太極拳in香港(2)
1998年9月28日(月)
修業のはじまり
AM6:00起床。ホテルの朝食は11:00までなので、それまでたっぷり練習ができる。
今日から本腰入れて習うゾー!オー!
AM6:40。師父と朝の短い挨拶をし、早速練習開始。
なかなか手ごわい→tuzi本気で余裕がない→固くなる→なかなか覚えられない。
日本ではこの当時、制定拳88式の2段のはじめまでしか習っていなかった。
師父についていくのに、出来ない動作、苦手な動作がふたつあった。
それは、第二段「肘底垂」と第三段「四斜角」である。
この当時、この名称すら知らなかった訳だから動作が出来なくて当たり前なのだが、
せめて88式が一通り終わっていれば、比較のしようもあっただろう。それすら出来ない状態だった。
とにかく、昨年同様ついていくしかないのだ。皆目わからん私は、体より脳の方が疲れてしまった・・・
覚えよう、マスターしよう、と思うと辛いし焦りもするが、師父といっしょに流れていけばいいのだと、リラックスするように努めた。
できなくても、わからなくても、流れを楽しむのです。
師父の動きの特徴は、とどめの腕を伸ばさない、手のひらを前に向けること、
「海底針」のステップに気をつけること、「将」は後ろに投げずに巻き込むこと・・・などでした。
見たこともない動きに関しては、「剣指」が使われること、3段の最後の「上歩欄雀尾」は
ステップが変化し「掌」のところが「拳」に変化する箇所がある・・・などです。
細かい違いは、数知れず。定式は同じでも、そこまでの攻防の仕方が違うとでもいうか・・・。
それに蹴りが速い!言い表すのが難しいのですが、一から覚えなおしするしかない・・・
私の今の段階では‘比較’して覚えるのが手っ取り早い、とも考えられましたが、
その‘比較’になる‘ベース’が今の私にはないので手も足もでません。
せめて、88式が終わっていれば・・・とまあ、これらの事に気づいただけでも収穫ありでした。
隣の師父を見ながらでないとまだ先にいけませんが、ある程度、套路の順番が見えてきたことで、
私の脳もだいぶ楽になってきましたし、呼吸も落ち着いてきたようです。
師父のリズムも捕らえかけてきましたし・・・
昨年よりは、だいぶ近づいてきたように感じていたのでした。
こうして、1サイクルを通しおえた。楽しいんですけどグッタリです。全身の血を抜かれたような・・・。
必死についていくしかない私に時間の感覚はありませんが、たぶん約20分ほどが1サイクルです。
一方、師父はケロリとしたもので、いつもの穏やかな微笑を私に向けて汗を拭いていました。
師父は小さな声で「ホウ」(‘好’の広東語読み)と言ってました。
休みなしで2回目が始まります。
「勘弁してよー」という気持ちと、「今度こそは!」という気持ちで、臨みます。
やはり同じところでつまづきます。「肘底垂」と「四斜角」です。どうしてもできません。
運動神経のない私には皆目見当もつかない動きにしか見えないのです。
声には出さないけど、「えっ、えっ・・・えっー!にゃにー?」です。
師父だって気がついているでしょうが、私にはなにも言いません。黙って先に進みます。
2サイクル目が終わったところで、師父はグッタリしている私に言いました。
「ひとりでやってごらん、みるから」と。
「ひえー、そんなあ・・・」などとは言えません。私は泣く泣く始めました。
1段目なんとかクリア・・・2段目あーもうだめ「肘底垂」が・・・と、師父がすかさず合流してくれました。
結局最後まで伴走してくれて・・・。
頑固者
この日3回套路を通した。一休みして師父の年齢をきいてる所へ奥さんが戻ってきました。
「もう、帰る時間なのね」と思った私は、持参したお土産を渡そうと、
「日本から持ってきました。少しばかりですが、受け取ってください」と差し出した。
・・・ところが、受け取らないのである。明らかに強い拒絶である。予想外の展開・・・
いつもの穏やかな微笑が消えている・・・なぜなんだ?私の言い方が悪かったのか?
