う必要はないと言った。
「グレート・ファザーなら俺と一緒にいる。
グレート・スピリットと俺との間に、どんなグレート・ファーザーもいるわけはない」と・・・





族長ブラック・エルク(オグララ・スー族)
1931年頃

こういうことを私は知っている。
ヴィジョンが真実で力強いものであったならば、それは現実にも真実であり、力強いものだ。
ヴィジョンは霊によって作りだされる。
それは人間が失われた眼を持って、暗闇の中に見るものなのだ。

1932年
我々は昔、自分の土地で幸せに暮らしていた。
さほど腹を空かせることもなく、みないっしょに親戚のように満ち足りて暮らしていたんだ。
ところが、白人たちがやってきた。彼らはいくつもの狭い土地に我々を押し込めた。
4本の足で歩く者たちも、別の狭い場所へ追いやった。土地は今もどんどん狭くなっていく。
大地を削りながら流れる洪水のように、白い連中が押し寄せてくるからだ。
その水は、嘘と欲で濁りきっている。





ルーサー・スタンディング・ベア(スー族)


1933年頃

じっと座り、それを楽しむよう教わることから、子供たちの訓練は始まった。
匂いを嗅ぎ分けること、見えそうにないものを見ること、
静まり返った中で聞き逃してしまいそうな音を聞く事・・・
じっと座っていられない子供は、半分しか成長していない。





族長リトル・クロウ(オグララ・スー族)


白人はイナゴのようなものだ、それが空を飛べば雪嵐のように空を覆う。
自分たちは今のバッファローのようなものだ(風前の灯)
闘って少しくらいの白人を殺したところで、彼らは後から後からやってくる。
その度に我々は数が減るだけだ。

そんな平和主義の彼が、同じ部族の若者が白人に絡んだことがきっかけで
戦いを余儀なくされた。いづれ行く末は死と覚悟を決める状況にあったこともある。
それならば、いっそ潔く戦いを選んだというのもあっただろう。
だが、リンカーン大統領の介入で処刑は免れた彼はいったんカナダに逃れた。
しかし、翌年の夏ミネソタに舞い戻り、果樹を採集しているところを背中から撃たれる。
彼を殺した人間は懸賞金500ドルをもって、その功績を称えられた。
その死体は町の中央に度重なる家族の返還の願いも聞き入れられず、
春がきて氷がとけ死臭が漂うまでさらされつづけたという。

(2004年12月記)



10.言葉




※このページの内容に一部書籍からの引用があります。
それらの資料は「12.その他」にて紹介させていただいてます。
尚、他サイトからの転写はありません。




vol.15