1996年 ミラノ

第1回 1996年12月11日

予習なし
旅行の申し込みが終わると同時に、私の中では‘イメトレ’‘シュミレーション’が始まる。
いよいよ出発が近くなるとまずは‘カバンをだす’である。
カバンを出すとそれまでのイメトレが、具体的に着る服や靴といった持ち物に変わるのだ。
真っ先に用意するのがカメラとフィルム、フィルムは1日1本の割合いで持つことにしている。
そして旅行用に使っているサイフ(日本円用と現地通貨用の2個)地図、胃腸薬、水、傘。
ここまではいつものお決まりである。あとは、行き先に応じて考えることにしている。

旅行に行こう!と思うからには多少なりともその国に興味があるとか、
見たいお目当てのものがあるとかしない限り、なかなか大枚はたいておいそれとは行けない。
そう何度も行けるものでもないし、行くからには見逃しのないように計画をたてて、その為にもサラッとでも一応
「予習」はするように・・・・・したほうがいいですよね。
そりゃあ、イタリアには行きたいと思っていました。
ルネサンス文化、ローマ帝国・・・ベンハー、イタリア絵画、芸術、トスカーナのワイン・・・
知っているのはこれくらいなもので、それ以外の予備知識ゼロ!
名づけて‘みて感じる旅’は始まったのです。

今回も、Cさん(1995年香港参照)といっしょである。
ふたりともイタリアは初めて、ヨーロッパが初めて。
Cさんはどんなことを考えに秘めていたのだろうか・・・


いきなりワインかよ!
アリタリア航空のスチュワーデスさんはイタリア人(生で見たのもしかしたらはじめてかも)でアダルトであまりに
セクシーだったもので、
「HAVE YOU SOMTHING DRINK?」に、つい、「VINO!BIANCO!」(白ワイン)といっちまっただよ。
昼まっから酒だなんて・・・(あえて誤解のないように言いますが、本当は明るいうちは飲まない)見ると、
一応CANTIだったので調子に乗っておかわりはするは、ROSSO(赤ワイン)も飲むわで、すっかりいい気分。
もうオヤジ状態。
このオヤジ手の指を痛めており力が入らなくて、キャップ(機内は小瓶なので仕方ないが、
基本的にワインはコルクに拘る私です)が開けられずCさんに開けてもらってた。そこまでして飲む私って・・・。


ミラノ マルペンサ空港
12月だったのでセンスのいい飾りつけのツリーでいっぱい。さすがイタリア、電話ボックスまでかわいい。
飲んだくれのオヤジはかわいいからといって写真まで撮っていた。


まだ飲むオヤジ
ホテルに着いて落ち着く間もなく、日本にはがきを出そうと考えていた私は(行った都市ごとからメールを
出すようにしている)
「ワインと何か食べるものを買いに行こう」とCさんを誘いだした。

Cさんと夜の道にでて、歩道を歩いてるはずなのに、やけにクラクションを鳴らされた。
とにかく暗くて街灯もなくて、明かりはポツポツ開いてる商店の照明のみ。とにかく暗かった。
もう既にほとんどの商店は閉まっていて明かりが点いてる所へ行いこうと横断を試みた。
これがあっぶないのなんのって。そこはカーブになっていて横断歩道なし、信号機なし、おまけにやたらと暗い。
渡ろうと道にでると車が猛スピードでカーブを曲がってやってくる。それは一瞬の出来事なのだ。
名づけて‘ミラノ魔のカーブ’

ほどなくBAR(バール)発見。当時イタリア語の話せない私「CANTI 、トスカーナ?」店主「si」
私、思いっきり日本語で「開けて〜」と言ってコルクを回すゼスチャーをしてみせた。
めでたく‘初トスカーナ産キャンティ’を手に入れる。楽勝だ。オヤジ同士、言葉はいらない(笑)

次に行ったのがパン店である。店内には明日の朝食の調達なのだろう、2,3人のお客さんがいた。
「こんばんは」とこれまた思いっきり日本語で店内へ。
美味しそうなパンがズラーリ並んでいる。適当に店のお姉ちゃんに2つ(大きい)ほどみつくろってもらう。