「贈り物です、ほんの気持ちです」何度言ってもガンとして受け取ってもらえない。
「要らない」の一点張りである。・・・なんで?
「悪いがあなたからの贈り物は受け取れない」という。・・・なんで?
私は予想外の展開に面食らっていた。諦めないぞ!とにかく受け取ってもらわないと困るのだ。
「私はこれを日本に持ち帰ることは出来ないのです」とも言ってみた。
「あなたの気持ちはありがたいが、受け取れない、要らない」と言われてしまった。
なんだっつーの!とにかく、つべこべ言わんと受け取ってくれ!
この時、師父の性格が覗えた気がした。年代の開きはあるが、私たちはガンコ者同士みたいだ。
師父が受け取らんのなら、奥さんに渡してしまおう!と近づいたら奥さんにまで逃げられてしまった。
もう!夫婦そろってガンコ者かいっ!?
師父は紙袋を持ったまま面食らって、固まってる私をよそに、奥さんとなにやら短く会話を交わし、
それから向き直って私にこう言った。
「これから妻と朝食を食べに行くんだが、一緒に行くかい?」と。
これもまた予想外の展開である。私の頭の中はにわかに忙しくなった。
師父には聞きたい事がたくさんあったので、ホテルの朝食はどうでもいいから師父と朝食をとりに行こう。
でも、私はいま無一文である。財布はホテルに置きっぱなしだ。困った。
この事を正直に師父に言った。
「一緒に行きたいけど、一銭も持ってきていない。ホテルに置いてきているのです」と。
これを聞いた師父は「ごちそうするから、お金は要らない」と言う。
でも、それじゃああんまりだ。「ホテルに取りに戻るから、申し訳ありませんが30分ほど待っててくれませんか」とお願いしたが、
「いいから、いいから、さあ行こう」と歩きはじめてしまった。
奥さんにも促され、それなら、今日のところはごちそうになって、明日は私がごちそうしよう!と
思いついて行く事にしたのでした。
それにしても、このお土産はどうしてくれるんだ!?重いんだっつーの!
歩きながら「これはお酒ですが嫌いですか?」と聞いてみた。
師父は「嫌いだ」と言ったが、奥さんは「好きだ」という。それを聞いて師父も「好きだ」という。
いったいどっちなんや!とにかく、ここはひとまず私が引いて、ご飯を食べに行こう!
帰りがけに渡せばいいや、と考えていた私でした。
だからずーっと、この重たい紙袋を持ち歩くハメになってしまった。
2対1じゃ勝ち目ないもんね・・・それにしても重いよー(泣)
無一文のtuzi 海を渡る
予想外の展開を心から喜んでいた私だが、無一文は心細い。
母には来る前「人買いにさらわれる」と脅されてもいた。師父の正体は「人買い」か?
どこに朝食を取りに行くのかわからないが、私は興味津々だった。
すぐ近くに食べに行くのかと思いきや、フェリーに乗ろうとしているではないか。
「(もしかして、無一文だってこと伝わってなかったの?)」と思い、再度念を押してみた。
師父は「わかってるから」とずんずん先に行ってしまう。
「(なにも、朝食とるのにそんなに遠くまで行かなくたって・・・)」
「(香港島側に自宅があるのかしら?)」「(向こうで放されたら、私どうしよう・・・泳げないし・・・
フェリーのヒッチハイクするしかないの?)」いろんなシチュエーションが頭を駆け巡った。
師父に「香港島に住んでいるのですか?」と聞いてみた。答えは「違う」だった。
だったら、なんでわざわざ渡るんだよ!あたしゃ、向こうの空気があわないんだっつーの!
