いきさつ
高校生の頃、倫理社会で最初にでてくるのが‘西洋哲学’だった。
ソクラテスに始まりプラトン、アリストテレスとつづく・・・夢中になったものでした。
舞台は地中海、アテネ。西洋哲学が幕開けした土地とは「いったいどんなところなんだろう?」
地理で習うところでは‘地中海性気候’らしいし、着ている衣装を見ても、布一枚をオシャレに巻いてドレスらしきを
まとい、足元はスリッパのような・・・ラファエッロ作「アテネの学童」を見ても各々が意見を戦わせ、
真実の追究が熱く語れる様子の背景には、開放的な空気が感じられた。
「なんだか暖かそう、・・・フムフム、乾燥してるのか?」とはいってはみたものの、
夏は高温多湿の日本に住んでいる私にはなんだか想像がつかない。
「行ってみたいなあ・・・」と、当時高校生の私は、漠然と思ったものでした。
そんなことも遠い昔話になりすっかり忘れている頃、私はイタリアへ行った。(1996年ローマ参照)
そこで古代ローマ帝国の遺跡を目の当たりにして、一気に思い出したのである。
このローマ帝国の礎となった「ギリシャに行かねば!」と。
時代を遡るんだ、イタリアはギリシャに倣ったはずだ・・・
私のイタリア旅行のアルバムの最後には「つづく・・・ギリシャ」と書き込まれたのであった。
罰ゲームか!?
私はいつだって‘貧乏旅行’である。季節によって旅費は全然違うし、
ましてや盆暮れgolden weekなんていったら普段の3倍はするだろう。
私は1年の中でも‘底値’を狙って出かけるので、観光シーズンからはずれて行くことになる。
それで私は十分満足しているし、ホテルのグレードなど最初から度外視しているので、とにかく安い時期、
すなわち冬場出かけることが多くなる。
ギリシャは夏が観光シーズンのはずだから、まったく外れた時期に行くことになる。
母に、ホッカイロをたんまり持たされた。もちろん、おにぎりもである!
いつものように成田空港でおにぎりを食べて、超ハードな旅行が始まる!
・・・というのも、5泊6日のギリシャである!初めと終わり2日間は移動で終わってしまう。
ということは、滞在2日と半日なんである!まるで罰ゲームのような旅のはじまりである!!
ルフトハンザ航空
今回、ヨーロッパ国内で乗り継いでアテネに向かう。飛行機の乗り継ぎは初めてである。
利用した航空会社が、たまたまドイツのルフトハンザ航空だった。
ルフトハンザ航空はフランクフルトが拠点なので、そこで乗り換えてアテネへ・・・となる。
成田発フランクフルト行きに乗って、同じルフトハンザ航空を利用してフランクフルト発アテネ行きに乗り換える
わけです。成田からフランクフルトまで約12時間・・・
でも、スチュワーデスのお姉さんが超かわいかったから何とかしのげた。
機内で隣の席がフランス人(パリ在住)のご夫婦で、日本に観光に来たとのことだった。
飛び立ってすぐ富士山が見えた。ご夫婦は「OH!Mt. FUJI!」と感激していた。
私は、日本人でありながら、いまだに富士山を陸上で見たことがない。
いつも、こうやって機内から小さい円になった富士山を眺めているだけだ・・・
「(ナマ富士が見たいよー)」といつも思っているが、まだその機会はない。
フランス人のご夫婦は、「tres bien!」を連発し、日本人の私にしきりに感動を訴えてきた。
私は、ずっと以前にフランス語をマスターしようと試みて挫折した経験がある。
もう、勉強したことなどすっかり忘れてしまっていた。
でも、話しかけられると思い出してきて知ってることだけ総動員してお相手した。グッタリ・・・
フランクフルト空港
フランクフルト空港に到着したのは、お昼の3時だった。アテネ行きは夜の9時発である。
6時間もあるではないか。空港がいくら広くても6時間も空いたのでは退屈してしまう・・・
フランクフルト市内に出ることにした。予定外のフランクフルト見物である。
フランクフルト〜アテネ
夜の9時定刻にフランクフルト空港を発ってアテネへ向かった。
機内はフランクフルトから搭乗したギリシャ人のスチュワーデスさん。
エキゾチックでアダルトなスチュワーデスさん。お客さんもギリシャ人がほとんどである。
隣の席にはギリシャ人のご夫婦。これまた品がよろしく、落ち着いた感じでアダルト。
どうしてギリシャ人って、こう・・・浮ついたところがなくて堂々としているのだろう。
見た感じ大富豪とその愛人といった雰囲気が漂う・・・
アテネまで約3時間ほどである。機内で飲み物のサービスがあった。
水をもらおうと「water please」「non gus?」「yes!」
・・・出てきた水はしっかりガス入りだった。
イタリア語のnonの発音は、‘ガス入り’を意味する言葉に近いので、「ガス入りですか?」と聞かれていたのかも
しれない・・・消化を助けるためにヨーロッパではよくガス入りミネラルウォーターがよく飲まれる。
試しに挑戦してみたがやっぱりダメだった(炭酸はとにかく苦手)「(うへっ!)」だめだこりゃ。
二度目のお飲み物タイムがやってきた。「(よーし!今度こそは・・・)」
「apple juice please」「what?」「apple juice!」「pardon?」「apple!」「?」
「(そんなに発音悪い?)apple!」
見かねて隣のご主人がギリシャ語で言ってくれた。
「OH!」すんなり出てきたのである。なんでや?
