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8.精神性

   円
   ヴィジョンを求める
   ダンス
   音楽
   テントへの招待
   戦い
   族長の条件


「円」
この世の力の行いはすべて、輪を描いてなされる。
空は丸く、地球もすべての星も丸いとか。
風も最大の力をだす時、渦を巻いて吹く。
鳥は丸い巣を作るが、それは鳥たちも私たちと同じものを信じているから。
太陽は天空に円を描いて昇り、そして沈む。
月も同じで、そして太陽も月も丸い。
季節さえも円を描きつつ変化して、いつももとのところに戻ってくる。
人の命もまた子供から子供へとつづく輪。
こうして輪は、世界の力が働くものの内にことごとくめぐっている。

オグララ・スー族、ブラックエルクの言葉より

クラン
‘クラン’とは氏族のことで、生まれた子供は母方のクランに属する。
同族同士の結婚はタブーとされている。
ナヴァホの結婚について話そう。
まず、双方の家族が集まり、経済的な取り決めが交わされる。
花婿側は牛や馬や装飾品や織物など、とにかく彼らがいいと思うものを差し出す。
実際の式は花嫁の家で執り行う。
それでもその家を客を呼ぶにふさわしいものにするため花婿側も努力する。
ときにはちょっとした改装までする。
結婚式には双方の身内が招待される。
花嫁の父親が捧げる祈りによって式が始まり、花嫁と花婿が手を洗う。
それからウエディングバスケットから青いトウモロコシ粉を練ったものを取って、
お互いに食べさせあう儀式が続く。
最初に男が食べさせ、次に女が男に食べさせる。
残ったトウモロコシは花嫁の家族たちが食べ、バスケットは花嫁の母親に与えられる。
式の最後は年寄り達の言葉だ。
この時、年寄り達は新しいカップルとその結びつきについて、思っていること、感じていることを
何でも好きに言っていいことになっている。
式を挙げたあと、新婚カップルは花嫁の両親と暮らすか、
あるいはできるだけ近くに住むことになっている。
そして式の習わしとして、花嫁の両親とともに一夜を過ごす。
花嫁も花婿も4日の間は互いに触れ合うことを許されないのだ。

プナシ
すべてのインディアンの伝統は‘プナシ’(いにしえから続くものの子孫)によって引き継がれる。
子供の頃から伝統を引き継ぐ使命感を心に育ちます。
大人たちは子供に先祖から引き継いだ伝統的な生活様式、知恵、料理・・・を子供たちに教えます。
それはコミュニティへの思いやりのスピリットであり、人々への「与え」の精神だったりするわけです。
また、年老いた者への尊敬や狭い意味でも広い意味でも家族というものを大切にするという
考え方でもあります。

我々インディアンの精神は世代を超えて永遠である・・・。

「人生」
こクロウフットはカナダのブラックフット族の族長だった。
若いとき、5万平方マイルに及ぶ豊かで肥沃な土地をカナダ政府に譲り渡したのも、
ほかならぬ彼だった。
その行為はあくまで善意からでたもので、彼にはブラックフット族が新しい変化の波に
直面しているのがわかった。
だからその見返りとしてカナダ政府から、ブラックフット族がまがりなりにも暮らしてゆけるだけの
代替地をもらったのだ。
しかし、彼が1890年の春、死の床についたとき、部族の人々はまたも飢えに直面していた。
白人のハンター達が勝手に部族の土地に入ってきてバッファローの群れを
絶滅に追いやってしまったからだ。バッファローの死はすなわち部族の死であった。
(6.生活「バッファローの消滅」参照)

彼の長女が死の床にある父クロウフットに尋ねた。
「人生ってなんなんでしょうね?」
人々は彼がてっきり、死や苦しみについて語るのだろうと思っていた。
あるいは今直面している部族の悲しみを語るのでは。
もしくはリーダーとしての判断の悔いや、苦悩などについて話すのではないかと。
しかし、しばらく考えていたクロウフットは、やがて老いた目を思い出に輝かせ、
かすかに微笑みながら娘にこう言った。

人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光。
冬の寒さに浮かぶバッファローの白い息。
草原を横切り、夕日の中に消えていく小さな影。

白人と物差しが違う典型的な例は「時間」だ。
白人は単純な直線ととらえる。目標を設定して努力をしていけば、やがて目標に到達できると。
一方インディアンは円だと考えている。
自分が生を受けている中で、あるいは何世代も経る中で良い時と悪い時を繰り返し
それが終わることなく巡り続けると考える。
白人の目には「向上心のない無気力な奴」に映り、インディアンの視点から見れば
目標を達成するために他人と競争し、蹴落とし、自然を破壊していくことは
「美しい人生」ではないのだ。