こんな私の心配が顔に表れていたのか「大丈夫。ちゃんと九龍に戻るから」と言う。
もう、奥さんなんか私と腕をくんで離さないようにしていた・・・「(やっぱり、人買いかしら・・・)」
「(もう、いいや。放されようが、売られようが、好きにしてくれい・・・)」と私は観念していた。
こういう諦めはやたら早いのである。
フェリーの中での会話。
師父は私に「メモ用紙を」と催促した。すると住所を書いてくれたのだ。
聞きたかったけど遠慮していたので本当に嬉しかった。その住所は九龍側、地下鉄沿線だった。
私からの質問「香港人ですか?」「いや、中国人だ。だが、香港に住んで50年になる。」
「中国語は・・・?(昨年は話せないと言っていたが)」「できない」
勤めていた香港島にある宝飾店を、今年退職した。現在77歳。ということだった。
師父の生活スタイルが少しずつ明るみに。
毎日、地下鉄で公園までやってきて、運動して着替えてから香港島に渡って朝食をとる。
それから仕事に行く。
毎日同じ時間の地下鉄に乗るから6:40分という半端な時間の待ち合わせになったのだ。
なるほど・・・
退職後も同じルートで朝食をとりにいっている。筋金入りのガンコ者と思われる。
しかも今日は日曜日もだった・・・
師父の怒った顔は想像できないし、私に対してはいつも穏やかな微笑みだけを向けているような人である。
だけど、その内面はかなりガンコなんだろう、と感じていたし人間が固くて律儀な人、という印象も強かった。
「書是人也」という言葉がありますが、「太極拳是人也」でもあります。
諸事全般において人が表現するものには、その人となりが嫌でも表れてしまうものです。
特に、武道においては、精神修養が大きく影響するだけに隠しようがない。
技術でカバーしようとしても、如何せんイヤラシサは漏れてくるものである、隠しようがない。
そこが怖いのである。技術も大事だが、まずは内面、と自分を戒めている次第である・・・
師父の隣で太極拳を一度打てば、私がどういう人間かバレバレになるだろう、ということは覚悟の上だ。
私なんかカバーする技術がないのですから、ノーバリア状態ですしね。
師父は、移動中自分が食べようとしているメニューをメモに書いて、「これでいいか?」と私に聞いてきた。
見ると、鳥肉料理なので「私は肉は食べません」と伝えた。
「そうか、そうか」と頷く師父。
今度は「何を飲む?」と聞いてくる。「お茶を」と答えた。
細やかな心遣いは嬉しいが、気が早すぎるのでは・・・?
これも、師父の人となりである。
胃弱
師父は気も早いが、歩くのも早い。
途中、郵便局内を通って近道した。先頭になって歩きながら、時折振り返っては後ろをついて来る私を気にかけていた。
後ろのガードは奥さんがしている・・・守りは固い。
師父はちょっとした段差でも、そのつど振り返っては私の足元を注意していた。
「(私は大丈夫だから、あなたは前見て歩って!)」
こんな紳士的な師父を頼もしく感じていた。
到着したお店は、どう見ても‘日本人第1号’は私、といった所だった。
私を連れた師父に店内にいたお客から質問があびせられた。
「この人誰?」その度に師父は答えた。「My friend」
私は質問の主にニッコリを繰り返す。こっちにニッコリ、あっちにニッコリ・・・「どこのひと?」とも聞かれていた。
「日本人」と師父が答えると、「おおーっ」と、どよめきが起こった。
でも、みんな人の好い人たちで、「コンニチハ」とか「サヨナラ」といった片言日本語を披露してくれたりもした。
気分は香港デビュー。
そこは、self serviceで、周りを見渡すと麺あり、トーストありといった店。
日本でいうfast food店ですね。
日本でいう若者が食べるような、またよくこんな栄養なさそうな朝食を毎日食べられるもんだ、と呆れ、
それをまた、こんな遠くまでわざわざ毎日来るもんだと内心思っていた私。
師父は、鶏肉(私には赤いハムにしか見えへん)がのっかった汁少なめ、生煮えのラーメン(スープスパみたいな)を
美味しそうに食べている。
「(それ、インスタント麺やんか!)」と、突っ込みを入れたくなるような・・・どうも見ても美味しそうには見えない。
でも、これが好きなのね・・・。
私にあてがってくれたのは、汁たっぷり麺だった。
「(やっぱ、インスタント麺やんか!)」それに固い!「(もっと茹でてくれよ)」
次に師父の味覚で驚いたのが、ココアである。
生ぬるいココアに砂糖をたっぷり入れて嬉しそうに飲んでいる。体に悪そう・・・
私にあてがってくれたのは、レモンティーだった。これはvery good tasteだった。
「こうすると美味しいんだ」と、師父はレモンをストローでギュッ、ギュッと押し込んでくれた。
レモンが美味しいのかも知れない。
このあとも、香港でよくレモンティーを飲んだが、どこのもみんな美味しかった。
ここで私は「ハッ」とした。もしや、このレモンティーは‘生水’ではなかろうか・・・と。
怖くなった私は、美味しかったにもかかわらず、「冷たいのはお腹をこわすので」とことわって飲むのをやめた。
・・・と今度は師父が責任感じて別のを注文してくれたのだ。
次に私にあてがわれたのは、暖かいスープだった。別にお気遣いなく・・・せっかくだから一口。
「辛ーい!・・・でもおいしいです」私は無理して飲み続けた・・・私ってつくづくわがままね。
この様子を見ていたお店の人に師父は「だから、言ったじゃないのよ!