アップル・・・エイプル・・・エイポゥ・・・いろんな言い方したのに!どれも惨敗だった。
日本に帰ってこの話をアメリカ人(シカゴ出身)にして、発音を聞いてもらった。
アップル・・・エイプル・・・エイポゥ・・・どう?
彼が言うには「どれもわかる」だった。「よかった・・・なら、あれはどうしてだったんだろう?」
そんなこんなでアテネに到着したのは、夜中の12時だった。
ホテルに到着して寝る頃は、夜中の3時近かった・・・
日本を発って、23時間経過(飛行時間15時間)・・・長い一日だった。
遠い・・・遠すぎる・・・
room number 800
昨晩(今朝)晩くに到着したので、午前中ゆっくり休んでから市内観光の予定である。
朝食をとりに食堂に行くと、room number を聞かれた。
「800」
それを、おじさんはノートに書きつける。
オリンピックスタジアム
今日半日アテネ市内を観光して後の2日間はフリーである。
私は、明日市内を歩いて周り、あさって最終日に遠出しようと予定を立てている。
昼の11時集合。まず、オリンピックスタジアムに向かった。
アテネは誰もが知る‘1896年近代オリンピック第1回開催国’で、毎回入場行進の栄えある先頭の国である。
実際行って見ると案外狭く感じた。本当は普通の競技場の広さはあるのだろうが。
人がだーれもいなかったので、感覚が鈍ったのかもしれない。
客席は大理石。楕円の競技トラックをぐるり取り囲んで25段から30段重ねられている・・・
資料によると5万人は入るという。ここに直に腰掛けて観戦するわけだ・・・
そもそもは紀元前331年にパン・アテナ大祭の競技場として建てられたのが始まり。
その当時は観客席はなく、見物人は土手の斜面に立っていたという。
現在でも観客で満席になったら、印象も変わって古代ローマの競技場さながらになるのだろう。
一角に石碑があって、第1回アテネ大会から全ての開催地が刻まれている。
次回2004年もアテネが開催地となる。また、ここにアテネと刻まれるわけだ・・・
すぐ脇には10本のポールが立っている。
大会時には五輪旗や開催国旗、国連旗などがここに掲げられることになる。
どこぞのお国のように、これ見よがしにボロボロになった国旗を持ち出してきてお涙ちょうだいなどど、
野暮で場違いなことは、(オリンピック開催に起きてしまったテロ事件は関係ないと思うのだが)ここギリシャ人の
センスからしてありえないだろう。
そう!センスの問題なのだ。私は以前から某国とは折り合いが悪く(勝手に)なっていた。
だからといってテロ擁護などではもちろんない。
が、どのような相手にせよ、恨みを買う行為をしてしまったのには違いがないではないか・・・
某国人は何かというと「ビジネスだから」という言葉を振りかざして、それを盾にどのようなアクドイ行為も
正当化してしまう。それを「よいこと」と勘違いして真似てる某国人も気に入らない。
「都合よく」使う輩は尚更気に入らない。
だいたい、某国の建国からしてあやしいのだ!(これを言い出すと止まらなくなる私・・・)
ネイティブアメリカンの歴史を抹殺した罪は消えない。あの土地は呪われてるんだ。
歴史はめぐりめぐって、あのような形でホンのちょびっとだけお返ししたに過ぎないんだから・・・
<書籍>草思社の「わが魂を聖地に埋めよ」ディー・ブラウン著、鈴木主税訳。
この本の良いところは、某国で保管していた当時の記録だけを頼りに事実だけを伝えている(といっている)
ところなのです。
小説ではないということです。
いきなり読んでも、少し難しいかもしれません。そんな方は・・・
<マガジン>ワールドフォトプレスで出してるmonoにネイティブアメリカンの特集号が2,3冊あります。
こちらからどうぞ!それも面倒だというかたは・・・
<映画>ケビン・コスナー主演、監督「ダンス・ウィズ・ウルブス」をどうぞ!
