太極拳in香港(2)

2000年5月30日

香港の夏
5月から6月にかけての香港は湿度も高く、気温も朝から晩までほとんど変わらない。
朝5時半には起きて6時15分にホテルを出る。この時間でも外は30℃以上はある。
むせ返るような熱く重い空気に一瞬「うっ!」となる。
ホテルの中は冷房が効いているので、その温度差は10℃はあるだろう。
私は暑いのが大好きだから、外に出た瞬間「うっ!」となっても、この蒸し暑さに慣れてしまう・・・。

3年の時間に思う
とにかくじっとしていても暑い。ふつふつと汗が体中から吹き出てくる。
なんだっけ?ことわざで、・・・なんとかすれば火もまた涼し、とかいう。あるでしょ?
あんな気持ちになれればこの暑さも涼しく感じるのだろうが、「暑いもんは暑いんじゃー!」
でもこれが心地よいのだ。暑さも太極拳の楽しさには苦にならない。

なんて、暑さに気をとられてる暇はないというのが本当のところである。
チラリと師父をみれば、拳を突き出すと肘から汗がポトリ。
師父は今年80歳になったはず。私も太極拳を始めて早いもので3年が過ぎた。
自分ではさっぱり進歩していないと焦るばっかりで、自分の不甲斐なさに落ち込むばかりの3年だ。
じたばたしてばかりだから、進歩もしていないような気がする・・・
まあ、内容はともかく3年が過ぎて、師父の動きもようやく捉えることが出来るようになってきた。
88式という套路ができるせいか、それと比較して覚えることも可能になった。
師父の套路は楊式なので、別物として捉えるべきだろうが、短時間で頭に叩き込むには88式と
比較して覚える方が手っ取り早い。
3年前、初めて師父の動きを見たとき「これは強い!下手にかかっていったら怪我するぞ!」と
思ったものだった。
実際、動いてみようとしても当時の私には歯が立たなかったし、
今思えばそれでもよくついていったものだと自分のことながら感心してしまう。
2年前に来た時も、ホンの少し套路が分るくらいだったから、師父の動きを捉えるまではいかないし、
ついていくのがやっとだった。(1998年香港参照)

それが今回、見えてきたのだ。かすかに光が・・・。
師父の動きをどうにか捉えることが出来そうだ、と実感した。
もちろん、まだまだ未熟者の私が太極拳歴50年の師父と同じようになれるはずもない。
ただ、いままでは雲を掴むような思いだったのが、そのスピードについていけなかったのが、
今年はスローモーションに見えるようになったのだ。時間とは恐ろしいものである。
ダメだダメだと思っていても今の私は3年前の私ではなくなっていたのだ。

徹底指導
汗でぐっしょりになりながら太極拳をする爽快感はたまらない。
暑いのはいっこうに苦にならない私だが、お腹がすいてきたのには困った。
暑さで体力がだいぶ消耗しているようだ。

ゆっくり2回繰り返して、前回1998年出来なかった「肘底垂」と「四斜角」を重点的に教わる。
私は自分から指導を仰いだことはないが、黙っていても師父は教わりたいヶ所を的確についてくるのだった。
思えば、私は‘穿梭’(せんさ)の動作が太極拳を始めた当初からずっと苦手だった。
‘穿梭’は片方の手で自分の頭を防御し、もう一方の手で相手の胸を押す動作である。
足の開きを十分に取らないと、上半身が捻られて腰を痛めてしまう。
私は腰を痛めた経験があって、その原因がわからずひとりで悩んでいた時期があった。
いろいろ試してみてやっと、「そうか!足の開きだ!」ということに思い当たった。
今でも油断するとすぐ腰を捻ってしまうのだ・・・。
そして「(あー、またやっちまっただよ・・・)」を繰り返している始末なのだ。
だから‘穿梭’は怖いのだ!
師父の「四斜角」(‘穿梭’を4方向に繰り返す動作)は2回目の足を‘跟歩’で寄せるのが特徴的だ。
それに回転も素早い。
足を出す方向と開きに注意して、手の動きも88式とは違うので、徹底的に直された。
「肘底垂」の方は、前回できかけていたのだが、やはり十分とはいえないようで
何度も何度も繰り返し教えてくれた。
師父の目は欺けない。
自分でも「(まずいな)」と思ったところは師父も当然気がついている。逃れようがないのだ・・・。
お腹すいたよー。

最高のプレゼント
師父がよれよれの本を取り出し、私に見せてくれた。
師父が使っていたテキストだった。自分で買ったものだと思う。
1994年北京体育大学から出版された新しい本だが、既に中は滲みだらけで、‘剣’のページだけ黒ずんでいた。
2年前に仕事を引退し、朝の時間に余裕が出来たので‘剣’をはじめると手紙に書いてあったっけ。
習ったのは50年ほど以前だろうが忘れていたのだろう、本を買って復習したのだと思う。
その本をくれるという。「私に?くれるの?もらっていいの?ホントに?」
この本1冊に楊式太極拳の源流から始まって‘発勁’‘運気’‘練勢’全般に渡って網羅されている。
特に16種類もの論勁が載っているのは嬉しい。
私が手にした中国語の太極拳本はこれが初めてだった。何よりのプレゼントです。
大事にします(涙)

