太極拳in香港(3)
1998年9月29日(火)
師父の指導
懲りずに今日も土産を手に廊下へ。
「(また持ってきたな)」とチラリと見られたが、まずは太極拳に専念。
やっぱり、「肘底垂」と「四斜角」がうまくいかない。
さすがに師父、私の弱いところを突いてくる。集中して徹底的に指導された。
それでも出来ない。あっというまに2時間が過ぎてしまった。時間が欲しいなあ・・・
私は、師父を見なくても出来るところは‘進行方向’だけに視線を定めて動いていた。
でも、師父はいっしょに動きながらも私の動きが見えるらしい。
自分で「(うまくいった!)」と思ったところでは、「ホウ」と必ず声がかかった。
うまくいかないところだけは、一通り終えてから、何度も繰り返された。
私が言わなくても、師父は苦手な箇所を完璧に掴んでおられた。
私のできない箇所を徹底的に攻めてきた。
公園には師父の友人がたくさんいて、遠巻きに私の‘四苦八苦’ぶりを見ている。
すぐ横を「おはよう」と言いながら通り過ぎる人もたくさんいる。
私たちの、この奇妙な指導光景を「がんばれよ!」と応援してくれる人もいた。
ある人は師父のことを「ここでNO1だ!だからあんたもNO1だ!」といって親指を立てた人もいた。
・・・この練習場とも今日でしばしお別れである。私は無性に寂しくなっていた。
運動が終わると、遠巻きに見ていた師父の友人がやってきて、「いつまでいるんだ?」と聞かれたときは、
「明日帰る」と言うのが心苦しかった。
師父をとりまく公園のみなさんと顔見知りになっていた私は、次回はもう少し長く滞在できる計画で来ようと
心に誓ったのでした。
困った人、師父
稽古途中だが、朝食の時間がきた。練習は終わりである。
「いっしょに朝食に行こう」「ハイわかりました。お土産はあなたが持ってってね」
今度はすんなり受け取ってもらいました。昨晩、家族会議で承認されたのでしょう。
師父は何度も、「お土産はいらないから、持って来るな」と繰り返した。
「こんなにたくさんの贈り物ありがとう」とも・・・とんでもないっす。
「本当に少しばかりだから、遠慮はいらないです」と私も繰り返した。
すんなり受け取ってもらって、ホッとしていたところへ、さりげなく赤い封筒を渡された。
「(?)」何気なく受け取って中を見たらお金だ!しかも、100香港ドル。
「(エッ!こんなに!)」「だめだ!受け取れない!」今度は立場が逆転した。
私は手を丸めてドラえもんになった。師父はどうしても受け取れと言ってきかない。
「だめだ!要らない!」奥さんは私のカバンに勝手に入れようとしていた。
「ヤメテー!ダメ、ダメ!」を連呼しカバンを抱きかかえて逃げる私。
こんなことまで昨晩の家族会議で決めたことなんだろう・・・本当に困った人たちだ・・・
ついに、奥さんが「もらわないと、終わらないわよ」とささやいた。
そうだった・・・筋金入りのガンコ者には勝てないってか。このままじゃイタチごっこになりかねない。
この場は預かることにした。なんだって、一難さってまた一難だよ・・・。困った人だ。
師父に渡された封筒(実物)
亀
日本の仕事で付き合いのある人が、以前香港の公園で‘亀がウヨウヨいる池がある’と言っていたのを思い出した。
そう言った人があんまりすごそうに言ってたものだから、なんだか興味があったのだ。
師父に「亀が見たいんだけど」と言ってみた。だけど師父も奥さんも心当たりがなさそうである。
まじめ人間だから寄り道などしたことがなのだろう。亀のありかなど知らないのかも。
でも、まじめ人間だから近くにいた人に亀を聞いたりしていたのです。エッ、そこまでしなくても・・・
探し当てた‘亀の池’には5、6匹しかいないではないか・・・
「(ほんとにこの池なの?)」
でも、「カメ、カメ・・・」と喜ぶ私を不思議そうに眺める師父夫婦・・・。
きっと「日本にはカメがいないのね・・・」と思っていたのかもしれない。
はやとちり第2弾
昨日は無一文だったので、何から何まで世話をかけてしまった。
今日は大丈夫!お返しに今日は私がご馳走する気でいたから財布も持ってきている。
「今日はお粥を食べに行きませんか?」と言ってみた。
気の早い師父は「なに粥が食べたいんだ?」と聞いてきた。