今では失われた‘素晴らしい生活’を彼らは送っていました。
はっきりいってあのような生活が私の理想です。
自然と共に、自然に畏敬の念を持って臨み、自然を相手に、自然に生きた人たちです。
自然を減らさず、奪わず、少し分けてもらって感謝の意を示し還元する生活。
生活に必要なものは全て自然の中にあり、通貨は必要ない・・・
「ビジネスだから」という言葉も彼らにはない。
だからといって原始的だなんてとんでもありません。今は亡き文化があったのです。
そ、そ、それを〜!!(怒・・・) 誰が、何の権利があって奪えるのか?
騙し、恐喝、武力(武器を持たない人達相手に)そして巧みな嘘。度重なる嘘。
「インディアン嘘つかない」という彼らを茶化したようなフレーズがありますが、あの言葉は、
白人の嘘に対して発せられた言葉なのです。
ご存知でしたか?
民族の歴史として眺めれば、早かれ遅かれ滅びる運命にあったと言う人もいるでしょう。
私もそう思わないわけではありません。
しかし、あまりに急速で策略的だったので酷すぎた、と思わざるを得ないのです。
某国の建国は抹殺以降から始まっている。
またしても嘘、あたかも存在していなかったかのような扱いではないか。
略奪、征服・・・から始まったはずなのに。
2002年冬季開催時に開拓時代以前の歴史も含めていましたが、都合よすぎますから・・・。
我国でのアイヌのことも同様です。大きな声ではとても言えた義理ではない・・・
土地を奪うまでにはいたらなかったが、戦争という隠れ蓑で犯した残虐な行為も
恨みの対象になっているはず・・・とても某国のことばかり言ってはおれんのだ・・・
某国はその後だってアフリカから・・・
(注記)某国に対する意見はお読みになった方によってさまざまおありでしょう。
私は私なりに勉強不足も大目にみて頂きつつ述べさせていただいた某国の一部分に対する一意見です。
助言は歓迎しますが、お叱りは一切受け付けません。ご批判は企画集の書籍をお読みになってからどうぞ。
えっ?なんでこんな話になったんだ?あっそう、そうポールだ・・・
今は旗のないポールの遥か向こうには、アクロポリスの丘が見えていました。
もちろん丘に建つパルテノン神殿も・・・「ここから見えるんだあ・・・あそこなんだあ・・・」
アクロポリス
アクロポリスは神殿の複合体である。
ギリシャ神話に登場する複数の神がそれぞれの建物に祭られている。
中でも、最大の神殿がギリシャのシンボル的建造物ともいえる‘パルテノン神殿’です。
ここの説明の前に順を追って見た順番に話そうと思います。
バスを降りて丘へ上る。見た目よりずっと距離があった。10分以上は歩いたように思う。
学生時代ギリシャに行ったという知り合いが‘ケムシ’の行進が印象に残っていると言っていたが、
私はお目にかかれなかった。時期がずれていたのだろう。
ここにはオリーブの木がいたるところに植えられているから、そこが発生源だったのかもしれない。
tuzi のひとくちメモ 「神殿の柱の様式その1」
ドリス様式 柱身は太く、遠くからも真っすぐに見えるように真ん中を膨らませている。溝は20本。
イオニア様式 細身で多くの溝が刻まれているため、明暗の効果をあげている。
アクロポリスの入り口は丘の西側にある。石の道が現れると坂がぐんと急になる。
石が積み重ねられていて、その一枚の厚みが高いので段差が急になるのだ。
足腰が丈夫でないとあがれない。その石を上っていくと、ブーレエの門である。
門といっても巨石を組んだ長方形の石組みが左右に立ってるだけで、いわれなければ、ただの段差とかわらない。
「(ははあ、門の名残ね)」といったところ。
1853年フランスの考古学者ブーレエが土の中から発見したので、この名前がついたという。
「(まさしく遺跡だ)」
ここを過ぎると平坦になって前門に通じる。この前門がアクロポリスの聖域に通じる門である。
BC6世紀に古い前門が建てられたが、BC480年ペルシャ軍によって破壊され、BC430年同じ場所に再築された。
白い大理石と青い大理石が使われているそうだが、私の目には区別がつかなかった。
「(黄土色にしか見えへん・・・)」
6本の太いドリス様式の柱が並び梁も残っている。
5ヶ所の入り口にはかつて木の扉がついていたといいます。
門の内部は両側に3本ずつのイオニア様式の柱が並んでいる。
これは心理効果を狙ったもので、外側のドリス様式で畏敬の念をもたせ、中に入ると一転して
優雅なイオニア様式で心和ませるという計算がされていたというわけ。
・・・といっても、それを実感するにはかなりの想像力が必要です。
現在は扉もなく、とにかく黄土色の柱と欠けた梁があるだけで青空なのですから・・・
それでも、ドリス様式、イオニア様式の別は歴然としているわけで、その重厚感は現地ならではのものです。
その土地に行かねば見ることのできない遺跡ならではの存在感でしょう!