果物や発見。小ぶりで赤に近い濃いオレンジ色のみかん。たべてみたーい。おいしそう♪
店主のおやっさんは「量り売りだ、何グラム欲しいんだ?」と言っていた(そこはオヤジ同士不思議に解るもんだ)
「そんなたくさんはいらない、おやっさん適当にみつくろってくれ!」
これも通じた。ここでもオヤジ同士に言葉はいらないのだ。

 果物店の店先


部屋に戻って収穫を食べて飲んで食べて・・・おいしかったよー、パンもみかんも。
このあとイタリアでこれ以上美味しいパンには出会わなかったのでした・・・。




イタリア滞在2日目

朝、道に出てビックリ!
昨夜、歩道だと思って堂々と歩いてた道は、なんと!車道だった。
車道の真ん中を堂々と歩いて、クラクション鳴らされてたわけだ。ガーン!
凄くね?車に轢かれなかったなんて。


最後の晩餐 (別紙参照)
SANTA MARIA DELLA GRAZIE教会。(1465〜1490)
レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「最後の晩餐」がある。

ふーん、ミラノにあったんだあ。ぐらいの調子で見に行く。もともと教会の食堂の壁画としてレオナルドは
依頼されたらしく、見上げる格好でその絵はあった。当初描かれてあった足元は、後年塗り潰されてしまっている。
「かなりボロボロねえ・・・」「どの人がユダだっけな?」いくらがんばっても思い出せない。
というかあまりに傷みが激しくて顔もぼやけてしまっている。早急に修復しないと輪郭すらなくなりそうだった。


DUOMO
PLAZZA DEL DUOMO (1386)イタリアに限らず中世の街並みには‘広場’がつきものだ。
広場の設計も建築家が手がけるほど市民にとって重要な位置をしめている。ここはミラノ市の中心。

 無数の尖塔を持つミラノドゥオモ


広場にはDUOMO(ドゥオモ)がある。というかDUOMOの前が広場になっているというべきだろう。
「DUOMO、って何?」たしか大聖堂のこと。「この教会の名前?」違う、違うDUOMOは各街にあるから、
これは‘ミラノのDUOMO’だ・・・なんてことを自問自答しながら見学は進む。

内部に入る。思えばこれだけ壮大な教会建築をまともに見るのも初めてだ。まず、内部のステンドグラスの
素晴らしさに感激した。

祭壇の上部に十字架が吊るされている。
その中央が赤く光っている。そこにキリストがかけた十字架三つのうちの一つが収められているという。
生々しく現実味をおびてくる。(これは私の記憶だけですので、もしかしたらキリストの骨だったかもしれない・・・)
それもそのはず、ミラノDUOMOは世界三大DUOMOのひとつなのである。
  1.サンピエトロ(バチカン) 2.セントポール(ロンドン) 3.ミラノ(イタリア)


幸せとひきかえに
GALLERIA VITTORIO EMANUELEU(1877)
DUOMOからスカラ座までアーケードになっている。天井は全面ガラス張り。
このアーケードの床タイルは様々な模様のモザイクになっている。
その中に牡牛の模様が一箇所だけあって、これを踏んでクルリと一回転すると「幸せになる」というのだ。
「だったら見つけるしかないでしょう!」と、・・・みつけた。
そこにはイタリア人の先客がいた。まわり方をみてたら、そのお兄さんはかかとで器用に3回もクルクルまわった。
お兄さんは「ほら、やってみろ」とでもいいたげに催促する。
「でも・・・今の見たら恥ずかしいよー・・・」しかし、ここでひるんでいては幸せになれない。
「キャー恥ずかしい!」と思いながらも1回転。
あんなにがんばったのに、まだ幸せになってないような気がします・・・

 アーケード内(写真はパンフレットから)


ダ・ヴィンチとその弟子
アーケードを抜けるとダ・ヴィンチとその弟子たちの像がある。その向かいはスカラ座。


たぶん・お城と門
CASTELLO SFORZESCO (1451〜1466)
ARCO DELLA PACE E PARCO (1807)
雨が降ってきた。

ミラノ風カツレツ  
昼食はミラノ名物‘ミラノ風カツレツ’である。本当の名前があるはずなんだけど、それは忘れました。
ウスッペラいとんかつ、といったところでしょうか。
私としてはミラノでリゾットが食べたかった・・・サフランの・・・


この後、途中ヴェローナに寄ってヴェニスに向かう。



1996年12月ミラノ完


ヴェローナにつづく


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vol.53