太極拳in香港(1)

1998年9月27日(日)

日本で・・・  
1997年12月14日勝手に弟子入りした師父に会うために、私は出来る限りの準備を進めていた。
しかし、如何せん師父が何の‘套路’をしていたかが分からない・・・これでは予習のしようがない。
困った。師父の年齢からして制定拳ではなさそうだ。
伝統拳にしぼって、ビデオを買って検討してみることにした。孫式・・・いや違う。
陳式・・・本で読んでみると違うようだ。呉式・・・これも読んだ限りでは違うようだ・・・どれも違う。
今、教室で勉強している制定拳88式に似ているような気もするので、もしかしたら楊式なのでは・・・と思ったが、
ビデオで見た楊式は柔らかすぎて師父の‘力強さ’は感じられない。
記憶に残っている師父の動きはどれにも当てはまらなかった。心底困った。相談できる人もいない。
行き詰った私は、とりあえず教室で教わる制定拳88式に取り組んでいた。
ようやく一段終わったところで、目新しい動きは加わっていない。このことにも私はイラついていた。
そんな毎日を送りながらも、師父のことは思い返さない日はなかった。
焦点は師父の動きである。思い出せる範囲で繰り返しなぞってみたりもしていた・・・
・・・あの動きはなんだろう(套路名)・・・?
一刻も早く行かないと、高齢の師父だから二度と会えなくなるやも知れない。私は焦っていた。
「前回から何も進歩してないし、またこの前と同じだけど、とりあえず行って習ったほうが早いのでは・・・」と思い、
結局なんの準備も出来ないまま、師父の年齢優先で香港に向うことに決めたのでした。
アポイントなしである。以前会った所にいるかどうかもわからない。
でも、太極拳を日課としている人は同じ時間、同じ場所にいるはず。という確信が私にはあった。
「大丈夫、絶対会える。あの場所にいるはず」と・・・。

広東語
言葉はどうするか?私はこれまでのらりくらりと中国語(北京語)を勉強していた。
もう、かれこれ4年半になろうとしている。弁解する気はないが、遅々として進まない。
初めの1年間はマジメに毎日決まった時間に本を開いて勉強した。
発音の基礎から退屈だったがみっちり勉強した。発音だけに3ヶ月もかけた。
このことは今になってみると正解だったと感じている。なぜなら発音は中国語の命なのだ。
それに日本語にない発音がいくつもあるのだ。その後短い会話にはいった。
以前も書いたように日本で中国語を話す機会はない。
周りに中国人はいないし、中国人の知り合いもいない、たまに接する機会があったとしても
日本語が堪能な中国人だったりして私の出番はない。
それでも、1年間の勉強が減らないように、中国語を耳にだけはしていた。
1997年二度目の中国行きがやってきた。
この時は自分が思っていた以上に聞こえてきたのに心底驚いた。こんなに聞き取れるとは・・・
いったい私ってばどうしちゃったっていうの?自分に驚いてしまった。
果敢に話すこともした。ひとりごとじゃなくて相手がいるなんて初めての経験なので、通じようが通じまいが、
とにかく話せることが嬉しかった。
それで通じれば「えっ?わかったの?」と通じたことにまた驚いていた(笑)
何年も一人で勉強するより、一日中国にいたほうが何倍も言葉の勉強になるものです。
でも、行って勉強になるためには、そのための下地がなければならない。
なんの知識もなくて行っても、やはり勉強にはならないだろう。
私はこれから先もひとりで中国に行くことになるだろう。
日本で話す必要はないが、ひとりごとの勉強は必要なのである。

1997年師父に会って、北京語が通じなくても、書く事で広東語の難題もクリアできた。
本当に中国語を勉強していてよかった、と思った。
逆に言えばこの出会いは既に決まっていて、その為の布石として北京語を勉強する運命にあったのかもしれない・・・
これで広東語も話せれば言うことないのだが、そこまでの準備はできなかった。
今回も、師父とは北京語筆談という形でコミュニケーションをとろうと考えている。
私は広東語文章も勉強したので広東語も交えて筆談ができそうだし、あいさつ程度なら話すこともできるので、
北京語中心であとはチャンポンで試みようと思っていた。