前門の脇にニケの神殿があります。
小ぶりの神殿ですが、アクロポリスの中で重要な意味を持っている神殿です。
残念なことに私が行った時期はシートが掛けられ修復作業中で見ることはできませんでした。
前門を抜けると、視界が開けパルテノン神殿がいよいよ全貌を明かします。
まっすぐ目の前ではないのです。目の前には一直線に聖道が伸びています。
その聖道の右脇に縦長に建っているのです。斜め前から現れるのですよ。
聖道の伸びた先がちょうどパルテノン神殿の正面角にぶつかる感じです。
正面を向いてないのも計算があるのです。
正面から現れると平面的ですが、縦横高さの立体で壮大に見せようと人間の目の錯覚を研究してのことなのです。
で、神殿の正面は西向きなんですね。
日本では南向きもしくは東向きが一般的でしょう、北向き地蔵(家の近所にある)なるものもありますが、
西向きには「なにか理由があるはず」と思い帰ってきてから調べてみました。
私なりに結論が出ました!東洋的な考え方だと神の‘向き’が東だから入り口も東。
でも、西洋的な考え方をすると神の‘安置’が東、だから入り口は西となる・・・?
もっと言うなら、ここギリシャは‘ギリシャ正教’なので‘カトリック’とは十字のきり方が違うのです。
カトリックは上下左右、ギリシャ正教は上下右左となります。
だから、ギリシャ正教では‘右側が聖域’となるわけです。
と考えると、カトリックは逆に‘左側が聖域’になるはずですよね?
じゃあ、東洋ではどっちだ?これは‘右’ですよね?
何事に於いても‘右側’が上座となるはずですよね。
舞台でも右が上座だし、「右にならう」という言葉もありますし・・・
その昔武士は自分の右に人を立たせなかった(あけておいた)ではありませぬか!
脱線してます・・・
アテネの守護神アテナ女神を祭っている、ドリス様式建築の最高傑作パルテノン神殿は15年の歳月をかけて
BC432年に完成しました。
正面と後ろに8本ずつ、側面には17本のドリス様式円柱が並んでいる。
床にも工夫が施されています。
これだけ規模が大きくなると、水平にすると却って中央部がくぼんで見えてしまいます。
それで、10cm前後中央部を隆起させて設計されているのです。
美にとどまらず、知恵の結晶でもあるんですねえ・・・
柱の様式はエンタシスといって、柱の中ほどを膨らませた方法がとられ、
わずかに内側に向けて傾けて建てています。これも、視覚を考慮したうえで建てられたものです。
真っすぐ建てると外側に倒れるように見えるのでわざと内側に倒して、真っすぐ建ってるように見せたのです。
柱の並びも側面で膨らんで、柱の建てかたも内側に倒れこませて、床は中央部を隆起させてというように、
すべてにおいて曲線なんです!