メディシン・ホイール
インディアンの宇宙観は円である。円という形にははじまりもなく、終わりもない。
太陽や月は丸い。季節は循環し、人の世代も誕生、成長、死を繰り返す・・・。
また、万物の調和を意味している。
円(メディシン・ホイール)の中の十字は、東西南北を表し、
それぞれ英知、生命力、水(生命の源と浄化)、健康を象徴している。
各方向にはシンボル・カラーがあり、東は黄色、南は白、西は黒、北は赤だ。
メディシン・ホイールはヤマアラシの針毛で作られることが多く、髪飾りなどにも使われた。

調和の世界
「私の義姉はナバホ織りの名手だが、彼女はいつもバランスについて話す。
そしてその時彼女は決まって手で円を描く。
我々は幾何学的センスで直線ととらえるが、彼女は自然がどのように作用し、
人がどのように自然と関わるかを円でとらえ、その円を織りこんでいるのだ。
ラインタイプは開いているが、フレームタイプは左右対称だが閉じている、
だから必ずスピリット・ラインを織りこむのだ。

(2005年6月記)




ヴィジョンを求める
ヴィジョンとは「夢」である。夢は神聖な「お告げ」であると信じられている。
それは、真実であり、そこにはグレート・スピリットの強い意志が感じられるのだった。
そして、夢を通じて予言する力や、病気を癒す能力を授かるのだ。

いろいろな部族がヴィジョンを得るためには、断食をして苦行を経なければならないという共通の
認識を持っている。
(スー族のハンブレチャと呼ばれるヴィジョンクエストなど)
若い男性は思春期を迎える頃、初めてヴィジョンクエストに出かける。
そこで、若者は自分だけのヴィジョンを得、それは死ぬまで個人の「聖なるもの」となる。

現在において「仕事」は社会への「奉仕」と考えられ、この世に生を受けた己の存在意義を確かめる
場でもある。
であるから仕事の選択にはヴィジョンが大きく関わっている。
ヴィジョンのことをある人は「スパーク」と言っていたり、
英語に当てはめれば「インスピレーション」が近いかもしれない・・・。




パウワウ
1920年代まで‘ダンスの祭典’のことを「パウワウ」と呼んでいなかった。
詳しいことは分からないが「パウワウ」と呼ぶようになってからそう時間が経っていないようだ。
1940年代、‘オールドタイマー’と呼ばれる老人ダンサーたちは
ニシノン族ではわずか4,5人しか残っていなかった。
かつて行われていた歌や踊りについて、彼らが亡くなれば伝統もまた消えてしまう。
踊りと歌は一体化しており、踊りにはそれぞれ意味がある。
踊り手は、リズムのかすかな変化にも対応することが要求され、勝手に踊ることは許されない。
そこには必ず一種のパターンがあって、そのパターンを理解する必要がある。

祈りのダンス
儀式には動物の皮、頭、羽飾りに身を包む。
こうすることで、自分と動物の一体化で対話を試みる。イーグルダンスは有名。
つまりダンスは動物の霊に呼びかける言葉であり、
この霊的な交流を行うことで、はじめて狩りが成功すると考えられていた。

ズー二ー族のイーグルダンス

サンダンス
ラコタ族の「ウィ・ワンヤグ・ワチピ」(太陽を見つめる踊り)のやや不正確な英訳。
年に一度太陽光線の最も強烈な時期に部族全体が集まって行う平原インディアンの最も重要な
宗教儀式である。
「文明化」の妨げになる野蛮な風習、反乱の温床として1881年白人政府によって禁止されるが、
多くの部族で7月4日(アメリカ独立記念日)祝賀の偽装を凝らすなどして密かに続けられた。
1934年解禁。
1970年代以降、ラコタ文化復興が結実して、今日ますます盛んに行われている。

基本的には太陽をあがめる儀式で、太陽が最も力を増す夏至の前後に行われる。
通常8日間。そのうちの前4日間は極秘行事とされる。
神聖なパイプから薬草の煙草を吸い、断食し、伝統にのっとった特別の儀式に従う。
若者の勇敢さを試す儀式でもあり、難行苦行と自身の肉体を痛めつける拷問が占めるとも。