冷たいものや、辛いものは体に悪いでしょ!この人体が弱いのよ!」とでも言われたのでしょうか。
師父はすっかりしょげてしまったのでした。
私は別にどこも悪くはないのですが、以来‘胃弱’というレッテルを貼られてしまったのでした(笑)
冷たいやら、辛いやら・・・ 思い出の店内で
ここのお店には、以来師父といっしょに行ってません。
いつか、またいっしょに行ってみたいものです・・・
香港デビューキャンペーン
帰りは地下鉄で九龍に戻るようです。
地下鉄の駅に向かう途中、師父が勤めていた宝飾店の前を通って見せてくれた。
師父の正体は金細工師?
この界隈には師父の知り合いが多くて、歩きながら何度も朝の挨拶が交わされた。
その度に傍らにいる私の事が聞かれることになるのだ。
「この人誰?」「日本から来た友達だ」やっぱり私のニッコリが繰り返されることに・・・。
香港デビューキャンペーン実施中!の気分である。
おかげでこの日、広東語の「おはようございます」の発音を完璧にマスターした私でした(笑)
師父は反応が機敏というか、とにかく回転の早い人である。
地下鉄の中で、私は職業を聞かれた。というか、学生か?社会人か?と聞かれたのであるが。
「私は学生ではありません」「社会人だな?」「そうです」
「職業はなんだ?」「学校の・・・」「学生じゃないか!」
私の話を最後まで聞けっちゅうに!「学校の講師です」「OH!Teacher!」
そんな、たいそうなもんじゃないが「そうです(そんなもんです)」こんな調子である。
(本業は違うけど説明が面倒なので・・・日本にいても本業の説明は面倒クサイので、つい副業の方を言ってしまう)
お土産事件再び・・・
師父の降りる駅は先にあるので、ずーっと持ち歩いていたお土産を渡して降りようとしたら、
わざわざ、途中下車してくれた。「いいよー、ひとりで帰れるから」と止める間もなかった。
とにかく素早いんだから。駅の出口まで送ってくれて、丁寧に道を指差してくれる。
「(わかってるっちゅうに!)」「これ、持って行ってね」と紙袋を差し出す。
てっきり今度こそは受け取ってもらえると思っていた・・・ところが!逃げたのである!
「にゃにー!」私はあとを追いかけた。まるで逃亡犯を追う刑事だ。
紙袋を押し付け、「なんで、なんで、えーなんで?なんでなの?」
日本語で連呼する私。逃げる夫婦。奥さんなんか手をドラえもんにして受け取らない。
そこまでしなくても・・・結局、改札をくぐられ逃げられてしまったのでした・・・
「そんなあ・・・よーし、また明日リベンジだ!」
今日は逃げられてしまったが、気持ちを切り替えて、ホテルに帰って朝食を取りなおしたのでした。
太極拳(3)につづく・・・
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vol.5
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