しかしながら、実際はこのように曲線なのに、直線にみえるという巧みな計算が隠されているのです。
「曲線によって直線の美を表した建築」なのです。
破風(屋根の下三角形の所)は西側(正面)にアテナ神がゼウスの頭から誕生する場面が彫刻されており、
東側(裏面)はアテナとポセイドンがアテネの守護神の座をめぐって争っている場面が彫刻されておるそうです。
(東の破風はロンドンの大英博物館にあります)
ギリシア神話の神々というのは実に人間的なのである。
怒り、嫉妬、戦い・・・と、内面を曝け出して隠さない。
私は大分以前であるが、ブルフィンチ作「ギリシア・ローマ神話」岩波文庫版を読んで、あまりの生々しさに
驚いたものでした。
「これが神なの?」
肉親を殺して食べてしまうとか、自分の子供を飲み込んじゃうとか、破風の彫刻のように座をめぐって
血を血で洗う戦いを繰り広げたり・・・ギリシャの優雅さとは似ても似つかない。
その神々の本性に、「こういう神なんだ・・・だから人間が神に近づくことが可能なんだ」と感心したものでした。
ギリシャで人間中心の科学が哲学が発達したのにはこういった、潜在的に人間的な神への信仰があったから
なのではないでしょうか?
東洋的な神、特に仏教だと近寄りがたく絶対の存在として神がありますよね。
人間と神の間には深い溝が存在して、人は絶対神にはなれない。
常に崇める立場にあって、奉る対象として存在している・・・
人間的な西洋の神と絶対的な東洋の神の中間にインドの神がまた別の形で存在しています。
信仰の対象なのですから、その人たちにとってはもちろん絶対神なのですが、
ヒンズー教や、ジャイナ教に見られる神々は多様性に富んでいます。
インドの‘カーリー女神’などは、生贄を自ら要求し、その姿は長い舌を出して、生首を持ち、血のついた斧を提げ、
戦いの神であるシヴァ神を足でふんづけているんですよ!つえー!
このように睨まれたら最後!といった神がいてもいいですよね。しかも女!
そう、信仰の対象は、なんでもあり・・・。ただ人間、信仰の心を失くしたら傲慢だけが残るようで、
それこそ危険なことではなかろうか、と思う私です。
ほらほら脱線してるって!
パルテノンは長年の風雨のせいか、傷みが激しく内部には立ち入り禁止となっています。
崩れたままの大理石もごろごろ置かれたままで、内部に足場が建てられて支える格好で痛々しかったです。
聖道をはさんで北側にエレクティオン神殿がある。
小さいがイオニア様式の柱と女性の姿を模したカリアテッド6本は優美である。
現在は公害から守るために本物は博物館にあり、神殿のものは模作である。
やはり内部へは立ち入り禁止であった。
神殿の西側にはアテナが生んだというオリーブの木があり、緑の葉を茂らせていました。
・・・と、他にも丘の上には遺跡の神殿があるのですが、原型をうかがえるのは以上の神殿ぐらいで、
あとは本当に瓦礫と化しておりました。
アクロポリス博物館 (別紙参照)
丘の上にある博物館。
神殿内部にあった彫刻、外部の装飾、柱、破風(西側)などが収められています。
いやあ、素晴らしかっただよ。(別紙参照)
建築は遺跡として価値はあるにはあるけれど、やはりガランドウだし、青空で柱が残るばかりだけれど、
装飾品を目の前にすると頭の中で甦るというか、
「これが、あの神殿の中に置かれていた・・・これが、あの破風の彫刻だった」と建物が組み立てられるのですよ。
頭の中で再現できるというか・・・どれもこれも素晴らしいの一言!
どれも大理石のはずですが、黄土色の土にみえました。
題材はギリシア神話の物語、女神、動物はライオン、フクロウが多くモチーフになっています。
他に牛、犬、羊なども・・・人間は目が大きく、独特の微笑みをたたえている表情が
特徴のアルカイック・スマイルです。この微笑が消えると時代は新しくなります。
私はアルカイックスマイルをこの時はじめてみたのですが、「(なにかに似てる)」「(なんだっけ?)」
「(どっかで見たことがある)」とずーっと考えていました。
結局、この日は思い出せずじまいだったのですが・・・(ペロポネソス半島参照)
アクロポリスの丘からの眺め
丘の上からはアテネ市内が一望できます。私は地図を見ながら方角を探りました。
南西にフィロパポスの丘。この丘の中腹にソクラテスが幽閉された場所があるはずです。
そこは、現在公開されているはずなので時間を見て明日行けたら行こうと考えています。
丘の向こうに微かにピレウス海がみえました。「地中海、エーゲ海・・・ここはギリシャ」
手前(アクロポリスの丘の真下)にはへロデス・アティクスの音楽堂があります。
ここでは日本人でただひとりだけタクトを振った人がいます。さて、誰でしょう?