部族によって拷問を課さない場合もある。
ダンスは4日間続く。




音楽


儀式に楽器(太鼓)は欠くことが出来ない。
他にパイプも言葉以上に重要な位置を占めている。
ダンスは太鼓で踊られる。
今日では木製のインディアンフルートなどの演奏も聴くことができる。
奏者は音楽の、そして樹木(楽器)への‘スピリット’を持っていることだろう。




テントへの招待
食事に招かれたら、目の前の食べ物を全部食べなければならない。
主人か長老が議論に誘わない限り、客はしゃべってはいけない。
主人がパイプを掃除し始めたら、それは暇ごいの時間が来たことを知らせている。

主人はお母さんです

住まいは世界を広げる手段である。
インディアンの世界は円である。
世界を支える軸は火であり、大地と空の連結線である。
同時に人間界と自然を結ぶ。
テントは輪状に建てられ、各テントも丸い。

ピースパイプ
どの部族にとってもパイプは平和の象徴である。
パイプをかざしている時、戦闘意識はないということを現しているのだ。
そして、儀式に欠かせないのがパイプと太鼓である。
インディアン部族との和睦のシーンで、チーフらと一本のパイプを互いに吸い合う。
Tの字を逆さまにしたような火皿に、長い柄のついた平原インディアンのパイプは、
キャルメット、またはピースパイプと呼ばれ、平和と友好のシンボルである。
彼らにとってタバコ(キニキニック)超自然的存在への捧げ物であり、
パイプはそのための祭壇に他ならない。
伝説ではバッファローからの贈り物で、今日に至っても人々の心を表す民族統合の
象徴となっている。
そして、バッファローの精なる神聖な乙女のを通して、天地の創造主である「ワカン・タンカ」から
授けられたろされているが、全く架空の存在ではなく、ダコタ族のある家族に守り伝えられている。
生産されているパイプの石材カトリナイトの採石場は、ミネソタ州南西部にある。
なお、カトリナイトのピースパイプを見たい人は渋谷の「タバコと塩の博物館」に展示されています。

シャイアン族ではメディシン・アローと呼ばれる矢がパイプに代わる。




戦い


敵と戦い、頭皮を剥ぐことが慣習として行われていたのは、セント・ローレンス渓谷界わいと
ムスコギー族の地域から南の地方に限られていた。
(イロコイ族、ムスコギー系のチョクトー族、チカソー族に限られていた)
政府の報告書によれば「植民地政府が提供した、頭皮への報奨金」が原因で広まったとされる。
インディアンの戦いは報復行為であるから、頭皮を剥ぎ返すことになり、いつしかこの行為は
インディアンからの発生であるかのように誤解されているのだ。
頭皮を剥ぐというのは、インディアンは髪を長く伸ばし、結いこんでいる。
その髪には羽飾りや、お守りなど魔術的な神秘性が秘められていた。
その髪を頭皮ごとはがすのである。死ぬとは限らない。
事実、辱めのため剥がされて部族に帰されることもあった。

純粋なインディアンの戦いにおいて、一番名誉とされたのは頭皮ではない、「クー」である。
「クー」とは「最初の一撃」である。




「族長の条件」とは

プレーリー族長

族長は世襲制ではない。人は勇者に従う。例えば、ダコタ族の族長の資格は4つある。
1.勇敢であり、かつ雄弁でなければならない。
2.野心にとんでいなければならない。
3.常に正直でなければならない。
4.生きとし生けるものすべてに優しくなければならない。
そして、族長に選ばれた者には、次の3つが与えられたという。
1.ビーズ飾りのついた鹿皮の上下(シャートとレギング)
2.鷲の羽根のボンネット
3.パイプ1本と煙草入れ

ギブ・アウェイ〜威信をかけた贈り物合戦

ショーク族長

平原インディアンの間では、倒した獲物を惜しげなく配った。
狩りの獲物に限らず、持てる物を惜しみなく与えることが立派なこととされた。
たくさんの獲物を得、所有しても、それだけでは尊敬されなかった。
命がけで得たものを惜しげもなく他人にくれてやって初めて、戦士の名声は上がるのだ。
チーフは人望を保つために気前よく振舞わねばならず、清貧に甘んじなければならない場合も
少なくなかったという。

(2004年12月記)


9.言葉




※このページの内容に一部書籍からの引用があります。
それらの資料は「11.書籍」にて紹介させていただいてます。
他サイトからの転写はありません。




vol.14