‘董英傑’先生のこと
例によって、朝食は香港島にフェリーで渡る気らしい。
「(そんな時間ないでしょう?奥さんは10時までに仕事に行かなくちゃならないんでしょう?)」
もう、8時半を過ぎているのに大丈夫なんだろうか・・・?
私はひとりで時間を気にし、気を揉んでいた。
「(そしかして、香港島側が職場なの?)」

朝食をとりながら師父の師匠‘董英傑’のことを聞いてみた。
日本の書店で偶然‘董英傑’の名前が出てる本を手にし「凄い人だったんだ・・・」ということは分かっていた。
あんぽんたんな私は‘張三峯’がそのまた先生と聞くや「‘張三峯’さんはまだ生きてるんですか?」
などと数年前平気で聞いていたりした。
‘張三峯’はそれこそ宋代末期のともすれば架空の人物になりかねないような存在である。
書店でひとり顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしていたのだ。

「‘董英傑’先生は怖い人でしたか?それとも優しい人でしたか?」と尋ねると、
「全然怖くない。とても優しい先生だった。怒ったのを見たことがない」という。
師父が30代で習った時‘董英傑’先生は50代だったといいます。
上海で‘楊澄甫’に楊式を習い、香港に招かれて教えに来た時、師父は2年間通って習ったといいます。
毎日の練習は朝7時から8時半までで、そのあと仕事に行ってたそうですが、
忙しくなってきて続けられなかったので2年で辞めてしまったが、同時期に‘董英傑’先生も
マカオに教えに行ってしまったのだそうです。
当時、ビルの2フロアに分かれて助手の‘董虎嶺’(‘董英傑’の息子)とふたりで60人ほどの
お弟子さんたちを見ていたそうです。
最後は‘董英傑’先生はタイに行きそこで亡くなったのだそうです。
師父といっしょに習っていた人の中には教室を開いて教えている人もいるそうです。
師父は言います。「私は、健身のために毎日運動をしている。
50年前は仕事が忙しくて教室に通えなくなったが、
太極拳は毎日欠かさなかった。
それに私には仕事があったから人に教えようとは思わなかった」と・・・。
そして、50年ひとりで運動し、仕事に出かける生活がつづいた。
このまま平穏な日々がつづくかと思っていた矢先!私が現われた・・・。

遅刻?
おっと!もう、9時半を過ぎているではないか!
「仕事に間に合わなくなっちゃう。もう、行かなくっちゃ!」と言ったのは私である。
時間が気になって仕方なかった。遅刻してしまうではないか!
でも、奥さんも師父も落ち着いたもので「大丈夫だから」としか言わない。
「(フレックスタイムなの?)」・・・わからん人たちじゃ。

私があんまりうるさく言うからか、ようやく店を出たが既に10時を過ぎている。
今度は師父がのんびり寄り道を始めた。友人のいる宝石商に入っていってしまったのだ。
「ちょっとぉ!」話し込んでいてなかなか出て来ない。「早くぅ!」
それにしても、当の奥さんものんびりしたものだった。私ひとりが焦ってるって感じ。
「(どぉなってんのぉ?香港時間なの?)」ほんと訳わからん私だった。

ようやく師父が出てきたと思ったら向かう先は私のホテルと同じ方向ではないか!
「いいよ!私はひとりで帰れるから!」といってもきかない。
通りの途中で立ち止まり「ここだよ」という。とあるビルに入っていく。
「えっ?私も?入ってもいいの?」ビルには警備というか出入りをチェックしている人がいて、
師父夫婦は顔を見知っているようだった。親しげに挨拶を交わし、私のことも説明してくれた。
「日本から来た友人だ」と・・・。
「(弟子だろっ、弟子だと紹介してくれ!)」と心で叫ぶ。師父は最上階のボタンを押した。
「(なんで奥さんの職場に師父が行くんだ?ていうか私まで・・・?)」
厳重に二重になってる水色の鉄板の扉を我が家の如く開けて入っていく師父。
中は事務所になっていて、若い女性2人と男性1人が机に座って貴金属を扱っていた。
師父はその奥の個室に私を招き、革張りの椅子に腰掛けた。
「社長?」「いやいや、N.Yに住んでいる娘の会社なんだよ」
「なら会長?」「そうじゃないよ、娘の会社なんだ」
ここで加工した貴金属をN.Yに送って商売している、ここは香港支店らしい。
どうりで、ゆっくりしてたわけだ。奥さんは早速経理の仕事に取り掛かっていた。

 早速仕事に取り掛かる奥さん


師父と私が会長室で休んでいると、従業員のお姉ちゃんがやってきて「広東語が話せるの?」と聞いてきた。
「ううん、話せません」と言うと、師父が「書けば通じるよ」と言う。
「北京語が話せるの?」と聞くので「はい、少しだけ」「英語は?」「はい、少しだけ」
「どれも少しなのね」「そう、日本語も少しだけ話せるのよ」と言って笑わせた。

 みんな明るく朗らかな職場


「それにしても驚いたー」と言う私に「何も驚くことないさ、友達じゃないか」と師父。
「(そういうことじゃなくて!)」今日の夕方4時頃迎えに行くから、夕飯をいっしょに食べようと言う。
「ありがとうございます。とても嬉しいです!」と約束して別れた。
奥さんと師父は下まで送ってくれた。「じゃ、またあとで!」(香港5月30日につづく・・・)



旅行記に戻る    太極拳(3)に進む





vol.9