再会
AM5:30起床、AM6:30公園到着。ホテルから公園まで思いのほか時間がかかった。
15分はみないといけない。真っ先に師父の廊下に向かうが、この1年間の間に行き方がわからなくなっていた。
「確か、ここの階段を上がると池に出たはず・・・アレッ?違った・・・」
「確かこの廊下の反対のはず・・・アレッ?また違った・・・」と廊下をグルグル廻ってしまった。
時間が過ぎているのでは、と今度は走った。
ようやく辿り着いたが、そこには師父の姿はない。場所はここで間違いないはず。
「今日は日曜日だから・・・?」「場所を移ったのだろうか・・・?」と思い、少しあたりを探してみた。
もう一周廊下を廻ったが見当たらないので戻ってみたら師父の姿があった。
「師父だ。」私の到着時間が微妙に早かったらしい。
師父は着いたばかりのようで、女の人と準備をしているところだった。

意気揚々(嬉しさのあまり)声をかけようと突進する私に気づいた師父は怪訝そうにこちらをみていた。
「わたし、わたし」と自分を指さしながら小走りで近づく私を、師父は思いだしたらしく、
いつものように静かに頷いて顔をほころばせた。
私がホッとするのと、師父の前に到着するのと同時だった。
そして、傍らの女性に「日本から前にも来たあの人だよ・・・」とかなんとか説明していたようだ。
それから私に「My wife」と女性の方を紹介してくれ、奥さんには私の事を「My friend」と紹介してくれた。
‘友達’と紹介されて恐縮しながらも、奥さんと握手して挨拶を交わした。
奥さんは太極拳をしない人で、別の場所にお仲間がいるらしく行ってしまわれた。
私は師父に改めて挨拶した。「日本から来ました。あなたに会えてとてもうれしいです。
お久しぶりです!」昨年撮った(ほとんど隠し撮りにちかい)写真を3枚ほど持っていたので、
それを見せたらとっても喜んでくれた。
本当は、私のことを覚えていなかったときの最終兵器として持っていった写真なのだが。
あるいは、ここにいなかった時の捜索用として持っていったものだったが。
とにかく快く受け取ってもらった。

今回は、「写真を撮ってもいいですか?」と伺ったら、これまた快く応じてくれた。
今日は時間がないので写真だけ撮って帰ろうと思っていたので、そのことを言うと師父は早速披露してくれた。
シャッターを押すたび「Thank you」と言う師父。カチャ「Thank you」やっぱり凄い、必ずマスターしたい動きだ。
師父は「Thank you」と何度も言いながら披露してくれたのでした。

「何時に始めて、何時までいますか?」と聞く私に「6:40〜8:30」と詳細に答えてくれた。
師父は私に「何日間滞在するのか?」と。「Three・・・」と聞こえたので私が早合点して
「そうです。9月26日から9月30日までです」と答えたら「3ヶ月じゃなくて、たったの3日か!」と。
師父はてっきり3ヶ月のつもりで聞いたのに、「そうです」なんて私が答えてしまったものだから
喜んでいたら、実は3日間だったから、意外だったというわけだ。
師父の英語はわからん・・・3つながりの勘違い。

とにかく、今日のところは「聴日見!」(広東語で‘またあした!’という意味)というわけで、あした6:40ね!

日本土産 
実は、師父に日本からお土産を持参してきていた。
私の地元の日本酒、私のお気に入り玄米茶、常滑焼の急須。どれも日本にしかない物に限定した。
来る時も手荷物にして注意して持ってきた。とにかく重い!
もし、会えなくて渡せなかったら日本酒は私が飲むしかない、と考えていた。
重いので、会えてから持ってこようと思って、今日のところは写真だけ持ってきたのだ。
だから明日は、お土産を渡そう!喜んでくれるといいのだが・・・。

ところが、このお土産で、明日とことん手こずるとは、この時思いもしてない私だった・・・


太極拳(2)につづく・・・


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