それは誰あろう、坂本龍一でした。
東にはリカビトスの丘。アテネ一高い丘で、歩きでも登れるがケーブルカーがあるそうです。
私は行ってませんが、聖イオルゴス教会から賛美歌が流れてくると、現代を忘れさせてくれるほどタイムスリップする
そうです。
そして、入り口の西側からはアゴラが見えていました。私の憧れの場所でもあります。
アテネ市内にはふたつのアゴラがあります。アゴラの意味は・・・そうだなあ・・・
「町並み」とでもいうのかなあ。‘古代ギリシャアゴラ’と‘古代ローマアゴラ’のふたつです。
私が行きたいのは、‘古代ギリシャアゴラ’なのです。
古代哲学者達が熱く議論闘わせた場所、悩みながら歩いた道です。
ギリシャ料理の味は・・・
1時間ほどで観光は終了して、お昼を食べた後はホテルに送ってもらい、各自フリーである。
連れて行かれたレストランは、地中海料理らしく店構えもそれっぽいし、店内も木調の落ち着いた感じでとても
よかった。
お皿もおおぶりで柄も大胆な構図で、いかにもギリシャで・・・と、見た目はバッチグーなのだが。
しかーし、マズーイ・・・味がないんです!
「(塩コショウするのかな)」と見回してもないし。テーブルにあるのはオリーブオイルだけ。
「(しゃあない!かけちゃお・・・)」やっぱり味はない。ますますまずくなった・・・
なにを食べても味がない。冷たい豆腐にオリーブオイルかけたような感じ。
パスタもあったと思うけど(なにせ不味いことしか記憶にない)やっぱり豆腐にオリーブオイルかけたような味。
パスタじゃなくてオリーブオイル食べてる感じ。
ギリシャの人が家庭でこのような味を食べているとは、とても思えないのですが・・・?
たまたま、ここのレストランのアタリが良くなかったんだと。
ひとりで町に出てこれからどんな味に出逢うか、楽しみがひとつ増えました。
オリンピックスタジアムからアクロポリスにバスで移動中、車窓から市内を眺めていると
遠くにやたら高い2本柱がみえた。私はイタリア(1996年ローマ参照)の時と同様に、電気が走ったのです。
「(あれなに?みた〜い!!)」
博物館になっている所はうまくしたもので、入場しないと全部は見えないような造りになっています。
たとえ、遺跡であっても・・・。
私は「(まず、あそこに行こう!)」と決めたのでした。
食事が済んで、ホテルまで送ってもらうことになっていたのですが、私はひとり途中下車し電気が走った場所へ
向かったのです・・・。
pm1:30フリータイム
ゼウス神殿
広場前で降ろして貰ったはいいが、地図を片手に柱を目指して歩いていると「近そうで遠い」ことに気がついた。
大抵の施設はpm2:00で閉館してしまうので急がねば!
結局遠回り(信号機の間隔がやたら長い!横断できない)しながら滑り込みギリギリセーフ。
チケットかって中に入ったらだだっ広い遺跡の中に私ひとり・・・貸しきり状態。
tuzi のひとくちメモ 「神殿の柱の様式その2」
コリント様式 イオニア様式を土台とし、柱頭にアカンサスの葉模様の飾りがある。
ここはゼウス神殿でした。(チケットを見てわかった)
かつて104本あったといわれるコリント様式の柱は、現在15本のみ残っているにすぎません。
うち2本は距離をおいて残っているので、当時パルテノンより壮大で美しさでも勝っていたのではと想像できます。
円柱の頭頂の装飾の素晴らしさは他に比べようもありませんでした。
ゼウスといえばギリシア神話の中でもオリンポスの最高神であるから、その扱いも格別であったでしょう。
15本とはいえ感動しました。
これはイタリアでも感じたことですが、遺跡の持つパワーは有無を言わせない圧倒的なものです。
言葉を失います。遺跡に限らず出土品にしても同様です。
地中に眠っていた古代の人の手によるものが現在に堀だされ再び日の目を見る、エジプトのミイラにしてもしかり。
現代に放つパワーは当時より、眠っていた時間分増しているのでは?と思うほどです。
それだけ訴える力が強いのですよ。
・・・ただの瓦礫、ただの間引かれた柱、といえば確かにその通りなのですが、
柱1本でも恐らく‘人を黙らせる力’は充分に持っている・・・遺跡とはそういったものなのではないでしょうか?
辺りに人がいないので、私は仕方なくその辺に転がっている石ころを集めてセルフタイマーで写真を撮っていました。
そしたら、おばさんが遥か向こうのチケットブースから出てきて、「撮ってあげる」というのです。
カメラを渡したら、おばさんは歩き始めたのです。
「(?、ここからでいいのに・・・)」と思いながらも、私もカメラの前に立てるようにとおばさんと平行に
蟹歩きしたんです。
どこまで行くんだ?