「(またかよー、ここで決めなくたって・・)」と思いながらも、「魚粥!」と適当に答えた。
すると、師父が悩みはじめたのである。どうやら昨日の店に粥はないらしい。
近くを通った兄ちゃんに「粥店はないか?」と聞いている。エッ、そこまでしなくても・・・
「(兄ちゃんにはわからないでしょう?)」と思っていたら案の定わからなかった。
せっかちな師父はいきなりfast food店(若者のたまり場)に入ってしまった。
「(こんな、ロッテリアみたいなとこに粥はないよ!)」案の定なかった。
私が思うに、、師父は私に気をつかってくれていて、若者好みを探してくれているのだと思った。
そりゃあ、私は師父よりずっと若者だけど・・・でも私はただ普通に粥が食べたいだけ。
困ってる師父に私は言った。「私は粥店を知ってます、行きませんか?」
私も師父を悩ませずに初めから言えばよかったのです。
師父夫婦は粥店探しから解放されて安堵してたのでした・・・。
「実は、私が泊まってるホテルの・・・」「ホテルだってー!?」
だから、私の話を最後まで聞けっちゅうに!「私が泊まってるホテルの・・向かいにあるんです」
私も大概、はやとちりだけど、ここまで気が早くない。
おまけに師父はメニューも決めていかないと落ち着かないみたいだし・・・。
しかしこれには爆笑した・・・。
曲がり角に迷うようなことがあったら看板を目印にする
師父的師父
もう、一般の朝食の時間は終わっているので、店内は空いていた。
お粥に絞っているとはいえそれでも品数が多い。壁をみると日替わりメニューがでていた。
「(今日は火曜日・・・魚のすり身ボール香菜添え粥・・・)」とある。
「私、これにする!」と指さすと「それはいいの見つけたわね」と奥さんもこれに決定した。
さて、師父は・・・注文を取りにきたお姉さんに、あれこれ細かい注文をしている。
出てきたのは、昨日と同じスープスパ麺に赤いハム・・・なにも、ここに来てまで食べなくたってと思いつつ、
ここの方が美味しそうに見えたから許す(笑)
よくよく聞いたら、師父はお粥はあまり好きではないのだそうだ。
「飲み物は何にする?」と言うので、出てるお茶をゆびさした。そうか、そうか、と頷く師父。
食べながら‘太極拳歴’を聞いた。
1950年上海から来た董英傑という人に習った。
董英傑の先生は張三峯という人で、楊式太極拳である、と。
ははあ・・・香港に住んで50年、太極拳習った頃と一致する。
1950年の楊式だなんて幻では・・・? 私が予習した楊式とまるで違っていたし。
当時、董英傑という名前も、張三峯という名前も聞いたことがない私は、
この時「張三峯さんは生きてますか?」なんていう質問を平気でしてたのでした(恥)
このあと日本の書店でどちらの名前も目にすることがあり、顔から火が吹くほど恥ずかしい思いをすることに・・・
(詳しくは2000年香港で)
3対1の攻防
とにかく粥の量が多い。「大盛りですね」というと「慢慢(ゆっくり食べなさい)」と優しい。
でも、自分は食べるのがいきなり早い!
今日は私がご馳走するつもりで、ちゃんとお金も持ってきていた。
勘定書きもしっかり私が押さえて、お会計は私が!と万全を期していた。
ところが!レジに行ったら、「既に勘定はもらっている」と言う。
「そんなはずないでしょ、これ・・・」と勘定書きを出しても、「もう、もらってるから」と。
「(うそお・・・いつのまに、先を越された!迂闊にも、してやられたか・・・)」
昨日も今日もご馳走になるわけにはいかない。太極拳も教えてもらってるのに!
どうあがいても無駄だった。店のお姉さんまでグルでは、勝ち目がない。
お姉さん曰く「ご馳走になんなさい!ならないと却って悪いわよ!」
(このお姉さんは2年後行った時も、この時の事と私のことを覚えていた)
そう、私が勘定したら、年長者の師父に恥かかせることになりかねない、そういうことらしい。
この恩にどう報いたらよいものやら・・・この恩返しは次回へ持ち越しか。
太極拳(4)につづく・・・
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vol.6
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