「ここだ!」とおばさんは構えました。後ろを振り向くと、そこにはアクロポリスの丘が!
「(そうか!ゼウス、パルテノン、私の三つ巴か・・・)」と合点した私でした。
「(なるほどねえ・・・)」ご親切にありがとうございました。
tuzi のひとくちメモ 「ギリシア神話」
ゼウス(ジュピター)天と雷と正義の神、浮気っぽい。オリンポスの最高神。
ヘラ(ジュノー)ゼウスの正妻。結婚、出産、育児の神。夫が浮気性のためか怖いほど嫉妬深い。
ポセイドン(ネプチューン)ゼウスの兄。海と地震の神、競馬の守護神でもある。短気で怒りっぽい。
アテナ(ミネルヴァ)ゼウスの子。父ゼウスから盾と雷を授けられた智恵の女神。
アポロン(アポロ)ゼウスの子。太陽の神、知恵、学問、音楽、医術、弓術、詩、芸術などの守護神。
アルテミス(ディアナ)アポロンと双子の女神。月の神であり、狩猟と山野の神。男嫌いで執念深い性格。
アフロディーテ(ヴィーナス)ゼウスの子。美の女神、優雅でセクシー
ディオニソス(バッカス)ゼウスの子。ぶどうと酒、演劇の神。野性的で激情家。
アテネ散策
もう3時を過ぎたのでほとんどの施設は閉館になったはずです。
今日はどこも見ないで足慣らしということで、少し遠いけどホテルまで歩いて帰ろうと思います。
私は初めての土地でも通り名が入った地図さえあれば、太陽があるうちならどうにかなるんだけど、
日が暮れると方向感覚、東西南北が狂うので難しいのです・・・ハトみたいなもん。
地図も、できるだけ現地の言語で書かれたものの方が良い。
ホテルのフロントに簡単な地図が置いてあるところもあるので、それを利用する時もあります。
もちろん、日本でシュミレーションしてるからその地図を持参してますが、
地図はいくらあっても邪魔にはならないし、日本の地図は少々あいまいだったりするのです。
私のフリータイムはホテルを中心として基本的に歩きで構成されます。
どんなに遠くに行ってもホテルにさえ帰ってこれればいいのですから、歩きで行けば必ず帰ってこれるというもの。
タクシーを使うほどの余裕もないし、なんだか自分に負けたような気がして。だからがんばって歩きます。
それに歩きだと目的地までの道々、そこに住む人たちの表情もまじかに見ることができますし
思いがけないものに出くわしたりして楽しいものです。
私の旅行は、お金をかけずに時間をかけるが基本なのです。
そして、歩きのくせに欲張りにたくさん見たい、なのです・・・。(1996年イタリア参照)
またも脱線してしまった・・・
シンタグマ広場〜ホテル
ゼウス神殿からバスを降りたシンタグマ広場まで戻った。戻らないとわからないのである。
シンタグマとは憲法という意味で、1834年ギリシャ最初の憲法が発布されたことからこの名前がついた。
この広場前の無名戦士の墓ではエウゾナスという民族衣装を着た衛兵が立っていて、
1時間ごとに交替の行進がある。
私は交替シーンは見ませんでしたが、衛兵の履いてる靴がかわいかった。
つま先にボンボリがついてて、それがぷるんぷるんしてて銃を持った衛兵なのにぜーんぜん怖くない・・・
広場にはハトがたっくさんいて、エサ売りのおじさんが‘手で回すアコーディオン’を演奏していた。
半ばやみくもに歩いていたらビザンチン様式の教会にでた。
「(ここも、東ローマ帝国に吸収されてたんだ・・・)」
ギリシャの人は若い男性は‘彫刻のような顔立ち’で髪の色は黒!目の色も黒!
この時期、黒の皮ジャンを着てる人が多かった。背も高くてカッコいい!
おじさんになるとコロッと太って背広をキューキューに着て、ハンチング帽。それはそれでカッコいい。
お姉さんは、これまた‘彫刻のような顔立ち’で、表情がはっきりしている。
やっぱり黒が基調でヒールに細身のジーンズで堂々としたいでたち。
おばさんは、やはりコロッと太っているけど、長めのスカートに長めのコートを羽織り颯爽としている。
この国も女性が強いとみたが、実態はいかに?
途中、帽子屋に寄ってみた。父にここで流行のハンチング帽を買って行ってあげようと思う。
店の主人が「これはどうだ?」というなり、帽子をクチャクチャに揉んでしまった。
手を離すと「ハイッ、元通り!」といった面白い代物だった。
「やってみろ」と差し出されて持ってみたら軽い!これなら荷物にならないし形が崩れても心配ない。
柄がいろいろあったので、おじさんをモデルにかぶせて選んだ。
おじさんがモデルだと地味に見えたのに、父がかぶったら・・・妙に派手だった・・・
父はお気に召さなかったらしい・・・
「ほうら、パッと元通り!」なんて安い手品師みたいなことして見せただけで終わってしまった。
帽子屋の前の通りは日常品から食料品、衣料品なんでも揃うマーケット街だった。
あちこち覗きながら進んだ。私は家での朝食に毎朝コーヒーをいれる。
だから、豆やコーヒーシュガー、フィルターなどは某輸入会社からまとめ買いしている。
その輸入会社で、ワインも扱い始めたので以来私は、ワインもまとめ買いしていたのです。
たまたま注文したワインが美味しかったのでラベルを見たらギリシャ産だった。
ギリシャの食料品店に寄ったら同じワインが私が日本で買った半値だった。
欲しかったけど「いいや!」と見ただけだった。
今は某会社でギリシャワインを扱わなくなってしまった・・・。
もう、何年も甘くてフルーティーなギリシャのワインを口にしていない。
市場では肉屋で解体をしていた。すぐ側でおばさん達が「1kgちょうだい!」とかなんとか声をかけている。
今晩の夕飯に使うのでしょう、解体してすぐだから新鮮そのものです。
白熱したおばさまの買い物風景を「(こういう食生活っていいなあ)」と眺めた私でした。
日本で私が口にしている物といったら一度冷凍して、切り身にされたものばかり・・・
とれたて新鮮はなかなか口に出来ない。季節感もとぼしい・・・何かが間違っている・・・
それに加えて、過大包装でゴミばっかりでる。何かが間違っている・・・
新聞紙でクルクルッと、どうしてできないの?
飴玉ひとつ食べるのだって破って破ってやっと口にできる始末だ。
私が小さい頃は、オブラートに包まれていればいいほうで、夏場は全部くっついて団子になったのを離すのが
大変だったが、ちっとも不便じゃなかった。
近所のお菓子屋は夏場飴つくりを休んだものでして、飴玉ひとつにもちゃんと季節感があったのに。
あーまた脱線だ・・・
ギリシャの夕暮れは速い。
時間が早いのではなくて、薄暗くなってきたなあ・・・と思ってから真っ暗になるまでがあっという間なのです。
ギリシャの夕暮れはつるべ落とし。
まだ明るいなんてゆっくりしてるとアラッ!いつのまにか真っ暗なのです。
ホテルで・・・
ホテルの売店というのは外で買うより値段も高いし、品数も少なくてがっかりすることが多いものだが、ここは違った。
民芸品がなんでも揃っていて、良心的だった。
絵葉書を買いに入ったのだが、ひととおり見てるうちに(結構広い)
「(お土産買いそびれたら、ここで調達しよう)」「(最終兵器だ!)」と決めていた。
なぜ、こんなに安いのか?仕入れた当時の値段がそのままついているから・・・
何故入れ替えないのか?ここの女主人がおばあさんだから・・・
おばあさんは私が入って行っても後ろ向きになったままテレビを見続けていた。
この日は、時代劇(古代ギリシャ劇)日本でいう水戸黄門のような番組を熱心に見ていた。
客にかまっている暇などないのだ。「(悪いんだけど、お勘定を・・・)」といえなくて、私もレジの前に立ってしばらく
テレビを見ていた。コマーシャルの合間に、ようやくあばあさんは振り向いてレジを打ってくれる。
ひとりの私ですが、部屋はツインで広々です。もうひとつのベッドは荷物置き場。
テレビをつけたら、ギリシャのクイズ番組「100人に聞きました」のギリシャ版をしていて、出演者の服装を見ると、
「やっぱり、男女とも黒服ずくめだ・・・」「松たかこみたい・・・」と、ゴロンと横になって帰り道で買ってきた、
やたらと甘いお菓子を食べながら見ていた。
言葉がさっぱり理解できない私には、クイズ番組も「ギリシャ最新オシャレ情報番組」と化してたのでした・・・
vol.62
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